第二話
けたたましく鳴る目覚まし時計に心地の良い夢を邪魔され、大きなため息が出る。ぼんやりとしたまま、台所で灰皿の代わりにしている小瓶の蓋を開けた。
冬至が目前に迫るこの時期の朝に吸う煙草は、夏とはまた違った味がする。程よく湿った煙草の葉は、ある種官能的であり、その煙は満たされない心の隙間を一時的に満たしてくれる。
食事のスタイルとして自炊する上では毎日同じものを食べる。そして水しか飲まないようにしている。朝食はパスタと味噌汁。日本とイタリアの友好の架け橋を繋ぐのであれば俺に連絡して欲しいものだ。
そんなくだらない事を考えながら、手慣れた方法でパスタを茹でる。
その間に煙草を咥え、火を付けた時にふと小瓶を意識した。銀色の艶やかな本体とは裏腹に、有害物質の溜まった蓋の部分はなんとも言えない色をしていて、まるで人間の醜い部分を集約したかの如く不気味な様子をしている。
呪いとも言い換えが可能なその物体は鏡的役割を果たしているなと感じた。
朝食を済ませ、準備をしているとスマホが鳴った。顔馴染みからの連絡で、レポートを忘れていたから写させて欲しいとの旨の連絡。心底うんざりしながらも煙草一箱で契約成立となった。
年末にも関わらず通勤するサラリーマンの大群を掻き分けて、見慣れたいつもの大学校内にある唯一の喫煙所で一服をする。
「やあ、緑ノ助は今日も早いね」と言いながら、颯爽とその男は現れた。
何となく返事をするのが不服だったのでスマホを眺めていた。読んでいる記事には「晦様 その正体に迫る」と書かれていた。詳しく読んだわけではないが、どうやらマニアの間で流行っているらしい。
「お代官様、ハイライトでございます。どうかこれでひとつ……」
朝から鬱陶しい。古い友人のよしみだ、やれやれ。
「お主も悪よのう」と渋々答える。
乾いた笑いの応酬で何となく懐かしい気持ちになった。
「いつも悪いね、これ頼まれていたハイライトだったっけ?」
彼は煙草を吸わないので、いつもハイライトのイントネーションが少し違う。
これにて契約成立となった。
「最近これの方はどうなのよ」
彼は小指を立てた。今時そんなポーズを取る人間はいないが、彼はなんか古い。
「いや、あの人以来さっぱりだ」と答える。
「あの人以来さっぱりね……」
「まあしょうがないか、名前も知らないんじゃ探しようもないね」と彼は残念そうな顔で答えた。
「何度か、初めて会った喫煙所や一緒に行ったカフェとか、探したりはしたんだけどな」と自分でも想像して無かったくらい悲しげな声が出た。
「レポート、ありがとな。助かったよ」
その表情を見て彼は申し訳なさそうに言った。
「たまには飯くらい奢ってくれてもいいんじゃないのか?」
「そのうちね、良いお年を」
そのやりとりを最後に彼は小走りに喫煙所を出ていった。
新しく貰った煙草の封を切り、誰もいない喫煙所で彼女の事を考えながらもう一服をした。その味は切なくも甘美であった。
下を向いていたので、煙が目に入り、涙が頬を伝った。