第1話:鉄床の夢、呪いの目覚め
カーン、カーン、カーン。 心地よい音が遠のいていく。
熱気と煤の匂い。 愛用していたミスリルの金槌の感触。 すべてが指の隙間から滑り落ちていくようだ。
(ああ……わしの火が、消えるか)
ドワーフとして生きて二百余年。 打った剣は数知れず。作った鎧は国の宝となった。 「鍛治の神」だの「国宝」だのと崇められたが、最後はあっけないものだ。 老衰。 鋼のように頑丈だったわしの体も、寄る年波には勝てなかったということか。
悔いはない。 ……いや、一つだけあるとすれば。 もっと、面白いモノを作りたかったのう。 王の注文通りの剣ではなく、誰も見たことがないような、ふざけた、けれど最強の武具を。
意識が闇に沈む。 わしの人生は、これにて――。
***
激痛で、目が覚めた。
「ぐ、ぅ……ッ!?」
熱い。全身が焼け付くようだ。 死後の世界というのは、業火の釜の中だったか? いや、違う。雨だ。冷たい雨が顔を打っている。 そして、鼻をつく血と泥の臭い。
重いまぶたを無理やりこじ開ける。 視界に映ったのは、曇天の空と――**『絶望』**だった。
「――――」
目の前に、山のような巨体があった。 黒い毛並み。ねじれた角。 それは、ただそこに居るだけで周囲の草木を枯らす、災厄の権化。 伝説に聞く魔獣、『呪いの王』が、なぜか目の前に鎮座していた。
(なんじゃ、こりゃあ……!)
声を出そうとしたが、喉がひきつって音にならない。 巨大な魔獣の黄金の瞳が、地面に転がる“わし”を見下ろしている。 捕食対象を見る目ではない。路傍の石を見るような、無関心な目だ。
魔獣が、低い唸り声を上げた。 それは言葉ではなかったが、魂に直接響く《呪詛》として、わしの体に刻み込まれた。
『――汝、永遠に停滞せよ』 『時は凍り、器は満たされず、苗床のまま朽ちるがいい』
ズキン、と心臓が跳ねる。 黒い靄のようなものが、わしの小さな体にまとわりつき、そして染み込んだ。 何か大切な可能性が、根こそぎ奪われたような喪失感。
魔獣はそれだけ告げると、興味を失ったように背を向けた。 地響きと共に去っていく巨体。 残されたのは、廃墟と化した知らない村と、泥まみれのわし一人。
「……は、ぁ……はぁ……」
助かった、のか? いや、状況が飲み込めん。 わしは死んだはずだ。工房のベッドの上で、弟子たちに看取られて。 なのになぜ、こんな雨降る瓦礫の中で野垂れ死にかけている?
体を起こそうとして、違和感に気づいた。 視点が、低い。 地面がやけに近い。 痛む頭を振って、泥水たまりに顔を近づける。 雷光が走り、水面を一瞬だけ照らし出した。
「――――は?」
そこに映っていたのは、もじゃもじゃ髭のドワーフ爺ではない。 褐色の肌。 濡れて張り付いた金色の髪。 宝石のように赤い瞳。 どこかの良家の人形かと思うほど整った顔立ちの、幼い少女だった。
「なんじゃ……こりゃあ……」
口から出たのは、鈴を転がすような愛らしいソプラノボイス。 だが、その口調は完全にジジイのそれだった。
混乱する頭に、少しだけ本来のこの体の記憶が流れてくる。 名前は、ガルネット。12歳。 身寄りのない戦災孤児。 今日、この廃村に隠れ住んでいたところを、あの『呪いの王』の気まぐれな通り道になってしまったらしい。
(転生……したというのか? この、あどけない小娘に?)
わしは震える手を見つめた。 細い。あまりにも細い。 ドワーフの丸太のような腕とは雲泥の差だ。小枝だ。 こんな手で、ハンマーが握れるわけがない。
いや、待て。 さっきあの化け物は言った。『永遠に停滞せよ』と。 それが意味することは――。
「くっ……!」
わしは近くに落ちていた、家の柱の破片を持ち上げようとした。 以前のわしなら、指先一つで弾き飛ばせる程度の木材だ。
「ぬ、ぐ、ぐぐ……ッ!」
持ち上がらない。 ビクともしない。 ただ重いだけではない。体に力が入ろうとすると、見えない枷が筋肉の収縮を拒絶するような感覚がある。
「はあ、はあ、はあ……!」
何度も試した。 石ころ一つ。錆びたナイフ一本。 それすらも、今のわしには鉛のように重い。
成長不可。 筋力増強不可。 それが、あの『呪いの王』が残した置き土産か。
この華奢で、無力で、可憐な12歳の少女の体のまま、一生を過ごせと? この異世界で? 魔獣が跋扈するこの場所で?
「ふざ……けるな……」
雨に打たれながら、わしは笑った。 絶望? 否。 怒りだ。 職人としてのプライドをコケにされたような、静かな怒りが腹の底から湧いてくる。
「力がなければ何もできんと思うたか? この程度で、わしが折れるとでも?」
わしは、ガンツだ。 鉄を知り、炎を知り、万物を武具へと変える天才だ。
筋力がない? なら、テコの原理を使えばいい。 重いものが持てない? なら、重力を制御するルーンを刻めばいい。 身長が低い? 足場を組め。
知識はある。200年分の、血と汗の結晶が頭の中にある。
「上等じゃ……やってやろうじゃないか」
金髪の美幼女――中身ドワーフ爺――は、泥水の中から立ち上がった。 ニヤリと笑うその表情は、可憐な容姿には似つかわしくない、不敵で獰猛なものだった。
「わしの技術で、この理不尽な世界をねじ伏せてやる」
こうして。 後に『鉄槌の幼女』と呼ばれ、大陸中の戦士たちがひれ伏すことになる、最強にして最年少(見た目だけ)の武器屋の物語が幕を開けたのである。




