52-蛇の首輪
「はあ……はあ……はあ……」
エリトは苦しそうに息を吐く。目は血走り脂汗が止まらないようだ。
ここは森の民の集落から数キロ離れた所にあるグミルの森の中の小さな小屋。
その小屋の影に隠れてエリトと黒百合は逃げてきて休んでいた。
「小屋の中に……クソ、鍵がかかってる。まずは……血を止めないと……」
エリトは震える左手で腰の小物入れの中を漁っている。右手が使えないから苦労しているようだ。そして、小物入れの中から単三乾電池くらいの大きさの細長い青い石を見つけ、取り出した。その青い石は半透明で一見、水晶に似ているが、中にピンク色の小さなぶよぶよしたものが動いている。
「クソ!これしか無いのか。まあ、仕方ない」
エリトはその青い石を二つに割った。すると中からピンク色の液体がドロリと流れ出し、膨らんで肉まんくらいの大きさのゼリー状の塊になった。創作ファンタジー世界におけるスライムに似ている。エリトはその肉まんスライムを掴むと、右手を切り落とされて血が流れている右手首の患部に塗り付けた。その瞬間に肉まんスライムは傷口を覆い、止血してかさぶたのように固まった。
「これが竜人兵が使っている救急セルか。どうやら俺の世界における水絆創膏みたいな物らしいな。止血はこれで良し。だが……」
先ほどの戦いの事を思い返し、苦悶の表情になるエリト。
森の民の集落を再起不能にしてドラフト1~3位の勇者を仕留めたから目標は半分以上は達成した自負はある。
だが右手を失ったのは超痛手だった。そしてそれ以上にマズい事がある。
「エルマを取り逃がした。マムリとジルコンの魔道具も回収できなかった。しかもライミが生きていたとなるとシャレにならない……」
大戦果とはとても言えない。ギラードは重傷を負い、ジャーバル将軍は戦死。おまけに連れて行った竜人兵はほぼ全滅させられてしまった。竜人側についたとはいえエリトは人間であり元勇者だ。このまま手ぶらで帰ったらどんな目に遭わされるか分かったものじゃない。
「一度態勢を立て直さないと……ライミが生きているなら奴を探し出して殺し、魔道具にしてしまえば良い。それを手土産にして帰れば俺の顔も立つはずだ」
だがライミを探すためには情報も手駒もいる。今からできる事は……。
悩んでいた時に、目の前の立木がガサガサとゆれて人影が現れた。アンとチョビだった。それを見たエリトは破顔する。
「おお!お前らいい所に来たな。聞いていると思うが、ジャーバルが亡くなった時点で俺様がお前たちの上司だ。命令には従ってもらうぞ。今から勇者ライミを追跡する。女の脚ではそう遠くにはいけまい。近くにいるはずだ。なんとしても探しだせ、いいな」
アンとチョビにそう命令する……が二人とも動かない。
「聞こえなかったか!ノロマども!さっさと動け!」
イライラしながら命じた後にエリトは気付いた。アンとチョビがニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべている。
何かを察して青ざめるエリト。
「お前ら……まさか⁈」
エリトのその言葉と表情を見て嬉しそうに顔を見合わせるアンとチョビ。
「どう思うかね⁈アンくん⁈」
「そうだな……いけ好かない人間の上司なんてまっぴらごめんだからな。ここなら誰も見ていないし、勇者サマには名誉の戦死をしていただこうか!」
二人がそう言った瞬間にエリトはバックステップした。両手を目の前でクロスする!が……姿は消えなかった!
「(姿が消えない⁈まさかこの祝福、両手が無いと発動しないのか⁈)」
血の気が引くエリト。それを見てニヤリと笑うアンとチョビ。
チョビは右手に小刀を持ちエリトに向かってダッシュした!その刀身は赤銅色に輝いている!
「黒百合!俺様を守れ!」
叫ぶエリト。それを聞いた黒百合がチョビに向かって鎌首を上げて牽制する!慌てて横方向に進路を変えるチョビ。
「(チョビはこれで良し、アンは……)」
アンの方を見ると腹に空気を大量に吸い込んでいて、火球を連発で放とうとしていた!慌てて右手を上げて雷の大砲を撃とうとする……が雷が出ない!
「(こいつも右手がないと出ないのかよ!)」
慌てて左手を出して雷の大砲を撃つエリト。今度は出た!が……出力が明らかに前より落ちている!
アンは動けるデブの機動力でサッと雷の大砲を避けると続けざまに火球を二連発で放った!
ドオンドオン!
