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微笑んで私を埋葬  作者: 輝血鬼灯
7/11

07

 その日、忘れ物を思い出して教室に向かうと、そこには見慣れた姿があった。

「織香……」

「あ、秋野だ」

 漫画のひとコマのように整頓された机と椅子など、現実でありえるわけがない。今日の放課後は掃除もなく、持ち主の性格によって大きく列を離れたり椅子が出しっぱなしになっていたりする教室。乱雑さを更に引き立てるのは、机の上に放置されている教科書や、横にきちんと掛けられている習字道具や裁縫道具の入った鞄の鮮やかな色彩だろう。壁は薄汚れた灰色で机は木の色、それでも大勢の人間が生活する空間であればこそ、なかなか殺風景という光景にはお目にかかれない。

 静まり返った教室に一人、吉野織香がいた。彼女の座っている席の隣に、彼女のものでない鞄が置いてある。極一般的な公立高校で指定の鞄も何もないので、使っているものはその人の趣味で自由だったがそれは大概の高校生が使っている何の変哲もないスクール鞄だった。汚い落書きもないしキーホルダーも五月蝿くない程度につけられた、特徴があるわけでもないがどこか見覚えのあるそれに視線を止めていると、織香がわざわざ説明してくれた。

「季瀬が用事あるからって。一緒に帰るから、待っているの」

「ああ。季瀬のか」

 言われてみればそれは確かに彼女の鞄だった。溌剌とした季瀬は、ごてごてとしたものが嫌いだ。気が強すぎる彼女は、普段から出しゃばりすぎない織香と仲が良い。逆に言えば彼女以外のクラスメイト、特に化粧の派手な女子の一派とは対立が激しい。ついでになるが、俺もあの一派とは仲が良くない。

世間一般からすればもっとも女子高生らしい女性高生である彼女たちからすれば、俺は何を考えているのかよくわからないイキモノらしい。俺だって彼女たちの考えなどわからない。ああいう一団との付き合い方だけは、要領の良い沢崎を尊敬する。

「秋野、どうしたの?」

「忘れ物をとりに……織香、季瀬の鞄どけていいかな? そこ、俺の席なんだけど」

「え? ああ。本当だ。ごめん」

 他人の持ち物を勝手に触るのは失礼な気もするが、そもそもそこは俺の席。ごめん、とここにいない本人に向けて一言詫びてから荷物をどけた。

 机の引き出しの奥から、英語の単語帳を取り出す。今日は顧問が休みで部活も休み。中途半端な時間ができてしまったからここは大人しく、受験生らしく勉強でもするべき……なのだろう。

「嫌そうな顔、してるね」

「……だって、嫌だし」

 本当はこんなことやりたくない。できるならば絵を描いていたい。単語の書き取りで腱鞘炎になるより、自分の好きなことをやって腕が折れた方が余程良い。

 だけど、知っているんだ。

 たぶん今から何をやったって、この半年以内には成功できない。そしてそちら方面で成功できる絶対の自信がないなら、そんな努力はするべきじゃないと。誰に対しても迷惑をかけるだけなのだから。就職に直結しない、その日の糧を得ることとは限りなく無縁に近い趣味的な夢などは、捨ててしまわないといずれは生きていけない。

