ラーキィ・アベッジはご立腹
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ラーキィ・アベッジはご立腹だった。
昨日、依頼が貼られている専用の掲示板に貼られていた目をつけていた依頼が既に剥がされて、別の冒険者が請け負っていたのを知ったからだ。
普段ならば早い者勝ちだと諦めて他の依頼を探すのだが、そんなことラーキィにはできなかった。一言文句を言わないと気がすまない。
何故ならば、その目をつけていた依頼を請け負っていた別の冒険者というのが幼馴染だったからだ。
「あいつ、あたしがこれ受けたがってたの知ってたくせに。なにがへーそうなんだ~頑張ってね、だ! しかも何回目だよ。たしか……今回いれて十六回! 最悪だ!」
掲示板の前を陣取って地団駄を踏んでいるラーキィを他の冒険者達が迷惑そうに見ていた。だが、誰も表立って文句を言う者はいない。もはやその回数のためか日常の風景と化していたからだ。
周囲から、またかよ、懲りないな、もう諦めればいいのに。などと小声がラーキィの耳に入ってくる。その小声の方へ振り向いてギンと眼を飛ばせば、肩を竦めて他の冒険者達はラーキィに背を向けた。
「あれ、ラーキィじゃん。依頼受けに来たの?」
「ユイシ……あんたねえ」
そんな剣呑な雰囲気を漂わせていたラーキィに横からのほほんとした声が掛けられる。その声で更にキーリの周りの温度が下がったのを察知した冒険者達は、皆一様にそそくさとその場を離れて行った。
この時ばかりは冒険者ギルドのカウンターもピタンと窓の木扉を閉じてしまう。
その扉に掛けられているプレートには休憩中と書かれていた。このやりとになると仕事どころではなくなるため、ギルド員達には丁度良い休憩時間として利用されることになっているようだ。
「ラーキィ、今日もご機嫌斜めだね~せっかく可愛いのに勿体無いよ。ラーキィには笑ってて欲しいな」
「ふん、あんたのせいでこうなってるってのに。あんたねえ、もういい加減あたしが受けるつもりだった依頼取ってくの止めてくんない? すっごい迷惑なんだけど!」
ダン! と右足を床に落とし腰に両手を当てて睨みつけるラーキィに対し、ユイシはにこにことした表情を崩すことはない。
「まあ、怒ったラーキィも可愛いけどね」
「こ、い、つ、は~もう!」
ラーキィはユイシの自分に対するこういったあからさまな好意を向けられるのが苦手だった。
ユイシ・サガシム。ギルド設立者をご先祖に持つラーキィの隣の家に住む、それなりの商家の次男坊で性格はラーキィ曰く掴みどころのないへらへら笑いながらいつも自分をからかう嫌なヤツ、らしい。
しかも、昔からラーキィが興味を持ったことに同じく興味を抱いて、ラーキィが習い事を先に始めれば必ず後から始めたユイシの方が上手くなり、楽器も体術も剣術も馬術も、とにかく他にもなんでもかんでもがそうだった。
ラーキィも他から比べれば何でもそつなくこなせるオールマイティな性質で優秀ではあったのだが、それは悪く言えば器用貧乏。
なのにユイシの場合、全然貧乏じゃなかった。むしろ大富豪で、その道のみを極めた者にも普通に対峙できるような、そんな規格外。いかんせん比べる相手が悪かっただけなのだが、ラーキィにはそんなことは関係ないのだ。ほとんど同じ環境で育っておきながらでは比べないわけがない。
見てくれも薄い茶髪に甘いマスクを持ち、温和な表情を常に浮かべているので周囲の年頃の女の子には絶大な人気があった。
それだから当然ラーキィへの嫉妬もあって、ラーキィには女の子の友達は一人しかいないし、ユイシが幼馴染だからというだけで幼少期から常に付き纏われているために、ラーキィに近づく男子もおらず恋人も出来ない寂しい人生を送っている。ラーキィは心底うんざりしていた。
そして、一番なりたかった冒険者はユイシに教えずこっそりなったのだが。結局はすぐにバレてユイシも冒険者となっていた。