エリトの右手側で爆発が起こる!爆風に押され右手首の救急セルが焼け、倒れるエリト!それを見た黒百合が、次の火球を放たせないようにアンに向かって黒い何かを飛ばした。が……黒百合の意識がアンに向いた瞬間を見逃さず、チョビがエリトに向かってトドメを刺すべく突進する!
「ざまあねえなあ!エリト!まあ墓くらいは立ててやるから安心しな!」
「ヒイイイイイイイ!」
倒れながら悲鳴を上げるエリト。斬られると思った瞬間に思わず目を閉じてしまう……が、何故か攻撃が来ない。
そっと目を開けてアンとチョビを見ると、二人とも膝をつき、天を仰ぎ見て泡を吹いていた。
よく見ると、アンとチョビの首に80cmくらいの黒い蛇が巻き付き、瘴気を放ちながら締め上げている。
「アアアアアアアア……首が溶ける、溶けちまう……」
「わ……わかったよ……俺達の負けだ、なんでも言う事を聞くから……助けてくれ」
アンとチョビが情けない声を上げながら命乞いをする。
エリトが呆然としていると、七岐大蛇、ではなく蛇を二匹使ったためか首が五つの五岐大蛇となった黒百合がアンとチョビを睨みつけたかと思うと、ドロドロに溶けて液体になり、その後、人の形になって固まった。そして色が付いたかと思うと、2mくらいの背丈で病的な感じのする長い黒髪の瘦身の美女に変化した。肌は色白だが頭のてっぺんから足元までどす黒く、和洋折衷の喪服に似た感じの着物を纏っている。
そして黒百合は命乞いをするアンとチョビに冷たく言う。
「貴方たち二人の首にあちきの分身の蛇を植え付けたでありんす。その蛇は貴方たちの神経にまで根を張って監視するでありんすよ⁈おかしな真似をしたら、すぐにお前たちをドロドロに溶かすでありんす。その覚悟がおありでしたら……お好きにするでありんすよ⁈」
そう言い放った後に、アンとチョビの首に巻き付いた蛇はゆっくりと溶けて二人の首に染みこみ、刺青の様な形で残った。黒百合はすっかり観念した二人を確認した後、エリトの方を向き
「どうなさいますかお前様⁈」
と言い、艶めかしい目でエリトを見た。
ハッとしたエリトは慌てて背筋を伸ばし、アンとチョビに強く言い放つ。
「今ので分かったな⁈お前らは俺様の部下だ。如何なる反抗も許さん。今すぐ逃げたライミの捜索に当たれ。あの様子では森の民の集落にはいないし、そう遠くにも行ってない。この周辺の水と食べ物のある辺りを重点的に探せ。見た目⁈この世界の人間じゃない感じの黒髪の女だ、言われなくても勇者たちをたくさん見てきたお前らなら分かるだろう!聞き込みはギラード様の名前を出せば良い、すぐに動け」
ウッ……と言う表情をして顔を見合わせ、トボトボと歩いて去ろうとするアンとチョビ。それを見て
「さっさと走れ!」
そう怒鳴りつける、転びそうになりながら大慌てで走り去るアンとチョビ。それを見てホッとしたのか座り込むエリト。
「た……助かった……よくやった黒百合」
思わずそう呟くエリト。しかしホッとしたら、さっきまで忘れかけていた手首からの焼けつくような痛みが復活した事に気付いたらしく。右手首を押さえて歯を食いしばった。エリトは慌てて小物入れの中に入っていた水色の飴と干し肉を取り出し口に入れた。干し肉は宝イノスの肉を薄切りにしたものを乾燥させて香辛料をまぶしたもので、水色の飴は『水飴』と呼ばれてるものであるが菓子ではなく嚙み砕くと水が溢れでてくる、携帯用の水分補給物資だ。
脂汗を流しながらそれらを腹に入れると、エリトは黒百合に言った。
「血もだいぶ流れたし、なんだか熱も出てきた。ヤバいかも知れん。少し休むから見張りを頼む」
「はい、お前様」
そう言うとエリトは横になって眠ろうとしたが……痛くて眠れない。
いや、わかってはいたつもりだが右手がないと本当に何もできない。うっかり右腕で体重を支えようものなら阿鼻叫喚だ。いや、そもそもこんな手ではこの先戦い抜けるかどうかも怪しい。
そう考えたらエリトの目に涙が浮かんだ。痛みからではない。異世界に来てリスタートを決め上昇気流に乗っていたのに、またも挫折したのだ。それも二度も同じ相手によって、よりによって見下していたイチの野郎に!
