意地悪な先輩の挑戦状・八月――ホテル・オーシャンビューの殺人
八月。夏休みである。
高校二年生にとっては天国といっていい日々であり、逆に高校三年生にとっては受験に向けた最初の地獄の日々といってもいいだろう。
そんな中、渋い顔をした高校二年生と笑顔の受験生がファミレスの一角で向かい合っていた。
一人は高校二年生の僕である。
そして向かいには、推理小説研究会――略して推研――のもう一人の部員、林明日香先輩が人の悪い笑みを浮かべていた。
「……何やってるんですか、受験生でしょうに」
もはやため息しか出ない。この人はまた犯人当ての問題を作って、しかもわざわざ夏休みに僕を呼び出したのだ。
僕のそんな呆れ顔に先輩はしれっとした顔で言った。
「受験生だって息抜きは必要なんだよ? ずっと勉強ばかりしていたら壊れちゃうじゃない」
「だからって捻くれた犯人当てを作って僕に解かせることないでしょうに」
「んー? なんで捻くれてるって分かるのかな?」
「今まで捻くれてなかったことがありますか」
そう、先輩の犯人当ては物凄く捻くれているのだ。
小柄でつぶらな瞳、細くて長い黒髪と、正に見た目は可憐な美少女という言葉が似合う先輩だが、彼女が僕に出してくる問題は見た目と正反対。
巧みに罠を張り巡らせ、僕を陥れては、デザートや食事を奢らされるのだ。
「で、今回は……『ホテル・オーシャンビューの殺人』ですか」
「そう。せっかくの夏休みだからね、夏らしくいこうと思ったんだ」
「先月はエイプリルフールだったのに」
「そこはそれ。二ヶ月連続で夏の話だと面白くないだろう?」
「……はあ、分かりました。では、挑戦させてもらいます」
こんな言い合いをしても先輩には勝てない。僕は目の前にある「ホテル・オーシャンビューの殺人・問題編」と書かれた紙束を手に取った。
――――――――――
第一章 犯行
ルーカス・マギーガンはヴェラスコ島のホテル・オーシャンビューの303号室でゆったりと寛いでいた。
世界でも類を見ないこのホテルのスイートルームを一人で楽しめるのは、最高の贅沢と言っていいだろう。
窓の外に広がる海、そして輝く太陽を見ながら、彼がそんなことを考えていた時である。
窓の外から、何かが凄いスピードで近づいてくるのが見えた。
ルーカス・マギーガンにはそれが何であるかは分からなかったが、それが自分の命を狙ったものだということだけは分かった。
「ひいっ……!」
それから逃れようと、彼はとっさに身を翻し、椅子に脚をもつれさせて転倒した。
這いつくばった顔には、迫りくる死への恐怖が張り付いていた。
「やめっ……」
彼の最期の言葉と同時に、窓が粉々に破壊された。
第二章 初動捜査
「オーシャンビューで殺人?」
俺の言葉に、警部はゆっくりと頷いた。
「そうだ。被害者はルーカス・マギーガン。アメリカから来た大富豪だそうだ」
「なるほど。とすると、ゆきずりの強盗の可能性もありますね」
「いや、それはない」
そう言って、警部は俺に犯行現場の様子を語った。
「窓をぶち破って、ですか……それではゆきずりの強盗ではないでしょうね」
「ああ、計画的な犯行と見るのが妥当だろう」
「死因はやはり溺死ですか」
「他に何が考えられる?」
警部の言葉に俺はため息をついた。ホテル・オーシャンビューで溺死。殺され方としてはあまり上等なものとは言えない。
「これから現場に向かう。お前もついて来てくれ」
「了解しました」
警部の言葉に敬礼を返し、俺は捜査の準備を始めた。
ホテル・オーシャンビューは数年前に建造された、この島の最高級リゾートホテルだ。
「常夏の輝く海をその手に」というキャッチコピー通り、一日を通して太陽に照らされて輝く海をホテルの部屋から望むことができる。
その特殊な構造も相まって、富裕層に人気のホテルだった。
我々が現場に着くと、ホテルの入口付近は既にたくさんの野次馬と数少ない捜査官でごった返していた。
警官の一人が警部と俺を見つけると、人ごみをかき分けてこちらへやってきた。
「警部殿、部長刑事殿、現場は既に鑑識が入っておりますが、どうなさいますか?」
「仕方ない、なら連中の仕事が終わるまで待たせてもらおうか」
「先にフロントの人間に事情聴取を行なっても良いのでは?」
俺の問いに警部は首を横に振った。
「いや、先入観のないうちに現場を見た方がいい」
そんな言葉を交わしながらホテルに入り、フロントを素通りする。
緊急事態のためだろう、客室の全員が最上階であるフロントに集まっているようだった。
