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プロローグ

  プロローグ

 十七歳、お母さんが死んだ。末期癌だった。

 お父さんもお母さんも、教えてくれなかった。治ると言ってくれた。長い入院期間が終わったら、また元気な姿で帰ってくると信じていた。

 十八歳、高校を卒業して間もないころ、進学前に母が亡くなった傷が癒えぬまま、僕は家を出た。

「本当にいくの?当ては、あるのか?」

「ある」

 何もかもが嫌だった。自分だって悲しい癖に僕の気を遣うそのお節介さが。その憐みの目が。それを「お節介」だと感じる自分の未熟さが。そんな自分に呆れ、父の負担になるのが嫌になった僕は、行く当てなんかなにも無い事を隠したまま、その日暮らしの覚悟も持たずに玄関扉を開けた。

「いままで迷惑かけてごめん」

 父さんと顔を合わせられないまま、今までの気持ちを口に出し、背中から聞こえる声から逃げるように駅へと向かい、どこに行くのかもわからない電車に揺られた。このまま死んでもいいと思った。希望も色もない自身の未来とは裏腹に、車窓から差し込む日差しは余りにも眩しく、痛いほど熱かった。

(伏守…)

 どれくらい揺られていたのだろうか、その間、眠りもせず、何かを考えもしなかった。只々揺られ続け、ある時車内からのアナウンスで意識を覚まし、さっきまで燦燦と僕を焼いていた太陽は沈み、肌寒い風と黒一色が空を包んでいた。

 伏守(ふしもり)、それが僕が降りた駅名だった。

 改札脇にスマホを当て、高い運賃を払い終えた後、閑静な住宅街に出た。まっすぐに住宅街が並んでおり、道を街灯が点々と照らしている。しばらく歩いていると、「坂月堂(さかつきどう)」と書かれた小さな書店が目に入った。デジタルの時代で今なお生きている書店を見つけるとなぜか嬉しくなった時を思い出しながら、扉を開ける。

「いらっしゃい」

 鈴が鳴る音とともに、店内の奥から聞こえてくる女性の声、店内は木造で年季が入っており、樹木と紙の匂いが店内を包んでいた。客の姿は見えず、床の隅に大量の本がまるでオブジェのように積まれている。しかし、積まれている本の表紙は綺麗なままで、埃や汚れが一切目立っていなかった。

 カチカチと秒針の音がする所へと目を向けると、鳩が住んでいる掛け時計の時針は、七時を指していた。

 これからどうしようだとか、寝る場所の確保だとか。そんなことは一切頭には無い。今はただ、この本の倉庫に身を委ねていたい、そんな気分だった。

 父は著作家だった。母さんがよく父の本を嬉しそうに自慢していたのを覚えている。お父さんの書く文章が大好きなんだ、と。一度父が書いた本を読んだが、当時中学生の自分には難しく、内容はよく覚えていない。しかしその影響か、次第に自身も読書が一つの趣味になっていた。

 しかし、母が亡くなってから、いつしかそれは現実逃避の道具へと変わっていた。読み終わった本の感想を両親に伝えることはなくなり、ただ文字を眺めるだけで内容はまったく覚えていない。今もそうだ、フィクションが織りなす倉庫に逃げ込み、そこでただ眺める振りをしているだけ。

カチ カチ カチ

――それでも時間は残酷なほど動き続けている。

「もう閉店ですよ」

「すみません、すぐ出ます」

 時計を見ると、すでに八時になっていた。目の前にある適当な本を買い、服も髪も真っ黒な女性の店主に渡す。

 その女性は、一瞬僕をじっと見つめた。

「六百五十円です」

 長い間いたから、厄介客だと思われたのだろうか。

「袋、いります? 有料ですけど」

「大丈夫です」

 慣れた手つきでブックカバーで本を包み、そのまま手渡される。

「ありがとうございました」

 チリンチリン、と、扉を開くと鈴の音とともに肌寒い風が洋服越しの肌に当たる。

 一時間前に聞いたはずなのに、なんだが長い間後ろの書店に身を置いていた感覚だった。

 そして再度、駅から離れるように歩いていく。

 なんだか現実ではないような、ずっと歩いていたいような、そんな気分だった。このまま歩き続け、野垂れ死んでもかまわないと、夜道には誰もいなく、闇だけが僕を覆っている。そのまま住宅街を歩いていると、ポツンとして小さな公園の入り口を見つけた。中心にあるブランコの脇に、まるで手招きしているかのように、ボロボロのベンチが街灯で照らされていた。

