08
ざくざくと土を掘る。
ざくざくと土を被せる。
埋める。埋め尽くす。隠す。消してしまう。消えてしまえ。
柩もない穴の中に死体の自分がいる。なのに、それを埋めているのも自分だった。雨のように水滴が死体の頬に降った。埋める側の自分が涙を流しているのだと言う事に、ようやく気づいた。きっと酷い顔をしているのだろう。泣き顔が様になるのは美形だけだ。
涙の雨粒を顔に受けながら、死体の表情は穏やかだった。たぶん自分という人間の一番綺麗な顔でそこに埋もれている。花よりも美しい漆黒の土に埋もれて、そうして世界から隠される。
俺を殺すのはいつも俺だった。
自分を埋葬する夢を見る理由。美耶子や奈江や沢崎に尋ねてみたそれ。本当は、自分でわかっていた。
この心の中には、いつも「死」に対する憧れがある。
爪の中に土が入り込むのも構わずに墓穴を掘り続けた。力のない体を穴の中に横たえて土をかける。そうして埋めていく。自分を。
夢の中ではただ冷たい空と眩しい木立と残酷な月と眠る土だけが存在するこの光景は、ただ俺の憧れに存在する場面だった。だから稚拙な風景画のように薄っぺらくて現実感を伴わない。土に汚れた手のひらの粉っぽい感触だけがリアルだけれど、それだって実際に樹海の土をこんなにも掘ればもっと木の根にぶつかるとか、小石で指を引っ掛けて怪我をするとか、虫の幼虫を潰してしまうとかあるだろう一切合財を無視している。どこまでいってもここは所詮夢の中だった。
初めて死に対する憧れを抱いたのはまだ小学生の頃だった。
あの頃、母方の祖父の具合が悪かった。病気をしていたしかなりの高齢で、仕方のないことだったのだろう。だけれど、その祖父の世話をするために母は家を空けがちになった。夕食も作らずに祖父の家に泊まりがけで看病しにいくこともあり、我が家は荒れた。それまで母に頼りきっている生活をしていたのが悪かったのだが、父はもともと忙しい人だったし、俺は子どもだった。
そう、小学生は、十二歳児はまだ子どもだ。
本来なら夕食の支度も洗濯も掃除も母親に任せて自分のために全ての時間を使って遊びに耽る。そんな身勝手な子どもであるはずだった。現に高校生になった今だって、友人の大半はそういった生活をしている。だから当時小学生だった俺が両親に頼りきりでも、それに罪はないと思うのだ。
けれど当時の俺にはそれが許されなかった。いや、許すことを自分に許せなかった。
母が祖父のために出かけていて家のことができないなら、それは俺がやるべきことだと思った。家の中を漁って、一人で料理の本や洗濯機の取り扱い説明書を引っ張り出してきて読んだ。必要最低限のことを覚えるだけに、随分苦労した。それを行うだけで、手一杯になった。
その頃、学校では行事に対する朝練を行おうという計画が持ち上がっていた。
行けるはずがなかった。指定された時間は、家のことでいっぱいいっぱいの俺にとっては到底空けられるはずもない時間帯で。
だからただ「できない」と伝えたら、纏め役に嫌な顔をされた。つっけんどんな対応をされたら、こちらまで嫌な気持ちになった。詳しい理由を説明する気分にもならず――だいたいどうやって説明するんだ? 俺は母親の代わりに家のために頑張っている? そんな自分がまるで「エライヒト」だと自慢するような真似はしたくない。
サボった。言葉で言えばそれだけのこと。俺以外の学年の全ての人間が参加したそれを一貫して拒み通した。学校行事の朝練より俺は俺の家や母親や祖父のことが大事なのだと、自分の中で優先順位を自分で決めた。確かに決めたのは自分のはずなのに。
その年の終わり、つまりは卒業間際に祖父が亡くなり、母親も家に戻ってきて晴れて自由の身になったときに残ったのは、ただ虚ろな気持ちと激しい憎しみだけだった。
『ねぇ、皆、提案があるんだけれど――』
甲高い耳障りな声が弾んだ調子で言う。活動的なポニーテールの少女がクラスの纏め役で代表者だった。だから俺は彼女が嫌いだった。むしろ女そのものが嫌いだ。集団で固まらなきゃ何も言えないくせに自分たちの考えはさも当然に通るものだと思っている。
行事に参加しろと詰め寄ってくる輩はいたけれど、俺の話を聞いてくれる人はいなかった。所詮この世は多数決でできている。皆が右に倣うなら、左を向く奴は白い目で見られるだけ。
