01
自分を葬る夢を見た。
ざくざくと土を手で掘る。現実であれば途方もない作業は、お粗末な想像力の形づくった偽物の樹海の中でなら気にはならない。爪の中に土が入る。気持ち悪いという感触。湿った土の柔らかさ。それはどこか現実的で、だからこそどこまでも嘘っぽかった。
近所の公園や林ならわかるが、本物の森や樹海なんて見たことがない。だから地面はある程度本物らしく思い描けても、木々が立ち並ぶ光景が下手な絵画の背景のようなのだ。適当な月光を降り注ぐ月の下は、電灯をつけたように奇妙に蒼く薄明るかった。においや風の流れる感覚は酷く曖昧で、視覚に頼りすぎていた。音がない。
その中で穴を掘っていた。いや、穴を埋めていた。深い墓穴に土を被せて中のものを埋めていく。何故かシャベルはなく、遅々として作業は進まなかった。そして肝心なことに、中身は棺桶ではなかった。横たわる死体にそのまま土を被せていく。まるで死体遺棄の殺人犯のような気分だった。
そして埋められていく死体の顔は、まぎれもなく自分だった。自分で自分を埋葬していた。埋められていくその顔は、我ながらとても安らかに見えた。
自分を葬る夢を見た。
◆◆◆◆◆
「そりゃ、変な夢だねぇ」
昼休みに新発売のスナック菓子を開けて雑談に興じる。学校の中は整然な無法地帯だ。休み時間なら飲食も昼寝も自由だというのに、トランプ禁止と言う校則がどうにも理解できない。
「美耶子は夢とかは? 見る?」
「あたしは最近見ないなー、いくらあたしら文化部だって言ってもコンクール前だし、受験生だし、最後のチャンスじゃん? いろいろと忙しくて」
「奈江」
「わたしもそんな感じだよ。秋野の方が珍しいんじゃない?」
机を動かすのは面倒だからと、教室の窓際、椅子だけを人の席から引っ張ってきて顔を寄せ合って昨夜見たものについて話してみれば、女子二人が早速否定した。髪が短く、姉御肌とでも言えばよいのか、さばさばした性格の美耶子。おっとりとしていて天然パーマのくるくるとした髪と童顔、どこか小動物を思わせる様子の奈江。
高校三年生。受験生。平日の学校は活気といつもの新鮮な退屈に満ちて、今日も昨日のようにそしてきっと明日のように、当たり障りなく楽しくてつまらない。
「なんだよつまんねぇな! 俺は見るぞ!」
机と机の間の通路を通り自分の席に戻る途中で、人一倍元気がよい、あるいはクラス一五月蝿いと評される声で男子が一人、会話に交じってきた。
「沢崎、お前には聞いてない」
「仲間はずれヒドっ!」
「だってお前が見る夢なんてどうせ三組のリカちゃんとデートしたとか」
「うぉおおおおおお前はエスパーかなんでわかるなんでわかるなんで」
「わからいでか」
大袈裟な身振りに呆れてわざとらしい溜め息をつけば、沢崎は一通りリアクションをとったあとまたけろんとした顔で会話に交じってきた。今は座っている人間のいない席から椅子を勝手に引きずってこちらへと身を寄せてくる。
「何だよ、それで結局何の話?」
「だから夢の話だって」
「少年よ、大志を抱け?」
「そうじゃなくて、夜寝てるときに見る夢だって」
「はぁ」
話の内容もわからず口を挟んできたらしい沢崎に、奈江がわざわざ丁寧にも説明している。美耶子はペットボトルの中身を豪快に呷り、中を空にした。
「自分の葬式の夢ぇ? 秋野、お前何そんな薄暗いもの見ちゃってんだよ? 大丈夫か? 今から受験ノイローゼ?」
「違うって」
「まあ、秋野ちゃんが変な人なのは今に始まったことじゃないし?」
「変で悪いか変で。俺に言わせりゃお前だって十分に変だ」
自分のことを棚上げした沢崎の発言に、嫌味と言うにはあまりにも直球な悪口で返す。
「秋野に限らずあたしが言っても奈江が言っても沢崎は変だよ」