そのままフロントの奥にあるエレベーターで一つ下り、「3F」と書かれたフロアに降り立った。
「フロントからこうやって下りて三階ってのも変な話ですね」
「世の中には変なホテルなんざごまんとあるさ。俺が知ってる国のあるホテルは一階にも四階にも五階にも出入口があった」
俺がホテルの構造にそうぼやくと、警部はそう言って現場の303号室に入っていった。俺も後に続く。
部屋には既に鑑識が入っていて、死体は運び出された後だった。
「どうだ博士。首尾の方は?」
警部は割れた窓ガラスを観察している鑑識主任にそう問いかける。
現在は割れた窓ガラスの外側にシャッターが下りている。窓ガラスに何らかの衝撃がかかると、このように安全を確保する仕組みなのだろう。
今回は役には立たなかったが。
博士と呼ばれた彼は、ウンザリとした様子で立ち上がりこちらに歩いてきた。
「どうもこうもないね。死亡推定時刻は正午前後。外から窓ガラスを割られて溺死。それだけだ」
「外からで間違いないのか?」
「室内にロケットランチャーを隠して持ち込んだ上にわざわざここで自殺するためにぶっ放すなんて可能性を考えなきゃな」
「死因は溺死で間違いないのか?」
「詳しくは解剖に回してみないとなんとも言えんがね……見た限りでは索状痕や擦過傷、大量出血の跡も毒物摂取の様子もなかった」
「すると問題は窓ガラスをどうやって割ったか、だな」
「それに関しては面白い物がある」
そういうと鑑識主任は窓の方に戻っていった。警部と俺も続く。
歩くたびに水を含んだ絨毯が音を立てるのが不快だ。
鑑識主任は窓ガラスの破片が入った袋を見せた。
しかし窓ガラスにしては形状が歪んでいる。
「おそらく爆発物の類だろうな。それを外から叩き込まれたんだ。ひとたまりもない」
「なぜ外からだと分かるんですか?」
俺がそう言ってみると、鑑識主任はジロリと俺を睨んだ。
「少しは考えろ。このホテルの窓ガラスは構造上、防弾仕様の特殊ガラスだ。内部からぶち破るための時限爆弾なんぞ置いてみろ。部屋の天井に爆発の跡がつくだろうが」
言われて俺は天井を見上げる。どこにもそんなものは見当たらない。
「ってわけで、外から爆発物を叩きこまれたと見るのが一番妥当だろうな」
「なるほど。ということは犯人はそれなりの距離からミサイルのようなものを撃ちこまれたと考えるのが最も自然だな」
警部の言葉に鑑識主任は大きく頷いた。
「ああ、ただ、このホテルは海沿いだし、割られた時間は死亡推定時刻の正午前後で間違いないだろう。とすればそれなりに犯人は絞れるはずだ」
「さしあたっては動機のある人間を洗い出すことですね。犯行の規模から行きずりの強盗とは考えにくい。観光地であるこの島で被害者に関係のある人物など限られています」
俺の言葉に警部は頷き、鑑識主任は首を振った。
「そいつはお前さんがたの仕事だね。こっちはもうちょっと調べてみるよ。なんか捜し物ができたら連絡をくれ」
「わかった。よし、フロントに行くぞ」
警部のその言葉を合図に、俺と警部は事情聴取へと向かった。
第三章 事情聴取
フロントでの事情聴取の結果、被害者に関わりのある人間はこの島に三人いることが分かった。
一人はヘイデン・マロー。長年被害者の秘書を務めており、被害者の隣の部屋である302号室に宿泊している。
犯行当時の正午前後は、休憩時刻ということで島の北側のビーチにいたそうだ。
また、このマローの証言から、被害者に関係するもう二人の人間が浮かび上がった。
一人はマリア・シードラ。被害者の娘で、離婚した母親に代わって被害者と慰謝料についての会談を行なう予定だったらしい。
彼女の宿泊先は、ホテル・サウスヴェラスコ。この島の南側に位置する老舗のホデルである。
もう一人はロドニー・ボード。この男はかつての被害者の共同経営者だが、半ば追い出されるような形で退職させられたらしい。
彼の宿泊先はイースタン・ロッジ。島の東側は狭いながらも平地があり、そこにいくつかのロッジが建っている。
「金があるんだから金で解決すればいいでしょうに」
「まったくだ。金のある人間の考えることは分からん」
俺と警部はそう愚痴りながら、残りの二人への事情聴取に向かった。
この島は元が火山島であるため、中央に大きな山があり、それを囲むように道路が整備されている。
また、山の中腹に環状の道路が作られており、東西南北それぞれから、中腹の環状道路への道路が通っている。
といっても元が火山島、道は曲がりくねっていて、島の反対側から反対側へ行くのでない限りは通常は使わない。
