68-そこにいた
え⁈
今たしかに耳元で声がした⁈
振り返る……が誰もいない。静かな森に囲まれているだけだ。
でもよく見ると無数の小さな虫が何かを期待するかのようにイチの周囲を楽しそうに飛んでいる。
「歌うの⁈俺が⁈歌を……いやどうしてもと言うなら歌っても良いけど、そんな事を急に言われても何を歌えば良いのか……」
慌てて頭の中で歌えそうな歌を検索する。流行のJ-POP⁈子供の頃に口ずさんだ童謡とか⁈
イチは水槽の酸素の足りない時の金魚みたいに口をパクパクさせながら考えていたが……ふと思い直した。
「(いや、そういうのたぶん期待されていないよな)」
普通に考えたら、亡くなった人はやはりこの世界の歌が聞きたいよな。
でも何を歌えば良いのだろう……この世界の歌なんて知らないし。
いや……一曲だけ知ってるかも。
その歌に思い当たった瞬間に脳内に綺麗なメロディーが流れ始めた。
目を閉じ、思い出しながらゆっくりと口ずさんでみる。
『緑の風が吹く大地 我らの故郷に恵み満ちて
静かに流れるノース河は 未来へ続く希望の道
しろがねの城そびえ立つ 歴史を刻む誇りの証
優しき民の心は一つ 共に歩む明日の希望
萌ゆる大地、我らの誓い 手を取り合い、明日へと進む
平和と愛が響き渡る ――――を守り続けよう』
以前、寝ている時にリコが枕元で歌ってくれた歌だ。
歌詞はうろ覚え。『――――』の部分は夢の中で勇者オリオンとカセーツさんが何か喋っていたから上手く聞き取れなかった部分。だからその部分は適当に誤魔化して歌った。
「(たしかこんな歌だったよな。こんな感じで良いのかな⁈)」
そう思いながら目を開き、周りを見たら
小さな虫だと思っていた生き物たちは、いつの間にか淡く光る人の形に変わっていて、気が付いたら沢山の集団に囲まれていた!
しん しん しん しん しん
音が聞こえたわけではない。でも小説とかで雪が降る時に使われる擬音のようなものを『感じた』。
光る人形たちの身体からは、ぱらぱらと……まるでスノードームをひっくり返したような、細雪の様な粒が延々と零れ落ちて、地面に吸い込まれている。
「(綺麗だな……)」
そう思った瞬間にまた心で――――『感じた』。
「(いや、違う。この人たちは……泣いている……)」
すすり泣く声が聞こえた訳でも仕草が見えた訳ではない。
でも切なくてしっとりとした空気が夜露のように肌にまとわりつき……伝わってくる。
この人たちは泣いている。
そして湿度がどんどん上がっていく⁈
そんな事を考えていたらイチの周りの人形が凄い数になってきていた。
「うお?いつの間にこんなに増えて……」
そう言いかけて気づいた。
急に増えたんじゃない。
この感覚は……
「(違う!今、急に集まったんじゃない!この人たちは……ずっと近くにいたんだ!)」
ずっと声なき声を発していたんだ。
自分は今ようやく『知覚』できるようになったといった方が正しい。
「(ずっと使わずに眠っていた脳内の回路のスイッチが入ったという感じかな⁈少し違うけど、新しい祝福を手に入れた時の感覚に似ている)」
そんな事を考えていた時に、おそらく少年くらいの歳じゃないかと思われる人形がイチの前に進み出てきた。
その人形はイチの顔をジッと見たかと思うと、大きく両手を広げた。
その瞬間、理解した。
「(この人がメツア兄さんだ)」
声をかけてみる。残念ながら返事はない。知覚できても会話が出来るという訳ではないらしい。
そして、メツア兄さんと思われる人形は両手を広げたままこちらを見上げ、何かを待っているように見える。
これはおそらく……
「もしかしてハグしろってことですか⁈」
頷く人形。
それを見ておずおずと両手を広げるイチ。
するとメツア兄さんはイチにそっと抱き着き、イチの背中を右手で3回、左手で1回軽く叩く仕草をしてそっと離れ、イチの顔を見ながら頷く仕草をした。
「もしかして、これって……」
イチがそう言いかけると、メツア兄さんの人形はゆっくりと頷き、イチの顔にその小さな手をかざし、何か呟いた……気がした。
そこで目が覚めた。
空気がひんやりしている。どうやら、メツア兄さんのお墓の前でいつのまにか寝ていたらしい。周りはすっかり暗くなっていた。
「(今のは……夢⁈)」