一五才からなった冒険者での名声もすぐに追い越され、二年経った今では誰が見ても明らかに雲泥の差があったのは言うまでもない。
「……もういい。とにかく何度も言うけど、これ以上するのは止めてよね。でないと――」
「でないと?」
「いい、やっぱ止める。じゃああたしは帰るから」
いつもならこの辺りから大声でラーキィが半刻ほど喚くのだが、今日は踏みとどまった。
途中で言うのを止めたラーキィが帰ると言うので、自分も帰るとユイシは付いていこうとしたが、付いて来ないで! と一喝されたためその背を見送ることにした。
「この辺ならいいかも。ユイシは……いないわね」
しばらく自宅の方へ向かい歩いていたラーキィはユイシが付いてきていないのを確認すると、さっと路地へと身を滑り込ませた。
「ここならバレないわよね」
そして、通りから死角になる位置へと隠れるとそっと通りを窺う。
ラーキィは座り込み考える。いつもいつも後から真似するくせに必ず自分よりも上手くなるユイシ。
家族は何に対してもそつなくこなすラーキィを誇りだと言っているが、毎回そんなだとただの慰めだといって家族の言葉を信じることはできないようで、ラーキィは何をやっても中途半端な駄目なやつ、というふうに自身を酷評していた。
今回もいつものように文句を言いまくるつもりだったようだが、ラーキィは言いかけて止めた。
「なんかもう萎えちゃった。どうでもいいや……。でも、最後に一回だけ何かに勝ちたいな」
俯いて膝を抱えてそう呟いて。ラーキィは顔を上げる。そう思ったらもう次には立ち上がっていた。前向きなのがラーキィの良いところだ。
「さってと、そうと決まったら準備しなくちゃね」
笑ってそう言うと、ラーキィは冒険者の御用達である雑貨屋へと足早に向かう。そして、回復薬や数日分の野宿の準備を終えると、今度はまたギルドへと戻るのだった。
ラーキィがギルドの中へ入るとユイシは既に居なかった。それを確認したラーキィはほっと胸を撫で下ろすと、掲示板へと一直線に向かう。
「あ、これいいかも。これにしよう」
順繰りに見て目に留まったのは『ナヴラ高原のヨイショ鳥の卵三つ採取』だった。
ヨイショ鳥とは、鳴き声がヨイショ! と掛け声のような声を出す大型の鳥で、ナヴラ高原の岩場の陰に一週間に一度産む卵は直径一〇センチはある。黄身は濃厚で栄養価が非常に高いことで知られており、人気が高い。丁度明日あたりは産卵次期だ。
但し、この鳥は好戦的だ。しかも産後は特にそうで、卵が孵るまで温めているので戦うことは必須だった。
だが一度の産卵で一個から三個産むので、うまくいけば一度の戦闘で済む。
ラーキィはこの依頼書を剥がすとカウンターへ持って行った。
「お、ラーキィじゃねえか。昼間はまたユイシとやり合ったんだって?」
「人聞きの悪いこと言わないでよねサムス。あたしは文句を言っただけなんだから」
この場合のやり合うとは、文句の言い合いのことを指す。但しラーキィからユイシへの一方的な、と頭に付くが。
心外だといった顔でラーキィがギルド員の中年おやじであるサムスに言う。
「そんなことはどうでもいいから、これ、よろしくね」
「どれ。おい、これはラーキィには早いんじゃないか。ヨイショ鳥はBランクだぞ。それに番でいたらどうすんだよ」
渋い顔で止めたほうがいいぞと言うサムスにラーキィは膨れっ面をした。
「そんなの番じゃないの狙えばいいじゃん。それにあたしだってもうヨイショ鳥相手にしたっていけるはずよ。毎日鍛錬だって欠かしてないし、腕だって上がってるんだから!」
「たしかに腕は上がっているのは認めるが……だがなあ」
尚も渋るサムスに業を煮やしたラーキィは身を乗り出してギルド員の判子を取ると、ポンと受領印を捺してしまった。
「あっこら! なに勝手なことしてんだラーキィ!」
「ほら、これでいいわね! じゃあサムスありがとう、行って来るわね! ……くれぐれもユイシに言うんじゃないわよ。でないとベラさんにあのこと言っちゃうから」
