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贈り物



「あら……ロシナンテがいないわね?」

 翌朝、ベッドを抜けたルイーズは窓辺に近付き、朝日の透けるカーテンを開いて瞳をぱちくりさせた。

 常ならば、いの一番に彼女に朝の挨拶をするのは、相棒ロシンナンテである。

 しかし、この日はいつもの定位置にその姿はなかった。

 ロシナンテは、今年六歳になるごくごく普通のロバである。

 父親は、門番ホルン爺さん所有、リュセット随一の荷物引きと名高い、ロバとは思えぬ巨体の豪傑。

 母親は、皇太子妃の実家であるロッシュ家所有、蝶よ花よと愛玩用に育てられた、それはそれはたおやかな別嬪さん。

 彼らが結ばれロシナンテが生まれるまでは、壮大なロマンスがあったのだが、それはまた別の話。

 ついでに、ルイーズは彼の両親のことはもちろんよく知っているのだが、その出生に関しては実は甚大な誤解を抱えている。

 しかし、それは彼女のせいではないのは、後々判明することになる。

 とうのロシナンテはというと、今朝はアルクにくっついていた。

 朝日に照らされる城門の袂で、仕事始めの一服をしようと、懐から愛用のパイプを取り出したのは、遅番と交代したばかりの門番ホルン爺さんだ。

 彼は森の方から歩いてくる人影を見付けると、「おや、まあ」と眉を上げた。

「騎士殿、おはようさん。ロシナンテを連れて、早朝水泳かい?」

「……おはようございます」

 ホルンが驚くのも無理はない。

 昨日隣国からやってきた年若い騎士は、ホルンに出会う時は毎回必ずずぶ濡れなのだ。

 今朝は、服を着たままは浴びはしなかったようだったが、亜麻色の髪からは水がしたたっていた。

 しかも、マントは見事に水浸しで、よくよく見ればそれを入れ物代わりに水を張って抱えている。

 一体何ごとかいと、まだ火を入れていないパイプをくわえたままそれを覗き込んだホルンは、次の瞬間相好を崩した。


 ルイーズは、比較的ラフなワンピースドレスで朝食の席に着いた。

 隣国ヴァルキュリアからの客人が到着するのは、早くても午後を回るだろう。

 その前には、リュセット公国の公女に恥じぬ装いに着替えねばならないだろうが、今はまだいつもどおりのルルでいたかった。

 それに、今朝は新しい友達と食卓を囲む約束をしている。

 友達と思っているのは、ルイーズの方だけかもしれないが……。

 自分の支度と食卓が整うと、昨夜の約束通り、ルイーズは侍従に頼んでアルクを呼びに行ってもらった。

 そうして、間もなくやってきた彼が抱えていたものに、ルイーズは瞳を輝かせた。

「おはようございます、殿下」

「おはよう、アルク――それは?」

 きちんと身なりを整えてやってきたアルクの手には、大きな陶器の鉢が抱えられていた。

 白の地に青い色で美しい紋様を焼き込んだそれには水が張られていて、中には大きな緑の葉と白い花弁がまあるく円を描いている。

「これ……睡蓮? どうして……」

「昨日、睡蓮をご覧になっていた殿下を、私が邪魔をしてしまいました。こちらの城のものはまだ咲きそうにありませんでしたし、せめて一輪でも殿下のお側にと……」

「湖の睡蓮を、持って来てくれたの?」

「はい……ですが、何も考えずに持ってくるなど無粋だったと、後から気づきました……」

 アルクのマントの中に睡蓮の花を見つけて、門番のホルンは「騎士殿、引っこ抜いて来なさったのかい?」と苦笑した。

 そういう豪快なところは男の子らしいと、一頻り笑った門番の爺さんは、側を通りかかった侍女を呼び止め、睡蓮を入れるための鉢の手配を頼んでくれた。

 さらにはその時、門をくぐってやってきた麦わら帽子の男が、鉢植えの指導を買って出た。

 用意された陶器の鉢に、底に土を積んでから水を張り、その中にそっと引っこ抜いてきた睡蓮を差し込んだ。

 その間にも、城で働くいろんな人々が通りかかったが、慣れない植物の手入れに奮闘する少年騎士を、皆微笑ましげに見守った。

 誰一人として、その睡蓮をどうするつもりなのかと、彼に尋ねなかった。

 彼らは、自分達の公女がその花を毎年楽しみにしているのを知っていた。

 アルクの側に公女の相棒ロシナンテがくっ付いているのを見て、その鉢が彼女のためのものだと気づいたようだった。

 そうして、完成した睡蓮の鉢を持ってアルクが招待された朝食の席は、なんと公女ルイーズの私室だった。

 戸惑いながらも侍従に案内されてやってきて、ルイーズに迎え入れられた彼は、鉢を日の当たる窓辺に置いた。

 彼女に、そこに置いてくれと頼まれたからだ。鉢は、少女が持ち上げるには、少し重い。

 ルイーズは、しばしの間黙ってその睡蓮の花を見つめていたが、おもむろに顔を上げてアルクを見た。

「アルク、とっても綺麗。本当に、もらってもいいの?」

「はい、もちろん」

 大国ヴァルキュリア随一の公爵家の一員として、それなりに貴族としての教育も受けてきたアルクだったが、幼い頃から騎士の鍛錬にばかり重きを置いてきたので、いささか華やかな事柄には疎い自覚があった。