だが今は島の北東部の道路が改装中のため、島の東部・北部間は環状道路を使わなければならない。
まず我々はマリア・シードラへの事情聴取を行なうことにした。
環状道路という名の悪路を一時間かけてドライブして南岸に出ると、魚河岸が見える。
この島の南側では漁業が盛んで、かつてはそれが唯一と言っていいほどの産業だった。
観光地として発展し始めたのはここ数年のことである。
彼女の宿泊しているホテル・サウスヴェラスコはその頃からの古いレンガ造りの宿屋である。
年月のせいもあるが、山の南側に建っているため日当たりが悪く、あちこちに苔が生えている。
宿の主人に要件を話すと、彼女はちょうど散歩から帰ってきたところだという。
主人に部屋番号を教えてもらい、我々は彼女の部屋へ向かった。
「殺された? まあ不思議はないけどね。でもあの男が死んだってあたしには一文の得にもならないわ」
ルーカス・マギーガンが殺されたことを知らされたマリア・シードラの第一声はそれだった。
どうやら被害者は色々と恨みを買っていたらしい。
「離婚の慰謝料で揉めているという話だったが、死んだら遺産が手に入るだろう?」
「ちゃんと遺書の一つでも残してたらね。遺書もなしに死んだらよけいややこしいじゃない」
それに、と彼女は渋面を作って言葉を続けた。
「最近あの男、新しい女を作って同棲してんのよ。遺産の取り合いになるかもしれないわ。ああもう!」
「再婚される前に殺した、と考えることもできるがな」
「とにかく私じゃないわよ」
「ふむ、それでは犯行のあった正午前後、どこにいたのか証明できるかね?」
「いわゆるアリバイってやつね……そこの魚河岸をしばらく見た後、海岸を散歩してたわ。魚河岸に証人がいるでしょう」
「分かった。取りあえずはこれだけだ」
その後魚河岸で聞き込みを行なうと、確かに彼女がここにいたことが分かった。
しかし11時30分頃に海岸の方に下りて行った後については、彼女のアリバイを証明するものはいなかった。
次に我々はイースタン・ロッジに向かった。
イースタン・ロッジはホテル・オーシャンビューの少し前に建てられた宿泊施設で、一棟最大で2,3人しか泊まれない。
反面、プライバシーが保護されていることもあって、オーシャンビューほどではないがここも人気があった。
ロドニー・ボードが泊まっているロッジは、東岸の桟橋にもっとも近いところだった。
泊まっているログハウスで彼への事情聴取を行ったところ、被害者とはすでに昨日面会しており、幾ばくかの金銭を貰い受けることで妥協したらしい。
「私の希望には遠く及びませんがね。あの守銭奴と争ってこれ以上時間を使うよりはマシというものです」
そう語る彼の顔はさっぱりしていて、とても彼に殺意があったようには見えない。
しかし我々は一応の手順として彼のアリバイを調査した。
犯行時刻の正午前後には、彼はロッジの自室にいて、アリバイを証明するものはいないとのことだった。
第四章 物的証拠
署に戻ってくると、現場にいた鑑識主任が我々を待ち構えていた。
「死因は特定できたか?」
「ああ、予想通り溺死だ。疑う余地はない」
警部の問いに間髪入れずに答えると、鑑識主任はニヤリと笑った。
「面白い物が見つかったんだ。お前さん達なら興味を持つだろうよ」
そう言って彼が懐から取り出したのは一枚の写真だった。
「これは……ボートか?」
警部の問いに鑑識主任が頷く。
「ああ、現場から沖合に行った辺りで見つかった。他にもこんなものがあったぞ」
そう言って主任が出した写真には、海中を泳ぐためのフィンや銃器らしきものが写っていた。
「参考になったかね?」
写真を見る警部に鑑識主任は尋ねかけると、警部は大きく頷いた。
「ああ。犯人の見当がついたよ」
そう言って警部は俺に指示を出した。
「一応、容疑者の三人がボートを運転できるかどうか確認してくれ」
その言葉に俺は頷き、三人の身元を再度調べた。
結果は三人ともボートの運転ができるということだった。
その報告を聞くと、警部はかすかに笑みを浮かべてこう言った。
「よし。では犯人を逮捕しに行こうじゃないか」
――読者への挑戦状――
さて、ここで私は一度この事件についての筆を止めることにする。
そして、あの有名な言葉をここに記すことにする。
『私は読者に挑戦する』
ホテル・オーシャンビューの殺人の犯人は誰か? それを読者諸兄には指摘していただきたい。
推理のための材料は十分に揃っている。読者よ、真相を見抜かれんことを!