ラーキィはじと目で睨みながらサムスの弱みを握っているらしいことを言い脅す。するとサムスはガタっと座っていた椅子からずり落ちた。
「な、だ、駄目だ! 言わないでくれ! バレたら絞め殺されるっ」
「ならわかったわね?」
「ああもう、わかったよ! だがくれぐれも危険と判断したらすぐに引き返すんだぞ。絶対だぞ」
「わかってるわよ。あたしだって一人前の冒険者なんだから」
観念したサムスに、ひらひらと向けた背から手を振ってギルドを出て行くラーキィ。それを見送り、はあと盛大な溜息を零すと、どうすりゃいいんだあ~! とサムスは呻いた。
ラーキィは何かに焦っているのか常に実力が伴っていないのにも拘らず、いつも難易度の高い依頼を受けようとしていた。もしかしたらご先祖様がギルド設立者なのが関係しているのかとも思ったが、少し違うと最近感じていた。
頭を悩ませながらサムスは思う。ラーキィはたしかに今の腕ならばヨイショ鳥もいけるかもしれないが、きちんと実力を把握できていない。
それと実はユイシは幼馴染のラーキィを危険から守るために先に依頼をいつも受けてしまっていたのだ。ギルド員や常連ならば皆知っていることである。
だがラーキィはそんなことは知らないし、ユイシも黙っているため気づかないままだ。常連の他の冒険者やギルド員は、最初の頃は遠まわしにラーキィを諭そうとしていたが、最近はそれもない。
うっとおしいのがなくなったとせいせいしていたラーキィだったが、それは俺がなんとかするからとユイシが皆を黙らせていたからだ。
冒険者ギルドでは依頼のランクは特に設定等はされておらず、身の丈にあった物をこなし次第に名声が上がっていき、個別に名指しで依頼がいくようになるのも冒険者の腕次第になっている。
依頼を己の実力と照らし合わせこなしていくのも冒険者にとっては必要な能力だった。
ギルドとしてはそれができない冒険者はこちらからお断りということらしい。設立した当初からこれは変わっていなく、設立者であるラーキィ・アベッジのご先祖様、ラティクス・アベッジの遺言でもある。
それは三〇〇年経った今でも忠実に守られていることだった。
「ラーキィはああ言うが、だが、ベラは。でもラーキィが」
サムスはユイシに話すかどうかで丸一日を費やし、結局は翌日、昼過ぎに来たユイシに事の次第を話すのだった。
「それ、いつ頃のこと」
目を細めたユイシが薄くわらってサムスに問いかける。この顔は怒っている顔だとサムスは緊張した。年若いユイシだが冒険者としての実力は折り紙つきだ。本気で怒らせたらどうなるか。
「た、たしか、夕方だったっけかなあ」
「それで黙って見送ったわけ」
「あ、いや、でもだな。俺も最初は止めたんだぞ!? けれどなあ、ベラに言うって……」
「で、脅されて見送ったんだ? 俺のラーキィを危険に晒したんだね」
ギルド内の一部の場所、つまりカウンターの雲行きがかなり怪しい。他の常連の冒険者達が遠巻きに何事だといったふうに見ていた。
「とりあえず俺は行く。ここにいても時間の無駄だ」
「あ、ああ。それがいい!」
早くユイシから逃れたかったサムスは大きく頷いて賛成したが、ちらりと視線をサムスに向けたユイシが言った。
「帰ったら覚えておいてね」
にっこりと深い笑みを一つサムスに贈り、ユイシは早足でギルドを出て行く。昨日に引き続きサムスはまたしても背中を見送りながら、どうすりゃいいんだあ~! と呻いた。
そして、そのやりとりを見ていた冒険者達は、サムスお前のことは忘れない。と心の中で思うのだった。
丁度その頃。ラーキィはナヴラ高原の中ほどの、転々とあるうちの一つの岩陰に身を隠していた。
「だめだな~どこの巣も番ばっかじゃん」
ナブラ高原へは徒歩で休みなく歩いておよそ五時間かかる。ラーキィは夕方に街を出て、夜中に入り口付近へ着くと小さな林の中で一夜を明かし、明朝には気配をなるべく押し殺しながらナヴラ高原へと足を踏み入れた。
