8、不良と少女2
めんどくせぇな。
そう、団地は内心舌打ちをしながら己の足を見下ろした。
学生服特有の深い、深い黒にもにた紺色。
その制服のしたから、少しばかり滲む血は紺色に阻まれ目立つことはない。
よく目を凝らさねば、血どころかズボンが濡れている事さえわからない。
それなのに目の前の小さな少女にはすぐ気付かれてしまった。
目線が低いせいだろうか。
団地がぼんやりとそんな事を考えていると、次第に団地が怪我をしているのに気付いた周りの連中のざわめきに溜息をつくしかなかった。
周囲の者たちは団地が今まで一度も喧嘩で大きな怪我をした事がないと思っている。
団地は無敗の最強の男であると信じ切っている。
だからこそ、この反応は仕方がないのかもしれない。
しかしそれは大きな間違いだ。
日々、あんなに拳を振りまわす日々を送っていて怪我をしない等あり得る筈もない。
いつもではないが、見えない部分に大きな怪我を負った事は何度もある。
ただ、それがどんなに深い傷であろうと、痛かろうとも表面上何ともないように振る舞っていただけなのだ。
何故団地がそのような振る舞いを常としていたのか。
その理由は2つある。
一つ目は「意地」という単純明快なもの。
自分の弱い姿を他人に見られたくないという、団地の微かに持つトップとしてのプライドというやつである。
そしてもう一つの理由。
それが最大にして最高の、柏原 団地という男の根幹を形作る理由だった。
「面倒」「迷惑」「煩わしさ」
今まさに感じる周りからの心配そうな視線。
周りからの心配など面倒極まりない、団地自身が人を心配したり気遣ったりするのが面倒なのと同様、されるのも心底面倒な行為でしかないのだ。
そこから考えると今日の団地の、目の前に立つ小さな少女への言動は自分自身驚きを隠せずにいた。
なんで自分はこんな知り合いでも何でもない、ましてやさっき会ったばかりの子供に対してこんなに執着してるのか。
この子供こそ
「面倒」で、「迷惑」で、「煩わしい」筈だ。
なのに、何故だろう。
おかしい事この上ない。
一緒に火葬場捜してやるなんて言った瞬間、団地は自分の頭がおかしくなったんじゃないのかとさえ思った。
しかも更に驚いたのは、少女が団地の申し出を断った時に現れた彼自信の感情だ。
確かに最初は頭にきた。
だが、次の瞬間にはその真っ赤に揺さぶられた怒りという気持ちの大半が、何か冷たいもので溢れるのを感じた。
その感情にもし名前をつけるなら――…
寂しさ。
「………っ」
頭をよぎったその言葉に、団地は頭をかきむしりたい衝動に駆られた。
ありえない。
柄じゃないにも程がある。
意味がわからない。
「(……クソッ、面倒くせぇ)」
団地がグチャグチャと頭の中で意味のわからない感情と戦っていると、突然隣に居たいぐさが「ちょっと怪我見せろ!」とズボンを捲り上げてきた。
とっさの事で反応が遅れた団地は何の抵抗もできないままズボンを上げられ、その瞬間足の傷があらわになる。
そこには大量の出血と共に、深い切り傷のようなものがあった。
「ちょっ……団地!これチョーやばいって?!てかこれ今回できた傷じゃないよな?!ぜってーそうだろ?!」
「…………別に」
団地は思わず、短くそう答えたが内心焦っていた。
そう、いぐさの言う通りだ。
その傷は今回の喧嘩で負ったものではない。
いつもバカみたいに笑っている能天気ないぐさの、たまに見せるその動物的勘のようなその鋭い意見が、団地にはどうにも苦手だった。
バカには一貫してバカでいて欲しいものだ。
団地は足の傷を心配そうに見つめるいぐさに、またしても煩わしさを覚えた。
そんな顔をしないでほしい。
面倒でたまらない。
「………くそ」
その傷は前回、大河高校の連中らと喧嘩した時に向こうの頭にヤられたものであった。
そして今回の喧嘩の相手も大河高校。
またしても拳を交えた大河高校のトップたるあの男は、執拗に団地の脚の傷を狙っていた。
もとは15針も縫う傷だったのだ。
すぐ治る筈もなく今回の喧嘩でまた傷がパックリと開いてしまった。
「(……あんのドS野郎が。えげつねぇ事ばっかやりやがって)」
団地はニヤニヤ笑いながら執拗に傷を狙って攻撃してくる男を思い出し、思わず吐き気を感じた。
今まで出来た表には見えない傷、それの多くはその男によってつけられたものである。
あの男は団地に跡の残るような傷をつける事に至上の喜びを感じているようであった。
悪趣味にも程がある。
団地は傷を狙いながら狂気じみた笑顔を浮かべる男を思い出し、背筋に悪寒が走るのを感じると、その妄想を振り払うようにズボンを捲し上げているいぐさを押しのけようとした。
その時だった。
団地の足の傷に何かがソッと触れてきた。
「っ!?」
それは少女の手だった。
「は?!テメェ何やってんだ?!きたねぇだろーが!」
団地が怒鳴ると少女はビクッと体を震わせ、団地を見上げると今度は何かに気付いたようにポケットからハンカチとティッシュを取り出した。
そしてハンカチで傷やその周りに付いている血を拭き取ろうとしていた。
その瞬間、団地は理解する。
この少女が先程の団地の言葉の真意を理解していないことに。
「違う!お前の手が汚ないんじゃねーよ!血がついてオメェの手が汚れんだろ!やめろ!つか、いぐさも離せ!こんくらい平気だ!」
そう、少女は団地の「汚い」という言葉を、己の手が「汚い」ものだと判断し、再度清潔であると予想される己のハンカチを取り出したのだ。
団地は予想のできない少女の行動に何とも言えない気持になると、そのままいぐさの手を振りほどき少女から一歩離れた。
すると、そんな団地に少女はまた無表情で団地の目をじっと見つめていた。
団地はそんな大きな目に居たたまれなくなり視線を外す。
すると突然少女がポツリポツリと話し始めた。
小さな、小さな声だった。
「平気じゃない」
小さな声だが、団地の耳にはっきり響く。
「……なんでテメェにんな事がわかんだよ」
団地は思わず声が震えるのを感じた。
「ずっと痛そうな顔だった」
少女の目は団地から離れない。
「……そんな顔してねぇよ」
現に今まで誰も気づかなかった。
気付かれた事など一度もなかった。
「隠し事すると目が動く」
逸らされていた団地の目が少女を捉える。
「は?」
少女はやはり団地を見上げている。
「お兄さんずっと足気にしてた」
そう言った少女の顔は無表情なのに、どこか悲しそうにみえた。
「……してねぇ…よ」
まさか。
団地は何時も通りだった筈だ。
「たまに目があし見てた」
何故だ。
「………見てねぇよ」
何故、少女が悲しそうな顔をする。
「ずっとお兄さん痛かった」
痛そうな顔をする。
「………痛くねぇっつってんだろ」
そして。
「なのに一緒にかそうば捜してくれるって言った」
少女は。
「…………」
「だから」
「…………」
「ありがとう」
そう言うと少女は団地のズボンの裾を上げて血を拭き始めた。
もう、団地も抵抗しなかった。
(わけわかんねぇ)