――――――――――
「……これで終わりですか?」
僕の言葉に先輩は頷いた。
「ああ、さすがに受験勉強中だから問題を作る時間が中々取れなくてね。でも短くて分かりやすいだろう?」
その時間を勉強に当てるという発想はないのか、と思いながら僕は問題を読み返す。
ホテル・オーシャンビューの三階、303号室での溺死。容疑者は三人で、犯人はボートで移動してロケットのようなもので窓を破壊した。
よく分からないのが、犯人が部屋に侵入した方法だ。
窓ガラスを壊したとはいえ、高さは三階。
どうやってそこまで登ったのかの描写が一切ないのだ。
また、三階まで登ったのなら目撃者がいないか捜査してもいいはずだ。
どうにもおかしい。
「どうしたんだい? いつになく悩んでるじゃないか」
先輩の声を無視して僕は必死で考え込む。
おそらく……そう、おそらく目撃者が期待できない状況だったなら納得がいく。
でも三階まで登るのになぜ目撃者が期待できないんだ?
「……あっ」
思わず声を上げた僕に先輩がピクリと反応する。
それを視界の端に捉えながら僕はある文章を追っていた。
『フロントの奥にあるエレベーターで一つ下り、「3F」と書かれたフロアに降り立った』
『世の中には変なホテルなんざごまんとあるさ。俺が知ってる国のあるホテルは一階にも四階にも五階にも出入口があった』
そう、日本にもある。スキー場の付近のホテルなどは正面の玄関とは別にゲレンデに出るための出入口が別にあるのだ。
そして山の傾斜によって出入口の高さが変わってくる。
そしてこのホテルもそうだとしたら?
そう、フロントが地上にあり、その下、つまり水中に三階から一階があるとしたら!
正に「特殊な構造」のホテルだし、窓ガラスを破るだけで大量の海水が流れ込んで溺死するはずだ!
ホテルに入った時の『非常事態のため、宿泊客全員がフロントにいた』という描写とも一致する。
ならば後は犯人を絞るだけだ。
現場の沖合にボートが沈められていた、ということは犯人はホテルのすぐ近くにいたはずだ。
日当たりが良いホテルということは南側。つまりホテル・サウスヴェラスコに宿泊していたマリア・シードラが犯人だ。
僕は犯人とそのトリックを書いて先輩に提出する。
先輩は真剣な面持ちでそれを見つめる。
……今回こそ勝ったか?