 それが酷く歯がゆくてもどかしい。なんで俺はこんなところにいて、こんなことをしているのだろう。

「秋野? どうしたの?」

「あ……」

 あまりにも静に立っているもので、ついつい一瞬、このクラスメイトの存在を忘れていた。織香は観葉植物並の存在感でそこに立っている。

 ふと、先ほどまで椅子に座っていた彼女の手元に視線を移した。織香は一冊の本を抱きかかえている。知らない著者の知らない本だった。

 何かしら反応が見たくて、ついつい声をかける。

「その本、嫌いなんだ」

 彼女は笑った。

「でも私は好きだよ」

「俺は嫌いだ」

「そうなんだ。まあ、そういう意見もあるよね」

「……嘘だよ。本当は、大好きなんだ」

「そうなんだ。まあ、そういう意見もあるよね」

「織香」

「なあに? 秋野」

「結局、どっちでもいいんだろう?」

「うん。だってそんなの、秋野の勝手だからね。でも秋野、本当はこの本読んだことないでしょう?」

 見透かされている。何でわかったんだろう。その疑問が顔に出たのか、西洋人形風美少女はせっかくの容貌をチェシャ猫のようににんまりと歪めてさらに笑った。

「だってこれを読んだことのある人なら、これがエログロイカレを正しく極めた超ハードSM小説だって知って、嫌な顔するはずだもん」

「ええっ?」

 可愛い顔してなんてもん読んでんだコイツ。

「ウ、ソ★」

「……織香さぁん?」

「本当はね、単に死後硬直についてとか死体の風化速度についてとかの雑学」

 どうりで文庫本なのにやけに表紙が真っ黒いと……どちらにしろ笑えない。

 だけれど「死体」という言葉には少し心惹かれた。このところ何度も夢に見る、あの埋葬の夢が頭の中に思い浮かんだ。

 帰ろうとしていた体を好奇心が引きとめて、織香が今座っている隣、自分の席に腰を降ろす。こればっかりは学校ではどうしようもない、椅子を引く時の派手な音が耳を突いた。

「どんなことが書いてあんの?」

「興味ある?」

 織香はその本を手渡した。特に面白いのはこれとこれ、と目次の見出し文を読み上げながら注釈を入れてくる。どれも趣味を疑うような頁ばかりだった。

 夏の日暮れは遠く、明るい教室のだからこそ暗い逆光の中。

「……あのさ」

「んー?」

「結局織香はさ、俺が何にケチをつけても、『そういう意見もあるかもね』で済ますんだろ」

「うん、もちろん。私が何を読んでいても、それが秋野にとって何であっても」

「俺が、例えば織香が読んでいる本が夏目漱石でも、森鴎外でも、太宰治でも芥川龍之介でも」

「トルストイでも、ドストエフスキーでも、ルイス・キャロルでも、マルクスでも、ルソーでも、ホメロスでも、ボッカチオでも」

「最近流行の小説でも、国語の教科書でも」

「今日のお買い得品のチラシでもランジェリーカタログでもエロ本でも」

 さすがに最後の二つを学校で読む度胸のある人間はいないだろうが。

「俺がどんなことを言ったとしても、結局織香は流すんだろう。なんでもないことのように」

「うん。だって他人なんて関係ないじゃない。自分とは違う人間なんだから、意見の一つや二つ違って当然」

「血液型B型ですか?」

「うふふふ。当たり」

 本を閉じて織香はいつも通りの顔で笑った。乾いた紙のぶつかる、パシンと小気味良い音が響く。

「栞挟まなくていいの?」

「あ」

 そうこうしている内に、季瀬が戻って来た。一緒にいる俺と織香を見てちょっと目を丸くした後、嬉しそうな顔になる。

「あれ? あたしお邪魔だった?」

「まさか」

 むしろ、今までのは彼女を待つ間の雑談だったと言ってもいい。俺にとっては違うけれど、織香にとってはそうだろう。傍らの織香が立ち上がると同時に、季瀬が教室に入ってきた。鞄を手渡す。

「ありがと。秋野は帰らないの?」

「もう少しここにいるよ」

「そっか。じゃあね~」

 彼女は手を振って教室を出る。ゆっくりとその後を追う織香が独り言のように零した。

「私、季瀬好きなんだよね」

 その声音があまりにも透徹としているので、つい引き込まれた。

「季瀬は強くて、いつも自分の言いたいことを誰が相手でもぽんぽん言って、自分を飾ろうとしなくて、そのくせ相手の話をちゃんと聞いて尊重してくれる。わかる人にしかわからない。とても強い生き方だと思う。自分に妥協がないの。でも相手に無理強いしないの。自分は自分、他人は他人だってちゃんとわかってるの。だから私は季瀬が好き」

「俺も季瀬は好きだよ」

 言いながら、季瀬よりもむしろ織香のことを考えた。外見の印象から必要以上にか弱く見えるけれど、本当は彼女は、俺が考えていたよりもずっと強い人なのだと思う。

 だってあの季瀬の友人だ。例の派手好きお祭好き一派と衝突して体育祭と音楽祭をボイコットした季瀬に付き合って、どちらの行事も丸一日サボったツワモノ。さらに凄いことに、それは何も季瀬と織香に限ったことではなく、俺も美耶子も奈江も沢崎の奴までがその日はサボった。根っから文化部の人間に体育会系のノリは理解できないし、その情熱にもついていけない。出場人数が足りなくて実行委員が泣き出したのなんて、うちのクラスぐらいのものだ。

 それはそれでいい思い出なのだろう。世の中は名前も知らない誰かが夢見たほど美しくなんてない。みんな仲良くなんて、無理だ。衝突する意見を妥協や折衷ですらなく完全にどちらかの管理下に置こうというのなら、そこに摩擦が生まれるのは当然だ。それを仕方ないからと少数派を犠牲にしたり、表面だけ取り繕って綺麗なものの振りをするくらいならいっそ全て壊れてしまえばいい。

 本当に綺麗なものなんてこの世にはないのだから。

 どこへ行っても絶望だらけだ。右を向いても左を向いても、空を見上げても足元を覗き込んでも醜い景色しか見えない。

「また明日ね」

「うん、じゃあな」

 こちらを見もせずに季瀬の背中だけを追って、織香が教室を出て行く。彼女たちに追いつかないように間を空けてから、俺も教室を出る。帰る。

 初夏の日差しの濃い空が夕暮れに染まる。

その色はとても綺麗だ。だけれど、どうしても偽物のように薄っぺらく見える。刷毛で大雑把に塗ったように、空は綺麗な作り物だった。

 たぶん俺がそういう風に、世界と言うものを見たいんだろう。

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