「いつもいつも!あいつは何故俺の邪魔をするんだ!畜生!」
こらえきれずに叫ぶエリト。それを無言で見つめる黒百合。エリトはさらに続ける。
「俺を中心としたカースト世界はいつも上手くいっていた!教師は俺の言いなりだし、女たちは俺に色目を使った!その代わりクラス全体の成績は上がってた!能力が高い奴が上にいれば全体が上手くいくのは当たり前だし、クラス全体の結束を上げるために皆のオモチャになって貰う存在が必要なんだ!これは必要な犠牲で経費なんだ!」
エリトは止まらない、まだ続く。
「犠牲になりたくなかったら能力を上げて他人を蹴落として、代わりにオモチャになる奴を作るか、王の俺様に媚びを売れば良いんだ!なんでその世界の仕組みを理解しない!なんで俺より能力の低い奴が俺に歯向かうんだ!邪魔をするんだ!常識で考えればわかるだろう!イチめ!世界の仕組みが見えない低能猿がアアアアアア!」
滅茶苦茶である。
自分が悪い事をしていたとは決して考えない。やり返されたら被害者面するという、完全に逆恨みの思考パターンなのだが、本人は決してそれを認めない。かえって恨みだけが強くなっていく、完全な自己中心的なモンスター、それがエリトこと常似襟人だった。
そして勝手な理由で泣きわめいているエリトをうっとりとした目で見つめる黒百合。
その青白くて細い腕をエリトに伸ばすと、右手でエリトの顔を優しく撫で、光の無い漆黒の瞳で見つめつつ囁いた。
「ああ……いいわあ……自分が間違っているとは決して認めない。何かを恨み続けて、それを力にする負の力。やはりお前様はあちきの好みど真ん中でありんす。なんでもして差し上げたいでありんす」
そう言いながらエリトにしなだれかかる黒百合。そしてその瞳をみてドキリとするエリト。今気付いたが、病的で、悪い薬でもやってそうな雰囲気だが恐ろしいほどの美人だ。目の下に濃いクマがあるがそれも含めて闇の魅力がある。こんないい女見たことない。
エリトは急に冷静になって来た。しかし頭が冷えた瞬間、また右手首に激痛が走った。
「クソ!右手があれば……」
右手首を押さえ憎々し気に呟いたエリトに黒百合は嬉しそうに返す。
「それがお前様の望みでありんすね⁈」
エリトが「え⁈」という表情をすると、黒百合の身体は溶けて液体になった後、五岐大蛇の姿に変化してぐんぐん縮みだして肉まんくらいの大きさになった。そして五つの鎌首が変形して指になり……右手に変化した。
「お前様、あちきを右手首に運んでほしいでありんす」
エリトはこわごわしながら左手で黒百合が変化した右手を掴み、それを右手首の位置に合わした。するとその右手は右手首に融合して……右手が復活した!
「うおおおお⁈マジか!」
感動して、思わず復活した右手で雷の大砲を試し撃ちするエリト。
ドオオオオオオオオオン!
黒い稲妻が出た!物凄い出力の雷が迸る!
「出るじゃないか!ならば!」
両手を身体の前でクロスする。今度は姿が消えた!
「フハハハハハ!完全復活だ!」
喜ぶエリトに黒百合が囁く。
「お前様、右手を刃物にするイメージを持って欲しいでありんす」
「刃物にするイメージ⁈こうか⁈」
エリトは右手を手刀の形にして、頭の中で鋭いナイフを想像した。
すると……右手が変形して呪いの小刀になった!
「フハハハハハ!なんだ、なんの問題も無かったか!やはり神様は俺の味方だな!イチめ!血祭りにあげてやる!」
哄笑するエリト。すると、
「嬉しそうで何よりでありんす、お前様」
右手の呪いの小刀から声がする。黒百合とはこの形でも喋れるらしい。
思わずエリトは小さな声で呟いた。
「ありがとう、黒百合」
「……お前様、何か⁈」
「いや……なんでもない」
黒百合の問いをはぐらかすエリト。そして心の中で呟いた。
「(他人に心の底から感謝したのは……小三の時以来だな)」
そんな事を考えていたら、体力の限界がきたらしくそのまま倒れ伏すエリト。
そしてそのまま意識を失い、寝息を立て始めた。
エリトが寝落ちして少しした後、エリトの右手の人差し指が伸びて膨らみ、黒百合の人間形態になった。
そしてエリトの頭を撫でながら囁く。
「ああ、呪わしくて忌むべき愛しい愛しいお前様……どうかこのままどんどん闇落ちしてくださいな……決して期待を裏切らないでくださいな」
そして闇よりも暗い瞳でエリトを見つめ、艶めかしい声でまた囁く。
「もし裏切ったら……どろどろに溶かしてやるでありんすよ」
そう言った後に黒百合は蛇の姿になり、獲物を見つめる目をしながらエリトの周りでとぐろを巻いた。