そう思った瞬間、先輩があの小悪魔のような笑みを浮かべた。
「惜しかったねえ! 半分は合ってたよ。だけどもう半分の方は見破れなかったね!」
そう言って得意満面に「ホテル・オーシャンビューの殺人・解答編」と書かれた紙束を僕に渡した。
――――――――――
「なぜ殺した?」
警部の単刀直入な問いに、犯人――ヘイデン・マローに問いかけた。
「ということは、私がどうやって殺したのかは既に分かっているのですね」
マローは平然とした態度を崩さなかった。
「ああ、お前は北側のビーチから少し離れた場所にボートを隠しておき、そこから現場に向かった」
そこで警部は一つため息を吐いた。
「現場につくとお前は海中に潜り、手動の魚雷のようなものを303号室に向けて打ち込んだ。当然、海中にいた被害者はひとたまりもない。あっという間に部屋中に海水が流れ込んで溺死したってわけだ」
「その通りです」
「だが分からんのは動機だ。お前は長年被害者の秘書を務めていた。被害者の性格は知り尽くしていたはずだ。なぜ今更殺した?」
「それは想像にお任せします」
マローは仮面を被ったかのような無表情と悠然とした態度を崩さなかった。
まるで自分が捕まることがどうでもいいかのように……
警部は彼をしばらく見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「マリア・シードラか」
一瞬、マローの肩が震え、表情が崩れた。
しかし、次の瞬間には彼は再び仮面を被り直した。
「ご想像にお任せします」
彼はきっと、裁判でも動機について釈明することはないのだろう。
そう思いながら、俺と警部は取調室を後にした。
――――――――――
「……あれ?」
合っていた。確かに犯行の方法も、ホテルの特殊な構造も合っていた。
なのになぜか犯人が違っている。
「な、なんで?」
見上げると先輩の満面の笑みが見えた。殴りたい。
「それは君が問題文をちゃんと読まなかったからだよ」
「ど、どこがですか? ちゃんとホテルの構造も犯行方法も合ってるのに、なんで犯人だけ違ってるんですか?」
混乱している僕に先輩は問題文を再度取り出し、トントンと文中のある場所を叩く。
「『環状道路という名の悪路を一時間かけてドライブして南岸に出ると、魚河岸が見える』……犯行現場が南側ならわざわざ環状道路を通って島の南側に出る必要はないだろう?」
「あれ?……でも、なんで……?」
「その理由だってちゃんと書いてあるじゃないか」
そう言って先輩はもう一ヶ所を指差した。
「『年月のせいもあるが、山の南側に建っているため日当たりが悪く、あちこちに苔が生えている』って。この島は南側の日当たりが悪いんだよ」
「南側の日当たりが悪い?……あ、ああっ」
ようやく気付いた。先輩の仕掛けたもう一つのトリックに。
つまり、これは……
「そう、この事件の舞台は『南半球の小島』だったんだよ。だから太陽は北東から上るし、正午には真北にある。当然、ホテル・オーシャンビューも島の北側に建っているのさ」
「うぎぎ……」
「いやあ、あと一歩だったのにね。犯行方法とホテルの構造を見破ったのは中々だったよ。解答を読んでる途中で解かれたんじゃないかと冷や冷やした」
「……本当にそう思ってます?」
「デコイの叙述トリックに気を取られて本命に見事に引っかかってくれたなーとか、思ってないよ?」
そう言ってにこりと笑いかける先輩。すげえ可愛い。そして全力で殴りたい。
「というわけで、今回も私の勝ちだ。さて、何を奢ってもらおうかな?」
満面の笑みでそう言う先輩に、今回も僕は屈することになったのだった。
「今回はかき氷ですか……」
「夏と言えばかき氷でしょ。やっぱり」
というわけで、引き続きファミレスに居座った僕と先輩はデザートのかき氷を頬張っていた。
ちなみに先輩がレモン味。僕がブルーハワイである。
しばらく黙々とかき氷を味わっていたが、ふと気になって先輩に尋ねてみた。
「ところで、なんでかき氷でレモン味なんですか? 甘い方が合いません?」
「そうかな? いちごとか甘すぎて胸焼けしちゃうよ。ところでなんで君はブルーハワイなの?」
「なんか夏っぽくて好きなんです。さっぱりしてるし」
「でも舌が真っ青になっちゃうじゃないか」
その言葉にふと悪戯心が芽生えた。
なんの前触れもなく、ベッっと舌を出してみる。
「わっ!」
先輩が大声を上げて身を引いた。小動物が怯えているようだ。
「青かったですか?」
笑いながら問いかけると、先輩は頬を膨らませて怒る。
「まったく、いきなりびっくりさせないでくれよ。大体そんな色でホントにおいしいの?」
先輩の言葉に少々ムッとした僕は、食べかけのブルーハワイを先輩の方に押し出した。
「じゃあ一口どうぞ」
そう言うと先輩は目を白黒させていたが、やがて意を決したようにブルーハワイを掬って一口食べた。
「ん……おいしいね」
「でしょう?」
ちょっと自慢げにそう言うと、先輩は少し居心地悪そうに身じろぎした。
何か変なことを言っただろうか?
そう思っていると、先輩は唐突に自分のレモン味のかき氷を掬って僕の方に突き出した。
「一口ずつ。交換だ」
「……あ、は、はい」
勢いに気圧されるように先輩のかき氷を口にする。
レモン味が口の中に広がる。
「レモンもおいしいだろう?」
「……そ、そうですね」
酸っぱいはずのレモンが、なんだか妙に甘く感じた。
すべりこみセーフ