驚愕 2
マヌケにも俺はポカンと口を開けてしまった。
「昼間、俺の仲間に“降りて来た”と告げただろう?」
思わず俺は上を向き天井を見て、そのまま下を向いて床を見る。
慌てて獣人の男がショートソードを引いたが、俺はそれに気づかないくらいに混乱していた。
(“降りて来た”って、どこからどこへ?……塔の階段じゃないよな。)
考えて……ようやく俺は、昼間獣人の女の子に降りて来たのかと問われて、うんうんと頷いた事を思い出した。
(まさかっ、あれか?!)
同時に俺の頭の中には、アディから聞いた救世主伝説が思い浮かぶ。
『いつの日にか、この地に金と銀の光を纏いし者が降り立ち、全ての人々を救うだろう』
(え?えぇっ…………え、え、えっ?!)
「ち、違う!あれはそんな意味では、なくてっ……」
俺はブンブンと首を横に振って否定する。
獣人の男は、シッ!と言ってショートソードを光らせて俺に静かにするように命令した。
俺は、今度はコクコクと首を縦に振る。
「……そうだと思った。」
獣人の男は、小さくそう呟いた。
「救世主伝説など、弱い奴が見るおとぎ話だ。」
その意見に100%賛成する。賛成するからそのショートソードを退けてくれないかなと俺は思う。
俺の必死な願いが通じたのか、獣人の男がショートソードを降ろした。
俺はホッと息を吐く。
もちろんこの状況でも彼がヤル気になれば、俺などはあっという間に殺されてしまうだろう事実は変わらないが、それでも首筋に剣を突き付けていられるのとそうでないのとでは違う。
ちょっぴり安心した俺は、素朴な疑問を口にしていた。
「何でそんな途方もない事を思いついたんだ?」
俺は、降りて来たのかと聞かれたから頷いただけなんだ。そもそも俺なんかにそんな質問が出ることの方がおかしい。言葉が通じただけでそこまで飛躍した考えにはならないだろう?
俺の疑問に、獣人の男は、とんでもない答えを返してくれた。
「お前が最初にこの城に現れた時、お前は金の髪をした人の子の王に大切に抱かれ、後ろに銀の髪をした神に仕える人の子を従えていた。あの言い伝えの本当の形は、『いつの日にか、この地に金と銀の光を従えし者が降り立ち、全ての人々を救うだろう』というのだ。」
俺は、思わず舌打ちをしそうになった。
(アディ!お前、なんて事をしてくれたんだ。)
大切に抱かれていたって、まさか横抱きじゃないだろうな?
――――その場面を想像しようとした自分の思考を自分でムリヤリ止める。
俺の顔は羞恥で真っ赤に染まった。
そんなところを他の人達に見られていたのだとしたら……俺は、恥ずかしくて死ねる。
「お前が神殿からこの部屋へと運ばれる間に、お前を見た俺の仲間達は全員ついに救世主が現れたのだと興奮していた。」
…………俺の、人生は終わった。
明日からどんな顔をして外を歩けばいいんだ。
「その上に、昼間の“降りて来た”発言だ。仲間達は『間違いない!』と浮足立っている。」
とんでもない誤解だった。
「本当に違うんだ。俺はそんな救世主なんて大それた存在じゃない。」
俺の必死の訴えに、獣人の男は「わかっている。」と頷く。
「救世主なんていない。」
その声は……苦く響いた。
俺は、おそらくこの獣人の男が奴隷という身分故に持っているだろう悲しみと絶望にちょっと同情しそうになって、慌てて気持ちを引き締める。
俺に他人を同情しているような余裕は無い。
「お願いだから君の仲間に否定しておいてもらえないか?俺がこの世界に来たのは、アディが礼を言いたいって呼んだからで、間違っても救世主降臨なんていう御大層なものじゃないんだ。」
「礼?」
俺は、懇切丁寧に自分がこの世界に来る原因となった経緯を説明した。
「……そうか、あの疫病が急速に治まったのはお前のおかげなのか。」
「治まったって、俺はアイデアを出しただけで実際動いたのはアディなんだ。本当はそんなに感謝される事でもなんでもなくて……」
「いや。助かった。」
なんとあの疫病は獣人にも広まりかかっていたのだそうだった。獣人は人よりも丈夫だから感染するのはゆっくりだったそうだが、あのまま疫病が治まらなかったら危なかったと彼は言った。
ショートソードが鞘に納められ懐に戻される。
俺は安堵に腰が抜けそうだった。
「ともかく、俺は普通の人間で救世主なんてもんじゃないから。」
そこだけは何がなんでもわかってもらいたい!
救世主として異世界トリップなんて、どんな厨二病だよって思う。……俺は大学院の2年生なんだぞ。断じて、厨二じゃない!
俺の主張に獣人の男は頷く。
わかってもらって、もの凄く嬉しい!心底ホッとした俺は彼の態度が落ち着いてきた事に気を良くして、2つめの質問を彼にぶつけた。
「それにしても、なんで人間も獣人も同じ救世主伝説を持っているんだ?」
リーファは、獣人には言葉が伝わらないと言っていた。そしてあの獣人の女の子も俺が獣人の言葉を喋ることにびっくりしていた。実際には俺は獣人の言葉を話していたわけではないけれど、彼女達の様子から人と獣人が言葉によるコミュニケーションをとっていないという事は丸わかりだった。
(いや、奴隷として使役しているんだから、簡単な命令の言葉なんかは伝わるって事なんだろうな。)
犬や馬なんかに指示を出すのと同じだ。
人と獣人の間の言葉の壁はとてつもなく高いものに俺には思えた。
獣人の男は、瞳に何の感情も表さずに驚くような返事をくれる。
「獣人も人も崇める神は同じだからな。」
「え?」
「――――はるかな昔、獣人と人は対等な存在として共に暮らしていたんだ。」
(えっえぇえええぇっ?)