しかし、時折見つける巣には番ばかりで、1羽でいても卵がなかったりいるのは雄だったりで全然駄目だった。
「こうなったらもう番狙うしかないよね」
そう言うとラーキィは腰に付けていた革袋から麻酔針を取り出した。
「あ、吹き矢忘れた! うそー! もう接近して刺すか」
本来は用途に合わせた針を吹き矢の筒に入れて対象へ刺すのだが、てっきり持っているとばかり思っていた吹き矢の筒を忘れてきていたようだ。
ヨイショ鳥は雌の方が強い。ラーキィは卵を温めている雌に先に針を刺して、麻酔が効く間に雄を倒すことにした。
手に持った針と番のヨイショ鳥を交互に見て、番がくつろいで油断しているのを見ながら欠伸をした時。ラーキィは岩陰から飛び出した。
「まずは1羽目っ雄の方倒す!」
針を卵を温めている雌目掛けて突き刺すと、素早くしゃがみ込んで隣居た大きいくちばしで突いてこようとする雄の足を回し蹴りで払う。
雄の足がバキという音を立てて折れたため、グワエエとひどい鳴き声でバランスを崩した雄が後ろへ倒れる。そして止めとばかりに倒れた雄鳥に乗りかかると、腰に佩いていた片手剣で雄の胸目掛けて指す。
針を刺されたままのメスはヨイショ! ヨイショ! と大きく鳴いた。雄の断末魔も凄かったが、この雌の鳴き声も、危機に瀕していると言っているような鳴き叫び方で、早くせねば他のヨイショ鳥が襲ってくるかもしれない。
「るさい! 悪いけど卵はもらうから」
ラーキィはそう言うと一旦巣から飛び退る。初手で上手く立ち回れたがそれは隙をついたからであり、本来ならば何撃かはくらうような凶暴な鳥だ。
一番危険なのは大きなくちばしで、喉を膨らませた後に非情に強い酸を吐き出してくる。雌がその酸を吐き出す様子を見せたのでラーキィは下がったのだ。それは当たっていたようでラーキィが先ほどまで居た場所がじゅわじゅわと音を立てて煙をだしている。
雌は尚も険しく喚き鳴きながら喉を膨らませると、ラーキィ目掛けて酸を吐いた。
「っぶな! 負けるわけにはいかないのよねっ」
三度目の酸攻撃がきそうだったためラーキィはそれよりも先に剣を横に薙いだ。雌は避ける為に吐き出しを中断し、翼を広げてばさっと後ろへ飛んで避ける。
体の大きいヨイショ鳥は長時間空を飛ぶことが出来ず、跳躍するように移動する為にその翼を使う。その跳躍は一〇メートルは軽くいくし、酸攻撃に大きいくちばしの突き。あとははばたいて砂煙を巻き起こすというのが主な攻撃方法らしい。以前常連の冒険者が言っていたのを思い出す。
後ろへ飛んだ雌は威嚇しながら巣の周りを、半周囲うようにして行ったり来たりしている。
「早く麻酔が効けば楽なのに」
体が大きいために麻酔の効きが遅いのだろう。軽く舌打ちしながらラーキィは片手剣を構えて少しずつ間合いを詰め始める。距離を計りながら数歩進んだところで切り口をみつけようとしたラーキィだったが、急に雌が突進してきた。
グワエエッと鳴きながら来た雌にラーキィはうわっと慌てて体を捻って避けようとしたが、その目前で雌は跳躍してラーキィの後ろへと回り込む。
そして、また突進してきた。ラーキィがやばいと思ったときには既に遅く、雌は突進しながら喉を膨らませ酸を放ってきた。
「うあっつぅ! こんなに機敏だったの!? 産卵期だからか! ……っく」
咄嗟に顔を左腕で庇ったのでグローブごとラーキィの腕をじゅわじゅわと溶かしたようだ。焼け付くようなひどい痛みと匂いがしたが、ラーキィはなんとかグローブを脱ぎ捨てた。その為皮膚が捲れ赤く爛れて少しどろどろになってしまっていた。
けれど、じっくり傷の手当をしている時間はない。雌は尚もラーキィを殺そうと窺っていた。
「いった……も、さいあく」
雌がまた突進してきた。ラーキィは先程と同じ失敗はするわけにはいかないと、じっと雌の動きを見ていた。そして、また目前で跳躍しようとした時に合わせて、ラーキィは剣を前に突き立てて雌へ向かって走る。
