山間の神殿 2
大バ○さま……元へ、年老いた獣人女性の瞳がひたと俺に向けられる。その目は白く濁っていて焦点は結ばれず、目が見えていないだろう事は一目瞭然だった。
「彼女の足は既に動きません。座ったままでお目通りいたします事、お許しください。」
何故か王太后様が俺に謝ってくる。
「あ、いや、そんな――――」
許すとかそんな立場じゃないですと言おうとした俺の前で、王太后様が跪く。そのまま人と獣人、2人の老婦人が深々と頭を下げた。
「あなた様のおこしをお待ちしておりました――――救世主様。」
「?!」
まさかの誤解が、こんなところまで!
ティツァ、お前否定してくれたんじゃなかったのかっ!!
俺はワタワタと両手を振りまわす。
「ち、違います!俺は救世主なんてもんじゃありません。」
なのに2人の老婦人は頭を上げようともしない。
「本当に違いますから!俺はただの一般人なんです。」
泣きたくなってくる。
よく見てくれよ!俺のどこに救世主なんて威厳があるっていうんだ?
「か、顔を上げてくださいっ。」
俺の懇願にようやく2人は顔を上げた。
「俺は救世主ではありません。」
繰り返す主張にも、王太后様は静かに首を左右に振る。
「ユウ様。あなたは我らの救世主です。」
どうして、そんな誤解をしているんだぁ〜。
「俺はただの人間です。なんの力も持っていないんです。世界を救うなんてムリです!」
「世界を救えるのは力の有る者だけとは限りません。英雄や勇者と呼ばれる者も元をただせばごく普通の男や女達です。」
それはそうかもしれないけれど、でも、ともかく、俺はそんな奴じゃない。
俺は情けなくも、フルフルと首を横に振りながら後退った。
「――――運命からは逃げられぬ。」
突然大バ○様じゃなくて、獣人のおばあちゃん(いいよな、もうこの呼び方で)が、声を発する。見かけに相応しいガラガラ声だ。
逃げられぬって、そんな呪いみたいな宣言止めてくれ!
ビクッと震えた俺を見えぬ瞳が射抜く。
「救世主様。あなたは好むと好まざるとにかかわらず、この世界を救う。それが『神』のご意志じゃ。」
この世界の『神』は、無形無象の実体のないものじゃなかったのか?そんなものに意志があるなんて反則だろう。
「ムリ、ムリ、絶対ムリです。」
「彼女の予言が外れたことはありません。」
全力で拒否っているのに、王太后様が止めを刺そうとしてくる。
なおも否定しようとした俺は、ある事に気づいて「え?」と固まった。
「……言葉が通じている?」
俺は異世界トリップチートで人間の言葉も獣人の言葉もわかる。
だが人間と獣人は互いに言葉が通じず、簡単な単語程度しかわからぬはずだった。
何より人間は獣人が言語を操ると思っていない。
それがこの世界の常識のはずだ。
でも、今の王太后様の言葉は、どこからどう聞いても獣人のおばあちゃんの言葉を理解しているように聞こえた。
「言葉がわかるんですか?」
俺の問いに、王太后様もおばあちゃんも両方が頷く。
「我らは、人と獣人それぞれの種族の巫女です。我らには『神の賜いし御力』があります。」
それでかと納得すると同時に、俺の中にモヤモヤとした感情が生まれた。
という事は――――
「王太后様は、獣人が人間と変わらぬ知恵と知識、文化を持つ存在だとわかっていたって事ですよね?」
言葉が通じ会話が成り立っているって事は、そういう事だ。
「……なのに、何故獣人を人間の奴隷のままにしておいたんですか!?」
この獣人のおばあちゃんは獣人の巫女だという話だった。ならば、かなり高齢の知恵者のはずだ。ナウ○カの大バ○さまだって、村一番の知恵者であり、みんなから敬愛を受けていた。
そんな獣人と一緒に居て、獣人が奴隷なんて身分でいていい存在じゃないって事を、わからないはずがない。
獣人と人とが対等に暮らしていた過去の事だって、絶対聞いて知っているはずだ。
それなのに、かつての王妃であり最高の巫女姫でもあったはずの、この目の前の凛とした老婦人は、何もしなかったんだ。
俺の非難に王太后様は辛そうに眉をひそめる。
「どうして?!貴女なら獣人達を解放する事ができたはずでしょう?……奴隷なんていう、人が人を見下すような制度を、何故そのままにしておいたんです!」
王太后様に投げつけた言葉は、そっくりそのまま俺の元へも返ってくる。
できる事があるのに何もしないのは俺も同じだった。
「――――ユイファを責めないでやってくださらんか。」
俺を止めたのは、不思議に静かに聞こえるガラガラ声だった。
見えない瞳が俺を見る。
「救世主様。あなたもわかっておられるのじゃろう。我らを解放するのは、それほど簡単な事ではない。」
……それは俺だってよくわかっていた。奴隷制度が間違っていると認識しているはずの地球にだってまだ奴隷は残っている。
「我らは、我らを所有していると思っている人間にとっては固有の財産なのじゃ。個人のモノを無条件で手放せなどという“暴挙”を、いくら国の権力者とはいえ、何の“抵抗”もなく罷り通せるはずがない。ましてや国を興したばかりの王には無理じゃ。」
そう。そんな“暴挙”を押し通すためには大きな“抵抗”を覚悟しなければならないだろう。
アメリカの奴隷解放には南北戦争が必要だった。
国の命運をかけるようなそんな“暴挙”を、移民して国を興したばかりのロダの国王にできるはずがない。
――――国王は、万能な存在でなんかないんだ。
「……同じように、救世主様、あなたにもそれは難しいことなのじゃ。現国王を助けその無二の親友と目されているあなたでも、なんの犠牲も出さずにそれを押し通すことは現実には不可能じゃ。だから、あなたはご自身を責める必要はない。」
俺は唇を噛み締めた。
「ユイファもご自身も責めないでおやりなさい。あなた方は悪くない。獣人族の巫女ヴィヴォがそれを保証する。」
小さな小さな獣人の老婆がとてつもなく大きく見えた。
俺は、大きく息を吐き出す。
「……カッコわる。」
なんにもできず他人を責めて、それを虐げられている存在のはずの当の獣人のおばあちゃんに慰めてもらうなんて、情けないにも程があるだろう。
情けなさ過ぎて涙が出そうだ。
「ユウ様。あなたは私の夫によく似ています。」
唐突に王太后様がそう言った。
私の夫って、前国王のアディのおじいちゃんのことか?
いやいやそれはないだろう?
前国王っていえば、歩くトカゲみたいな化け物から人間を救け、海を越えてこの大陸に渡り、国を築いた英雄みたいな存在だろう。アディのおじいちゃんで同じ金髪って事はやっぱり凄い美形だったんだろうし。どこからどう見たって俺との類似点なんか見つからない。
引き攣った俺の顔に、「そんな表情までそっくりです。」と王太后様は嬉しそうに笑った。
「夫は、いつも悩み迷っていました。自分のする事に自信がなく、これで良いのか、良かったのかと自問自答を繰り返し、反省と自己嫌悪ばかりしておりました。」
俺の目は丸くなる。
「あれは、うっとうしかったのぉ。」
獣人のおばあちゃんヴィヴォが嫌そうにため息をつく。
「本当に。何度見捨てようと思ったかわかりませんわ。」
王太后様は、さらりとそう言った。