 女性に贈り物をしたこともなければ、花を愛でたこともない。

 姉達には常々エリヴェール一の朴念仁と嘆かれて、けれどそんなことを気にも止めずに今まできた。

 昨夜、噴水に佇んでいたルイーズ公女にあい、花開かぬ睡蓮を見つめる寂しげなその姿に、アルクは彼女に美しく咲く睡蓮を届けたいとふと思った。

 ルイーズを見送り、一度与えられた客室に戻ってベッドに横になったものの、その眠りは浅かった。

 まだ日も上らぬ内に目覚めたアルクは、軽く身支度を整えて、気が付けばまた昨夜の噴水の前に来てしまっていた。

 当然ながら、そこにある睡蓮はいまだ蕾の気配すらなく、わだかまる自分の思いにアルクはひどく戸惑った。

 しかし、逡巡する彼を動かしたのは、何を隠そう公女の愛ロバ、ロシナンテだった。

 再びアルクの前に現れたロシナンテは、昨夜ルイーズの元に案内した時と同じように先導し、彼を森の湖の元まで連れていってくれたのだった。

「ありがとう、アルク」

「いえ……」

 思い掛けないアルクからの贈り物に、ルイーズはたいそう喜んだようで、無邪気に向けられる感謝と笑顔に、彼もほっとした。

 しかし、次に続いた公女の言葉に、アルクはまた少しだけ困ることになる。

「私、男の人にお花貰うの、初めて。嬉しい」

「え……」

 アルクにそんなつもりはまったくなかったが、彼は主君を差し置き、彼女に初めて花を贈った男になってしまったのだった。


 ルイーズは、少々お転婆なところもあるが、いつもかしましいわけではない。

 アルクは、口のたつ兄と姉に囲まれた賑やかなエリヴェール家では珍しく、寡黙な性格であった。

 だから、二人の会食はそれほど盛り上がったわけではないが、とても和やかでゆったりとした時間を、それぞれ楽しんだようだった。

 給仕役として寄り添った侍女頭と、アルクの世話役としてついていた侍従は、そんな年若い公女と騎士の姿を、にっこりと笑顔を交わして見守った。 

 朝食が済むと、いよいよヴァルキュリア王太子を迎える準備で、それぞれが忙しくなった。

 アルクは、乾かしてもらっていた自分のブーツを履き、厩舎から愛馬クシカを連れて出し跨がると、門番ホルン爺さんに会釈をして城を出た。

 国境近くまで、主たるノエル・エディーラ・ヴァルキュリアの一行を出迎えに行くためだ。

 ルイーズは、兄嫁である皇太子妃ユミルの私室で、ドレスの最終調整を受けていた。

 しかし、従姉でもあるユミルは、朝から非常に不機嫌だった。

 それは、昨日の衣装合わせの際にルイーズが逃げ出したからではなく、その後アルクが持ってきたヴァルキュリア王太子からの贈り物が原因だった。

「まったく、女の支度をなんとお思いなのかしら。前日ぎりぎりに衣装を押し付けて、これを来て会えだなんて、一体何様のつもりでしょう」

 使者として託されたアルクも知らなかった、ノエルからルイーズへの個人的な贈り物の中身。

 それは、実はドレス一式が入った箱だったのだ。

 箱の中にはとても丁寧な文字で、『公女殿下にお会い出来るのが今からとても楽しみです』との手紙が添えられていた。

 暗に、顔合わせの際にはこの衣装を着せよ——と、言ってきたようなものだ。

 それこそ、何週間も前からドレスを手配して、可愛い義妹を最高のレディに仕立て上げようとしていた皇太子妃ユミルは、突然の横やりにたいそう立腹していた。

 これで、贈られてきたのがくだらない品であったなら、ユミルはたとえ王太子の望みでもはね除けてやろうと思っていた。

 だが、綺麗な白い箱に収められていた衣装は、見るからにどれも一級品であり、細かい装飾に至っても妥協や手抜きを感じさせない逸品だった。

 白をベースカラーに、ルイーズの淡い水色の瞳と同色のグラデーションが施され、所々には愛らしい花飾り。リボンや裾のレースは繊細で、優秀な職人の作品だろう。

 悔しいが、ヴァルキュリア王太子の寄越したドレスは、ルイーズにとてもよく似合っていた。

 ユミルはぷりぷりしながらも、可憐に変身した義妹を鏡の前に座らせ、丁寧に髪を梳ってやる。

 本来ならそれは侍女の仕事であるが、ルイーズを幼い頃から実の妹のように可愛がってきたユミルは、今日の彼女の支度を誰にも譲りたくなかった。

 もしかしたら今日、その大切な妹との別れが待っているかもしれない。

 そう思うと辛く、悲しく――また、そんな身の上に文句一つ言わないルイーズの小さな胸の内を思うと、哀れでならなかった。

 今回のルイーズとヴァルキュリア王太子との縁談には、ユミルにとっても腑に落ちない点が多々ある。

 当然、同じことを感じているはずのリュセット公と皇太子クリスだが、彼らは何か思うところがあるのか、不自然な沈黙を守っている。

 それがこの先、吉と出るのか凶と出るのかはユミルには分からないが、ただただこのあどけない義妹が少しでも幸せになることを願ってやまない。

「ルル、とっても素敵よ」

「姉様……」

「あなたは、誰よりも可憐なリュセットのお姫様。鏡の中の自分をご覧なさい」

「……」

 ルイーズをこれ以上不安にさせないためにも、自分が沈んだ顔をしているわけにはいかない。

 ユミルは精一杯の笑顔を作ると、ルイーズの肩を後ろから両手で包み込み、前を向かせた。

 鏡の中に映るのは、どんな大国に出してもひけをとらないと胸を張って言える、可憐な可憐な少女。

 家族に愛され民に愛される、リュセットのたった一人の公女。

「自信を持ちなさい、ルル。――誰もが、あなたを愛するわ」


 ヴァルキュリア王太子が到着したのは、予定通り、正午を少し回った頃だった。


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