しかし、雌は刺さる寸前でまた後ろへと飛びラーキィの剣をかわした。
焼き鏝のように熱く熱した極太の針を何十本も合わせて腕にずぶずぶと何度も刺すような痛み。
ラーキィは脂汗を垂らしながらも、なんとか次の雌の攻撃に合わせてまた剣を出そうと考えるが、先程何度かかわされたり今も様子を窺っている雌は予想よりも頭が良いらしい。腕を酸で焼いたようなことを繰り返し、こちらが弱るのを待っているのだろうか。
「まだ効かないの!? はやく効いてよっ」
未だに効かない麻酔の効果にラーキィは焦った声で懇願するように叫ぶ。
数分ラーキィと雌は互いに隙を窺っていたが、ようやく雌に異変があった。足の動きが覚束なくなってきていた。それを見逃さなかったラーキィはやっと見えた光明ににっ笑う。
「あとちょっと、もうちょっと」
痺れ始めればすぐだった。もはや歩くことも間々ならず雌は崩折れる。それでもなんとか起き上がろうと翼をバタつかせながら、雌はジタバタとその場でもがいていた。
そんな雌の元へラーキィは油断せずに慎重に近づいていく。首から上はまだ効ききっていないようで、まだ酸攻撃はできそうだったからだ。
「……悪いけどこれも仕事なのよ」
酸攻撃がぎりぎり届くかどうかという位置で立ち止まると、ラーキィは雌が頭まで痺れるのをじっと待った。やがてヨイショと弱弱しく何度か鳴き始めた雌に頃合かとラーキィは傍まで行って剣を真上から喉元に突き立てた。
グエエと小さく鳴いたのを最後に雌は息絶える。
「お、終わった。卵はっ?」
ラーキィは巣へと駆け寄ると巣の中に卵があるのを発見する。
「やった、あった! あ、でも二個だ……あと一個足りない」
巣の中でへたりと座り込んだラーキィは、とりあえず革袋の中にあった衝撃を緩和する特殊な布で卵を包むと革袋の中へと入れた。
「いったあ! とにかく応急処置しなくちゃ」
集中していた時だけ痛みを忘れることが出来ていたが、二個だけでも入手できたためにラーキィは気が緩んだようだ。痛みがぶり返してきたらしい。
「ぅあああっ……った、も、やだぁ」
涙目で消毒液をかけてペースト状の薬草の塗り薬を患部に塗ると、その上から薬草の大きな葉を載せて包帯でぐるぐると巻く。
撒き終わった後もしばらく腕に触らないが抱きしめるような形で蹲り、薬を塗り染みる最大の痛みをなんとか堪えきると、ラーキィは大きく深呼吸をしてゆっくりと立ち上がった。
近くで死んでいる二羽の番から血が大量に流れていた。おそらく風に乗ったこの匂いを嗅ぎつけて肉食の獣がやってくるだろう。応急処置をしていた為時間を予想よりもかかっていた。
「一旦帰った方が良いかも」
そう思って町の方角へ目をやると、暗い影がラーキィを覆い、真上からはブワンブワンと羽ばたき音がした。
「……っ」
はっとして上を見ると、緑の滑らかな竜皮で全身を覆われた翼竜、ワイバーンがラーキィの頭上で羽ばたいていた。
「ワイバーンっ」
ナヴラ高原の北にはシーカント山脈があり、そこはワーバーンの生息地でもあった。だが、この高原へは滅多にワイバーンは来ないはず。目撃情報だって年に一回あるかないかだ。
ラーキィはあまりにもひどい運の悪さを呪った。そして同時に死を予感する。
ワイバーンはランクAの中でも上位に位置していた。ランクBのヨイショ鳥はBの中でも下。それでやっと倒せたというのに、もはやラーキィには戦う気力も残っていなかった。
「あは、短い人生だったな。せめて一つでも勝ちたかったのに」
諦めた表情で笑いながらその場でまた座り込んでしまったラーキィ。
獲物に抵抗する気はないと判断したワイバーンは直滑降してラーキィ目掛けて向かってきた。
ラーキィは目を瞑ってその時を待つ。薬を塗って応急処置をして帰るまではと気を張っていたが、それも必要なくなったからか、そのまま意識を失い深い闇に沈んでいった。