夢……にしては凄く明晰だった気がする。持ち物を確認してみた。特に何か持ち物が増えたり減ったりはしていないようだが……腰に差している武器が少し軽くなっている気もする。
「(夢だったら……良い夢が見れた気がする。それにしても……)」
もう一度周りを見回す。
日はすっかり落ちてほぼ真っ暗だ。帰りの道は分かるつもりだったがいくら何でも、明かりも無しに夜の森は歩けない。どうしたものか。
「(足元が見えないのは怖すぎるし、この暗闇の中でベラーや大宝イノスと出くわしたらシャレにならない。『大貨物船』の船倉にランプみたいなものがあれば良いけど、そんなのあったかな⁈)」
そう思いながら『大貨物船』を起動して船倉を探そうと首に手を当てる。
が、思い直した。
「(いや、ここは心配したフォレスタたちが迎えに来てくれるのを待った方が良いな)」
そんな事を考えていたら、森の奥から小石が飛んできて足下に転がった。石の飛んできた方向を見ると、森の奥から小さな人影が歩いてくるのが見える。
あれ、これは……。
「モモチェキラさん⁈」
遮光式土偶のような人形が明かりを持って立っていた。
そしてこちらを見たまま、くるりと向きを変えて『ついて来い』と何度も促してしている。
「ありがとう、モモさん……ん⁈」
モモチェキラさんについて行こうとすると、自分の周りに米粒の様な大きさの光球たちが集まり始めた。
そしてその光球たちの一部は時々、森の奥にふわふわと飛んで行く。
どうしたんだろうと思うと、光球が飛んで行った方向から野生動物が逃げ出していくような鳴き声と足音が聞こえてくる。
「(さっきのは夢じゃ……なかったみたいだ。皆が……送ってくれるんだ。ありがとうございます)」
そのまましばらく歩き、ベラーや大宝イノスに出会う事もなく、無事に集落に着けた。
そして集落に着いたと同時に、光球はすっと天に昇ったかと思うと、水蒸気のように消えてしまった。
「(ありがとうございます)」
そう心の中で呟き、光球が消えた方向をジッと見つめていたら、リコとフォレスタがすっ飛んできた。
「イチ様!大丈夫でしたか⁈遅かったので皆心配していたんです!今ちょうど、迎えを出そうとしていた所で……」
「こら!イチ!夜のグミルの森は、森の民でも気をつけないと危ないんだよ!まったく……でもよく無事に帰ってこれたね、良かった!」
フォレスタは口調は笑っていたが目はしっかりと怒っていた。申し訳なく思い小さくなる。
フォレスタはそんなしょげたイチを見て少し安心したみたいで、今度は、モモチェキラさんの方を見た。
そしてモモさんの手元にある明かりを見てニヤリと笑う。
「優秀だね~!モモさん、ありがとう!よし、イチも疲れたでしょ⁈まずは夕食にしよう。それにしてもボクの手作り料理が食べられるというのにすぐに食卓に来なかった奴は初めてだね。そこはかる~く説教しようかな⁈」
少し腰を曲げつつジト目でイチの顔を覗き込むフォレスタ。
それを見たイチは、恐縮するでも照れるでもなく両手を広げ、ゆっくりとフォレスタの背中に手を回し……そっと抱きしめた。
「え⁈何⁈どうしたのイチ⁈」
普段と違う大胆な行動に慌てるフォレスタ。だがイチは慌てることなく、フォレスタを抱きしめたまま、背中を右手で3回、左手で1回軽く叩いた後にそっと解放して、
「ただいま」
フォレスタの顔を見つめつつ、一言そう伝えた。
フォレスタは呆然としていた。
そして……彼女の目にうっすらと涙がにじみ始め、頬を伝った。
そして絞り出すような声でイチに尋ねた。
「……会ったの⁈」
イチは何も答えない。
だが、
ぐー……。
返事の代わりに、イチのお腹の鳴る音が響いた。
それを聞いたフォレスタが大笑いしながら
「そうだよね!まずは夕食にしよう!色々手伝ってくれた勇者様のお腹を満たさなきゃ!ボクの作ったパンシャリカンとスープは本当に美味しいんだよ!さあ食べて食べて!」
涙をぬぐいながら、本当に嬉しそうな顔をしてフォレスタが食卓へ駆けて行く。
リコも何かを察したらしい、優しく微笑んできた。
「(ごめんフォレスタ、いつか話すよ)」
イチはフォレスタの背中に向かって心の中でそう呟くと食卓に座り……山盛りのパンシャリカンを掴み齧った。
今日のパンシャリカンはちょっぴり塩っぽかったけど……どこか優しい味がした。