「うわぁん! 美耶子が酷い! 奈江!」
「うん、でも沢崎君は確かに変だよ」
美耶子に冷たい目を向けられ笑顔の奈江にトドメをさされ、沢崎がよよよと泣き崩れた。学校の使い古された机の上に指でのの字を書く彼を無視して、美耶子が話かけてくる。
「でも、秋野。本当に大丈夫? 夢で死ぬとか怪我したりするのって、確かあんまり良いことじゃないんでしょ?」
「美耶子はそういうの信じるのか? なんていうか、迷信っていうの」
「別にあたしが信じるわけじゃないけどさ。あんたが信じてるんなら、本人は不安になったりとかするでしょ? どうなの?」
「別に俺もそんなもん信じてるわけじゃないけど? 興味があるだけで。それにああ言うのって、予言とかそういうのじゃなくて、ただ自分の経験とかに影響されて見るもんだろ?」
「最近葬式でもあった?」
「そんなことないけど」
「だよね。忌引きとか聞いてないし。でもさ、それなら尚更大変かもね。自分が死ぬ夢を見るってことは何? あんた、やっぱり沢崎の言うとおり病んでんの? 富士の樹海にレッツゴーしたい気分なの?」
「いや、別に……」
そういうわけじゃない、言いかけて止めた。昨夜の夢の内容を、その中の風景を思い出す。あの夢のうそ臭い紺色の空の下、見知らぬ森はもしかしたら富士山の麓の樹海かもしれない。知れないも何も、どうせ俺の想像の産物であることには変わりないけれど。
別に現在進行形で何かに追われているわけじゃない。ノイローゼになんてなっていない。今すぐ財布を掴んで電車に乗って、遠く富士の樹海に駆け込みたいわけでもない。しかし。
「……まあ、別にいいか」
後五分で昼休みが終わろうとしている。机の上に纏めたゴミの山を片付けなければ。
「おいおい、人に相談しといてそれかい」
美耶子は呆れた眼差しで、こちらに苦笑を向けた。
「だって所詮単なる夢だし」
「その単なる夢の話を始めたのはどこのどいつだってぇの」
「ここの俺です」
おどけながら謝り、彼女が差し出す空のペットボトルを左手に引き寄せ、右手でゴミの山を掴んだ。落さないように袋を鷲掴みにするとプラスチックの透明なスプーンがその拍子にパキンと軽い音を立てて折れる。
「そういえば奈江、今日の朝の新聞見た?」
「受験生習慣? あのニュースなら確認したよ」
ゴミを持ち席を離れて歩き出しながら、流れてくる会話にふと朝方見た新聞の記事が甦ってきた。低血圧で寝起きも良くない俺は新聞なんてじっくり読む時間もとれず、まだ見出しに目を通したのみだ。
「あー、あの不倫事件だろ」
美耶子と奈江の会話に沢崎も加わったようだ。一気に盛り上がった話題は教室の扉をくぐる頃にははっきりとは聞こえなくなった。代わりに耳に入ってくるのは、入り口近くの席にたむろしていた女子の集団の話だ。
眺めただけの新聞記事の中には、名前しか知らないような遠い国で貧困に苦しむ人々をとりあげたものがあった。貧しくて一日の食事も満足にとれず死んでいく幼い子どもたち。手の中のゴミの山を見る。毎日のように出るプラスチックのパックやビニール袋の中に、残したおかずが揺れていた。
右耳から入った会話が、鼓膜で五月蝿く反響してから左の耳へと抜けていく。
「今までのバイト先、マニキュア禁止だったんだよね。それがなんとかなればなーって」
ついと伸ばされた腕が目に入った。顔と名前しか知らないクラスメイトの女子のその先の爪は、けばけばしい色で飾り立てられている。
「また受験終わったらあそこで働こうと思うんだけどさ、せめてマニキュアオッケーになんないかなぁ」
「やーだぁ。あんたの勤めてたとこ、時給九百円でしょ? 贅沢だよー!」
けたたましい笑い声を耳に、教室を後にした。