それから半月。ラーキィの自宅の中やその数軒隣のギルドは沈んでいた。ラーキィがナヴラ高地に行ってからユイシに運ばれてきた時は母親は卒倒し、父親はベッドにラーキィを横たえた後にユイシを殴り倒した。
ギルドももうずっと静かで、日常化していたラーキィとユイシのやり取りを見ることは出来なくなっている。
ギルド員だったサムスは根が真面目な為、ギルドを辞めて農夫へとなり、想い人であったベラのことも諦めてただひたすら畑を耕す毎日だ。時折収穫した穀物や野菜をラーキィの自宅へ送り、せめてもの償いをしている様子が痛々しい。
けれど誰も止める者はいない。サムスの為にもそうすることがいいのだと知っているからだ。
元気という言葉など知らないといった様子で今日も畑を耕すサムス。あと数日もすれば美味しいナヴラ芋が収穫できるだろう。
「精が出るわね、そろそろ収穫時なんでしょ。シチューにして食べたら美味しそう」
「ラーキィ! 帰ってきたのか!」
「なんだ、途端に元気が出たなおっさん」
街の郊外にある道に面したサムスの畑があり、その畑に居たサムスに冒険者の二人組が声を掛ける。ラーキィとユイシだった。
最初の声でぱあっと顔を明るくしたサムスにユイシは苦笑いして腰に手を当てる。ラーキィは畑の植物に気をつけながらサムスに近づくと手紙を渡した。
「これ、ベラさんから。いい加減待つのは飽きたって言ってたわよ」
「ベラから!? 相手ができたのか、そうか」
諦めえていた想いだったが、実際に相手ができるとなるとやはり何か心にあるらしい。少し落ち込んだ様子のサムスにラーキィは笑う。
「そう思うのは勝手だけど、手紙はちゃんと読んでよね」
「ああ、帰ったら読むよ。数日は家にいるんだろう、ナヴラ芋収穫したら持って行くからな」
「もう、別にいいのに。律儀よね」
「足腰が元気なうちはずっとそうするって決めてるんだ」
きちんとラーキィを止められなかったことをずっと責めているサムスは、本人がもういいと言っているのにもかかわらず収穫物を送るのを止めなかった。
ラーキィも今では諦めてサムスの好きなようにさせている。
「じゃあ、そろそろ行こうかラーキィ」
「そうねユイシ。じゃあまたねサムス」
「ああ。ギルド周辺がまた騒がしくなるなあ」
「明るくなるって言ってよね」
「はっは、違いないな。じゃあまたな」
ラーキィとユイシは半年振りに街に戻ってきていた。目的を持って旅立ち、その結果が出たので報告をしに来たのだ。ラーキィの家族に。
「ただいま。父さん、母さん」
「帰ってきたのか! まずはゆっくり休め」
「ラーキィ! 会いたかったわ!」
ラーキィの自宅へ半年ぶりに戻ると、ラーキィの父親バウロズと母親アニスが笑顔で出迎えてくれる。ラーキィの半歩後ろで立っていたユイシにバウロズが目を向けると、ユイシはお辞儀して立ち去ろうとする。
「ユイシも入りなさい」
「いいんですか」
「ああ」
「お邪魔します」
居間へ四人は行くと、アニスがお茶お茶と言いながら台所へと消えていった。
「ラーキィ、具合はどうなんだ」
「うん、都のお医者さんはすごいね。あたしの腕を最初見た時は悲惨そうな顔してたけど、ユイシが採って来た材料で色々調合したの塗ったら一ヶ月でほら」
ラーキィが言いながら左腕の袖を捲くって見せると、ほぼ爛れた肌が治っていた。薄っすらと茶色く大きい後が目を凝らせばわかるくらい。
「そうか。本当に良かった」
安心した表情で笑みを浮かべるバウロズに内心で心配をかけて本当に悪いことをしたと再度反省するラーキィ。
あの時のことがきっかけで、ラーキィはユイシに対してや自身についてのことが、今では吹っ切れているようだ。
「ユイシ。何度も言うが本当に済まない。そして心から感謝している。有難う。君がいなければ娘は助からなかった。あの時は殴って申し訳なかった」
ラーキィが一人でナヴラ高地へ行った時、ユイシがラーキィを発見したのは丁度ワイバーンに頭から食われる寸前だった。ユイシはそれを見て一気に詰め寄りワイバーンを一刀両断。
