第70章 灰の中から
ハルトは時間なんて気にしなかった。
ようやく歩く許可が下りたのだ。
まだ足は痛み、動かすたびに鈍い刺激が走る。
それでも、もうじっとしてはいられなかった。
ゲンキとレイカに会わなければ。
クロザネとクロヌマへの襲撃――その作戦で、自分にできることを確かめたかった。
ドアをノックすると、見知らぬ少女が顔を出した。
浅黒い肌に、暗い髪。鋭く光る青い瞳が、寝起きのままの顔で彼を見つめ返す。
「……何か御用ですか?」
ハルトは一瞬、言葉を詰まらせた。
「相川ゲンキを探してる。ここにいるか?」
少女は首を横に振った。
「いいえ。少し前に出て行ったわ。港の方へ行ったけど――」
言い終える前に、ハルトの姿は風と共に消えていた。
――港に着いた瞬間、彼の呼吸が止まった。
海の一部が氷に閉ざされ、少年の一人が地面に凍りついている。
その先では、ゲンキとレイカが必死に結界を支え、
触手とうねる爪を持つ、異形の少年の攻撃を防いでいた。
瞬時に理解する。――オカザキの人間だ。
ハルトは距離を取り、着地と同時に炎の鞭を手にした。
「行くぞ、ゲンキ。もう、置いていかれたりはしない。」
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ゲンキが顔を上げると、炎の鞭がセイジの蜘蛛脚を絡め取っていた。
「こいつは俺に任せろ。」
ハルトの声は落ち着いていたが、その瞳は鋭く、獣術師を捉えて離さなかった。
「オカザキとの戦いからずっと鍛えてきた。今度は、ちゃんと力になれる。」
手首を軽く払う。
その動きだけで、風が生まれ、絡め取った脚を一刀両断した。
セイジは咄嗟に本体の脚を守るが、再生中だった足の動きは鈍い。
苛立ったように唸りながら、切断面をゴリラの足へと変形させる。
即席の義足――だが、十分に動ける。
翼が背から生えるが、飛び上がるより早く、ハルトの風がそれを叩き落とした。
レイカはゲンキの傍らに浮かび、光る手を彼の体にかざす。
体内の毒素が焼けるように抜けていく感覚に、ゲンキは歯を食いしばった。
動けなくても、今はそれに耐えるしかない。
セイジが触手を伸ばす。
だが、その瞬間、地面から石の棘が突き上がり、触手を串刺しにした。
「俺はもう、あの頃の弱虫じゃない!」
ハルトの叫びと共に、海の水が巻き上がる。
セイジがまたしてもスライムの防壁を展開するが――
ハルトは止まらない。
大地を巻き上げ、水と混ぜ合わせて渦を作る。
それは泥となり、セイジの体にまとわりついた。
動きが鈍る。
次の瞬間、ハルトの両手から炎が噴き出し、泥が一気に焼き固まる。
わずか数秒で、セイジは首まで土の牢に閉じ込められた。
ハルトは息を整え、まっすぐ立つ。
ようやく毒の影響から解放されたゲンキが立ち上がり、
ハルトの肩に手を置いた。
「久しぶりだな。立ってる姿を見るのは嬉しいよ。」
ハルトはにかっと笑う。
「ただいま、ってとこかな。……襲撃の件、聞いた。俺も手伝う。」
彼の視線の先で、セイジはまだ必死にもがいていたが、
力を使い果たし、脱出できる様子はなかった。
ゲンキの顔が少し曇る。
「俺たちも行きたいが……止められたんだ。『今回は任せろ』ってな。」
「何だと?」ハルトの目が見開かれる。
「俺たち抜きで? しかも、お前が命令を守るなんていつからだよ?」
ゲンキは一瞬きょとんとし――やがて笑った。
「……確かにな。俺が大人しくしてるわけないよな。」
だが、その笑いは次の瞬間、爆音でかき消された。
街の中心部から、炎と煙が立ち上がる。
二人とも、言葉を失った。
「夜明けまで攻撃はないはずだった……」ゲンキが呟く。
夜空はまだ暗い――予定より、あまりにも早い。
「何が起きてるか確かめる!」
ハルトは地を蹴り、風に乗って飛び出した。
ゲンキもすぐに走り出す。
その背後で、レイカが深いため息をつく。
「まったく……バカ二人。怒られるのは私なんだからね。」