あの頃、確かに世界を憎んだ。
この世のあらゆる醜さをあげつらってこき下ろした。それも全ては独り言で、虚しい一人遊びだった。聞く者がいないのだからこの口が発した言葉の全ては痛いくらいに自分に跳ね返った。しかも、そうして俺が憎む相手は、自分が俺に自分の意見を押し付けたことを何とも思っていないのだから尚更だった。
あの頃から死に対する憧れがあった。
学校の同級生が皆で集まって歌の練習をしているだろう時間に一人、台所で包丁を握りながら、玉葱のせいにして泣いた。この世のどんなゲテモノより、俺の作った料理が一番マズイ。心臓の代わりに味覚が死んだ。
今の方がよっぽど軟弱な高校生をやっている。あの頃やっていた食事の用意も洗濯も、今は母が全てやってくれている。あの頃は看病に疲れきり肉親を喪ったショックで塞ぎ続けていた母は最近、よく笑うようになった。
その様子に安堵を覚えると同時に、時折ふと、どうしようもない苛立ちが襲った。
生まれてきたくもなかったこんな世界で、いらない命を後生大事に抱えて生きる自分はあまりにも滑稽だった。
だから死への憧れがある。そしてできるなら美しく死にたかった。生きている人間は、自分と言う生き物は、醜いと知っているから、なおさら綺麗に終わりたかった。
夢の中で埋葬される、薄っぺらい偽物の夜空の下の自分は安らかな顔をしており、たぶん俺という人間の中では最も美しい表情をしている。
けれどその自分を埋葬するもう一人の自分が泣いていた。
憎んでいた相手――小学生時代の同級生とは、高校に入った時点で縁が切れた。その時点で俺は抜け殻のようになった。顔を合わすたびに何気ない応対をしながら噴出しそうになる憎悪を押さえ込むのに必死だったあんな面倒ももうないと思えば、歓喜と脱力が同時に襲ってますます生きる気力がなくなった。もう死んでもいいと思った。駄目だった。普段の登下校は自転車だけれど、入学式は三駅先まで電車で行った。駅のホームから飛び込む自殺方法を選ぶことが一番多いのはB型だそうだ。そんな何百、何千人もに迷惑をかける方法は選べない。
またごちゃごちゃと考えている間に時期を逃し、そうして俺は見つけてしまった。
絵を描きたい。初めての生き甲斐は甘美で苦しかった。こんな年齢になって初めてやりたいことなど見つけてしまってどうするのだ。
高校生は若くはない。大人に言えばたぶん、何を馬鹿なと一笑に付されるのだろう。でも真剣だった。だって高校生活は三年間しかないのに、それを終えれば就職が目前に迫っている。大学に進学してまだ学生と言う名のモラトリアムをもらったとしてもたったの四年。そんな短い時間で、何ができるというのだろう。夢を追うためにそれ以上に時間をかけたいとフリーターなどの道を選べば、近頃の若者はとまた責められる。
いっそ全てを諦めてしまえば楽になれるのだろうか?
あやふやな夢を捨て、確かな苛立ちも人生などそんなものだと妥協し、届かないものに手を伸ばす事はやめ、ただ生まれたからという惰性で生きて、いつか死ぬ。――何のために生まれてきたんだ、俺は。
まるで馬鹿みたいな人生だ。その無駄な人生のために食料となる数多の動植物が屠られることを考えれば、やっぱり自分は今ここで死ぬのが世のため人のためなんだと冷静な思考が言う。自らを癒すために綺麗な言葉で命を飾るという、世間に流布するその思想こそが醜いと思う。本当に命が大事だと思うなら、皿の上の牛や豚の死骸を増やさぬために、今すぐにでもそれこそ樹海で首を吊ればいい。聞き飽きた残酷な綺麗ごとに俺は救われなかった。だから冷静と言う名の精神の非道を突き詰めようと思う。
死にたいと願うその同じ心の裏側で、だけれど感情が死にたくないと叫ぶ。
だからせめて、俺は俺を夢の中で埋葬するのだろう。死に焦がれる。安らかで美しい死だけが欲しかった。不可解な夢なのに、それでも目覚めは甘かった。いっそ一生、このまま目を覚まさないでいられたら。
なのに、埋葬する自分は泣いている。
何を悔やみ、悲しみ、悼んでか、泣いている。これが笑って墓穴に死体を埋める狂人の絵なら、どんなに美しいだろうと思うのに。
全てを達観できたらと願いながら、やはり俺はまだ、心のどこかで今も泣いている。