ラーキィは気づいたらユイシに負ぶさわれていて、帰り道を延々と自宅に帰るまで怒られたのだった。依頼は二個しか入手出来なかった為に失敗。
その失敗と、勝ちたがっていたユイシに助けられたことで、ラーキィは腕の痛みも相まって相当に落ち込んでいた。
けれど、ユイシへの見方が変わったのはそこからだ。ラーキィの中でユイシはたんなる幼馴染ではなくなったようだった。
「いえ、いいんです。俺のやり方が下手だったから起こったことですから」
本心から申し訳ないと頭を下げるバウロズに、ユイシは頭を振る。
そんな二人のやり取りを身ながらアニスがお茶を運んできてテーブルに人数分出した。
「今じゃラーキィもすっかり丸くなっちゃってねえ。ユイシの努力もそろそろ報われるんじゃないかしら。ふふ」
「ちょっと母さん、何言ってるの! あたしは別にユイシのことなんか……」
アニスが茶化すとすかさずラーキィが慌てて否定するも、その顔はほんのり赤くなっている。
「もしかするとやっと俺のこと」
「ち、が、う! ただたんにそういった話題が苦手なだけ! ユイシは信頼できる幼馴染だよっ」
「あら、ラーキィにはまだ早いのかしら」
「わしはユイシにならラーキィをくれてってもいいと思っている」
「ほらラーキィ、許可が下りたよ!」
三人が結託してラーキィをそういった関係にもっていこうとするので、だんだん苛々してきてラーキィは椅子から立ち上がった。
「ふん、ユイシにはそりゃ感謝して今まで八つ当たりしたり、そっけなくしたのは悪かったと思ってるけど。それとこれとは別なんだから。あたしはユイシよりもっと凄い冒険者になって、絶対勝ってやるって決めたの! そんな相手とどうこうなんてならないんだから!」
頬を膨らませて三人に言い聞かせるように言うと、最後にもう一度ふんと鼻を鳴らして居間を出て行ってしまった。
それを見送った三人。
「わたしは応援しているから」
「わしもだ。ユイシ以外にラーキィを任せることなどできんな」
拳を握って応援するバウロズとアニスに頷いたユイシは、とりあえず宥めようと階段をダンダンと大きな音をたてて上がっていくラーキィを追いかけることにした。
ようやく二人の距離が縮まったかと思ったユイシだったが、ラーキィは手強いのだった。
「もう最初から俺に勝ってるってのに。ラーキィは」
惚れた弱みというやつで、ユイシはもうすでに完敗しているのだが、何か一つでも勝ちたいと考えているラーキィはそういった方面は疎く気づいていない。もっとも、恋愛で勝っていたとしてもラーキィが納得するかは分からないが。
「信頼できる、か。先は長いなあ。でも必ず振り向かせてみせるけどね。見た目で判断しないのはラーキィだけだったし、なにより全部が可愛いしラーキィ」
先程の幼馴染と言っていたのは本心だろう。ラーキィが嘘を言っていない時くらいの顔は分かる。ユイシは俺もまだまだだなと苦笑いをするのだった。それでもユイシは諦めないのだ。
ユイシがラーキィの部屋の扉を開けると、既にベッドにもぐって丸くなっていたラーキィ。これは朝まで出てこないなとそれをみて分かったユイシは、おやすみとだけ声を掛けてまた下へと降りていった。
「まだ、時間が欲しいの。ごめんユイシ」
ラーキィはそう小声で呟くと、あの時のことを思い出した。
負ぶさわれての帰り途中。目を覚ましたラーキィはユイシの背に乗っていたので驚いた。
『どうしてユイシがここにいるの』
『助けに来たからに決まってるだろう』
ユイシが状況を教えてくれたのだが。
『なんで一人で受けたんだ、ラーキィにはまだ早いだろ』
『だって、ユイシには負けたくなかった! 何か一つでも勝ちたかったのよ。ばれないように依頼の数こなせば名声で勝てるかと思ったの!』
『なんで勝ち負けが出てくるんだよ』
ワイバーンをいとも容易く一刀両断したと言うユイシ。
