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ロシナンテ


 今回アルクが与えられた役目は、主である王太子ノエルからの贈り物を届けることだった。

 しかし、それならばせっかく明日本人が来るのだから、その時に一緒に持ってくればいいではないかと思うのだが、一足先にそれを届けさせたい理由が、王太子にはあったのだろう。

 その中身にアルクはさほど興味はなかったが、多忙な王太子自らが時間を割いて選別に加わっていたのは印象的だった。

 それに、ここ数日何だかそわそわしている主を、アルクはずっと不思議に思っていたのだ。

 この度の婚姻の申し込みは、政治的な色合いが強いのは否めないが、王太子自身はまんざらでもないのではなかろうか。むしろ、ルイーズ公女を迎えることをとても楽しみにしているのでは、とさえ感じられる。

 何故なら、実は既に王太子の宮の一角に、彼女を迎えるための部屋が用意されているのだ。

 他の夫人や子供たちは、別の宮に住まわせているというのに。

 贈り物の中身も知らないアルクがその理由を知るのは、翌日のことであった。



 リュセット公との謁見が済んで客室に戻るアルクを案内したのは、先ほど愛馬クシカを預けた侍従だった。

 城に滞在中、彼がアルクに付いて世話を焼いてくれるらしい。

 ヴァルキュリアの公爵家であるアルクの屋敷にも、使用人は大勢いる。

 彼自身大人にかしずかれることにも慣れているが、主人と使用人との間に明らかな壁がある生家とは違う、礼儀をわきまえながらも体温の伝わるリュセットのもてなしは、どこかこそばゆくて、しかし心地よかった。

 せっかくなので厩舎への案内を頼んでみると、侍従は「もちろん」と快く引き受け、更にざっと城を見て回るのにも付き合ってくれた。

「しかし、お連れの馬は実によく躾けられて賢い。黒毛も艶があって美しいですね。アルク様がお育てに?」

「いえ……今年の始め、成人のおりに主から祝いにと賜ったのです」

「そうですか、お優しいご主人様ですね。では、アルク様は十六歳……ルル様とは二つ違いになりますな」

 リュセットでもヴァルキュリアでも、十六歳になれば大人と認められる。

 侍従はアルクの父ほどの年齢で、聞けば最初に出迎えにやってきた侍従長の息子なのだという。

 もちろん、公女ルイーズにも赤子の頃から仕えていた彼は、穏やかな顔に少し寂しげな表情を浮かべて続けた。

「アルク様は、これからも王太子殿下の側にいらっしゃるのですか?」

「はい、生涯お仕えするつもりでおります」

「そうですか、ではもしもルル様が王太子殿下に嫁ぐことになれば、アルク様ともご縁が続くのでしょうね」

「……」

 それはどうだろうか。

 確かに、アルクは卓越した剣の腕と家柄のおかげで認められ、次期国王を約束されたノエルに仕えることを許されたが、彼が働くのはあくまで政務をする王太子の側である。

 王太子妃となったルイーズに接するのは概ね侍女であり、特に男であるアルクとの接触など皆無に近くなるのではなかろうか。しかし——

「慣れない環境でルル様も寂しい思いをなさるやもしれません。年の近いご友人ができれば、少しは心も晴れましょう。どうぞ、ルル様をよろしくお願いします」

 続いた侍従の言葉に、アルクは否を述べることができなくなってしまった。


 厩舎に辿り着くと、クシカは丁寧にブラシをかけられ、飼葉と水をたっぷりと与えられて、たいそう機嫌がよかった。

 アルクは厩舎の者に礼を言い、ふと気になって辺りを見渡すが、一緒に連れていかれたはずの公女の愛ロバの姿がどこにも見えない。

「ああ、ロシナンテは庭ですよ。一応彼のための馬房もあるですけどね、だいたいルル様の部屋の近くで寝泊まりするんですよ」

「ロシナンテはルル様が大好きだからねえ」

 アルクが彼について尋ねると、厩舎係と侍従は口々にそう言って笑った。




 アルクが城に到着してすぐ降り出した雨は、夕餉をいただき一息ついた頃にはすっかり止んでいた。

 リュセットやヴァルキュリアのある大陸は、年中を通して比較的温かく過ごしやすい気候である。

 それでも、日が沈めばそれなりに冷え、この日も外が暗くなるにつれて空気がひんやりとし始めた。

 柔らかく吹き込む風の冷たさは、慣れない隣国の優しさに緩んだ我が身を引き締めるのにちょうどよく、アルクはベランダ側の窓を開け放ったまま、ベッドに腰掛け愛剣の手入れをしていた。

 リュセットとヴァルキュリアの間では、創始まで遡っても争った歴史はなく、自他ともに認める友好国であるが、さすがに帯剣したまま入城が認められるとは、アルクも思ってはいなかった。

 だから、城門でルイーズを見送り案内に立った侍従長に対し、自ら鞘ごと腰の剣を抜いて預けようとしたのであるが、彼には「はて?」と首を傾げられてしまった。

 君主たるリュセット公に対面するのだ。正式な使者とはいえ、他国の騎士が帯剣したまま謁見に臨むのは、警備上困るのではなかろうか。

 しかしそう問いかけたアルクに対し、侍従長は「ほう」と両眉を跳ね上げて、

「騎士様は、公に向かってそれを抜きなさるご予定がおありで?」

 などと、とんでもない問いを返してきたのだ。

「そんなこと、しません!」

「そうでしょうとも。では、大切なものはそのままお持ち下さい」

 そう朗らかに微笑まれて、アルクは大いに面食らう結果となった。

 それを大らかで余裕ある態度ととるのか、危機感がなく甘い考えととるのか。

 どちらが正しいのか、人生経験の少ない彼にはまだ判断がつかなかった。


 ひときわ、風が大きくカーテンを揺らす。

 その時ふと、アルクは窓際に何者かの気配を感じ取った。

 いつもの癖で剣の柄に手を掛けてから、いけない、と思いとどまる。

 彼はいくらか逡巡したものの、結局愛剣をベッドの上に残し、そっと窓辺に寄った。

「……お前」

 カーテンを開いてみれば、ベランダの前で鼻をふんふんさせていたのは、ルイーズ公女の愛ロバだった。

 ロシナンテはアルクが出て来たのを見ると、ぶひっと小さく鼻を鳴らし、それからじっと彼を見つめた。

 とばけた顔に眠そうな目。しかし、黒い大きな瞳の向こうには何か意味深なものを感じ、アルクは探るようにその視線に向き合った。

 すると、ロバは再びぶひひっと鼻を鳴らして、踵を返した。

 しかし黙ってその背を見送ろうとしたアルクを、彼は首を巡らして振り返り、またじっと見つめてくる。

 アルクは付いてくるように言われている気がして、そっとベランダの欄干を乗り越え庭に降り立った。

 それを見たロシナンテは満足したように前を向き直し、ぽくぽくと歩き始める。

 アルクが黙ってその後ろ姿に付いて行くと、しばらくして大きな噴水の前に出た。

 豊かに水が流れるその袂には睡蓮の葉が揺れているが、まだ花は咲いていない。

 そして、石造りの噴水の淵に腰掛け、じっと水の流れる様を見つめていたのは、ルイーズだった。




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