 自然に足が動き、そのベンチに腰かけ、買った本を読み始めた。

 母さんが亡くなってから、初めて文字ではなく、文章を読んだ気がする。

月兎の種族の女の子と、小さな村の男の子の恋愛物語だった。その文章はガラスのように繊細で、暖かかった。童話のような温かさと、人の喜怒哀楽を繊細過ぎる程に描いていた。次第に外の空気を忘れ、寒い風が吹いているというのに、心地よい感覚で瞼が重くなっていくのを感じた。



「君、大丈夫?」

 聞き覚えのある声で目を覚ます。あたりは明るくなっており、どうやら朝までベンチで横になっていることに気づいた僕は、すぐさま起きて声の主を確認した。

 真っ黒の紙、真っ黒の服、両手に酒や食材やらが入ったビニール袋。あの書店にいた店主だった。書店の中だと目立たなかったが、太陽の下ではよく目立っている。

「君、今日ずっとここにいたの?」

「…はい」

 寒さと寝起きで意識が朦朧とする中、聞き取れる言葉に返していく。

「家に帰らないの?」

「…」

「君、名前は?」

凛翔(りんしょう)白兎(はくと)

 これから警察にでも突き飛ばされるんだろうか、もしそうなら一目散に逃げてやろうと地面をじりじりと擦る。

「は? 凛、翔?」

 店主は豆鉄砲を食らったような顔をした。その反応に、僕も何をどういう反応をすればいいのかがわからず、ただ店主から目を背けていた。

「君、間違ってたら申し訳ないんだけど、凛翔、紬さんの、息子さんだったりぃ、する…?」

「…そうですけど」

 一瞬父の名を出したことに驚いた、だが、どうせ父の書いた本のファンかなんかだろうと思った。

「ご、ごめん、ちょっとまってて、繋がるかな……」

 店主が背を向き、急ぐ様に真っ黒の服からスマートフォンを取り出し、誰かに連絡をする。逃げ出すチャンスはここだと思い、店主にばれないようにゆっくりを腰を上げ、後ろの出口から逃げようと忍び足で動く。

「先生! 今どこですか!」

(――先生?)

「あなたの息子が公園で野宿してましたけど!?」

 ま、間違いない、あの店主は今僕の父と話している。警察よりも面倒なんじゃないかと不安が雪のように募りはじめた。

「はぁ? なにいって、……まぁちょうど人手は欲しかったですけど、わかりました、わかりましたよ」

 店主が電話を切ると、こちらを向いて僕を見つめる。

「やっぱり、似てると思ったけど。…行く当てなんて無いんでしょ?」

「……」

「君、うちの下で働かない? 人手も欲しかったし」

 働くなら、迷惑になることなんてない、か。

「働くなら、まぁ……」

「はい決まり、じゃあこれ片方持って」

 とんとん拍子で店主の書店で働くことになった僕は、両手に持った片方のビニール袋を渡され、店主の書店へと向かった。

「そういえば名前言ってなかったね、私、坂月綾瀬、よろしく」

「よろしく、おねがいします」

 店名と同じく、坂月と名乗った彼女は、道中僕を下の名で呼ぶかどうか一人でぶつぶつと悩んでいた。おそらく父と苗字が被るからだろう、そんなのどっちでもいいけど、と思いながらも、黙って彼女の後をついていくことにした。


十九歳

 坂月綾瀬の下で働き始めて一年が経った、初めての仕事は店内ではなく、上にある彼女の部屋の掃除だったが。本の整頓や仕入れ、在庫管理など、ここでの仕事に慣れる度、坂月綾瀬がサボって本を読む時間が増えたのは納得いっていない。

 最初の半年間は彼女が住む「坂月堂」の二階に同居していた。住まわせてもらっている身なので、家事は積極的に行っていた。たまに酔った時に「ちょっと下の名前で呼んでみてくれない?」と提案されたときは本気で引いていた。

 そして、数か月がたったころ、コツコツと貯めていたお金でようやく一人暮らしをすることが叶った。半年間の給料でも、東京の中でも田舎のここは家賃が安く済んだのだ。

「たまには料理作りに来てね…」

「自分でしなよ…」

 彼女と過ごした半年間で、いつの間にか敬語が抜けていることに驚きながらも、ようやく手に入れたマイホームに少し高揚していた。

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