それを聞いたラーキィはユイシのまだ早いという言葉に思わず叫んだ。以前から胸の内をぐるぐる回っていたこと。自分の価値。なんで簡単に自身を越えていくのか、ラーキィは悔しかったのだ。
『なんで? 分からないの。あたしが今までどんな思いだったか。あんたはいつもあたしよりも先にいく! やりたかったこと全部上にいく! あたしがどんなに頑張ってもなんでもないように踏み越えていくんだっ』
いつもいつもいつも。何をやっても駄目な自分が惨めだった。
一度口から出るともう止まらないのか、ラーキィはもう全部吐き出すことにした。
もういい。幼馴染じゃなくなっても構わない。もう疲れたんだと背中越しにユイシへと告げていくラーキィ。
ユイシはそんなラーキィの話を黙って聞いていた。
全部吐き出した後、ユイシも話し出す。
『俺だって簡単じゃなかったよ』
『嘘。だってユイシはいつもなんでもない顔してた』
『それはラーキィの前で格好つけたかったから。本当は隠れて鍛錬しまくってた』
『冒険者での名声だってあっという間に上がったじゃない』
『ラーキィに何かがあったとき守れないのは嫌だったから。名声は、こっそり討伐依頼もたくさんしたから。強くなりたかったからね』
『あたしは別に守ってくれなんて思ってない!』
『知ってる。俺が勝手に守りたいだけ。でも、守れなくて、ごめん。……腕、痛いだろう』
『そんなのっ……ユイシは悪くない。あたしこそ助けてくれて有難う』
俯いて辛そうに言うユイシ。それに頭を振って否定すると、ラーキィはつかまっている腕に力を籠めた。
『ごめん。ラーキィがここまで思いつめてるの気づけなかった。ただ、ラーキィと同じことがやりたかったんだ。そうしたら少しでも近づけるかと思ってた。結局は逆でしかなかったわけだけど』
自嘲気味にユイシが言うと、ラーキィもなんとなくユイシの言葉が伝わってきたようだ。
『ほんとに隠れて鍛錬とか討伐してたの?』
『本当だよ。見る? 証拠』
そう言ってユイシは一度ラーキィを下ろすと、徐に上半身の服を脱いだ。体には無数の傷があり、いくつかは相当な深い傷を負ったのだと分かるようなものまである。
ラーキィはそれを見てはっと息を飲んだ。
『こ、これ。この傷とか大丈夫だったの!? すごい痕になってる……もしかして、あたしが受けようとした依頼のも入ってたりするの?』
『どうだろうね』
笑ってはぐらかすユイシにラーキィは胸の詰まる思いをする。
『あたし、あたしのつまらない意地で……』
『つまらなくなんてないよ。ラーキィいつも向上心あるし、多方面に有能だし』
『あたしのは、器用貧乏だよ』
『そんなことない。知ってる? ラーキィも本当は名声のBランクにいける腕あるんだよ』
『嘘。だって、あたしずっとCのままだったし、父さんがそう言って……もしかして、ギルド長の権限使ってたの?』
『愛娘だから。依頼であまり遠くへ行ってほしくないみたいだね。実はギルド員や常連は皆知ってることだったりする』
苦笑いのユイシに思いもよらなかった障害を知って呆然とするラーキィ。わなわなと体を震わせると、ラーキィは怒った。
『父さん! 帰ったら許さないんだから!』
いつもの調子に戻ったのか、ラーキィは先程までの落ち込みが嘘のようだった。
『ほらユイシ、いつまで脱いでるの。早く着て帰るわよ!』
『わかったよ』
わかったと柔らかく笑うユイシに、なぜか急に身の置き所がなくなったかのような感覚に囚われたラーキィはぷいっと背を向けると先に歩き出す。
そんなラーキィにユイシは待ってよと言いながら追いかけた。
ラーキィは今生きていることを心からユイシに感謝していた。あの時のことでラーキィはユイシへの見る目が変わったのだ。
「ユイシとはあれからパートナー組んでるけど、いいのかな? もっと上の人と組んだほうが名声上がるのに。でも……できればずっと組んでたい、かな」
ラーキィはそう呟くと眠りに落ちた。
ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。