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エピローグ――聖歴一九三八年

 本国からは、一万キロメットを超える四〇日あまりの船旅だった。大使公邸に入り、数日の休養を取って、英気を養った新任の在ホーラント王国大フソウ帝国特命全権大使は、ホーラント宮内省差し回しの公用車に乗り込んだ。手には二つ折りにされた信任状が携えられている。これから、ホーラント国王に対して奉呈する儀式に向かうためである。あとには、随員の乗る自動車も続いた。前後を、ホーラント国家憲兵隊のサイドカーが護衛した。

 公用車の窓ガラスを通して首都アムスターダムの古めかしい街並みを眺めつつ、新任大使は大陸西岸の情勢を頭のなかで反芻していた。

三年前、前世界大戦で敗戦国となったゲルマーニャで権力を掌握した国家社会主義(NS)ゲルマーニャ労働者党(GAP)総帥フューラーレルツィヒ・フローダーは、自己の政権を神聖帝国、ゲルマーニャ帝国に継ぐ第三帝政と称し、機会あるごとに党大会や議会タークで、

「ゲルマーニャの栄光を取り戻す! 勝利万歳!」

 と叫んだ。そして、世界大戦の講和条約を公然と踏みにじって再軍備を宣言し、瞬く間に強大な陸空軍を出現させた。

 今年に入り、ゲルマーニャは「領土問題を解決する」と称して、軍事力を背景とする冒険主義的外交を展開している。大陸西岸の情勢は、風雲急を告げていた。

 フソウ本国の軍部内には、ゲルマーニャシンパが多く、事態の展開によっては、フソウも無関係ではいられないかも知れない。その分だけ自己の職責が重くなることを、それは意味した。

 近衛兵が立哨する王宮の門を通過すると、公用車群は少しの間樹々と花壇、噴水が幾何学的に配置された庭園のなかを走り抜け、そして王宮の玄関に到着し、車寄せで停車した。大使館員が先に下車し、大使の側のドアを開ける。大使は、モーニングコートに包んだ身を、石畳の上に降り立たせた。

 玄関ではホーラント宮内省の式部官長が式部官数名を連れて待機していた。案内に従い、赤い絨毯の上で慎重に足を進める。予備役海軍少将で、職業外交官ではない新任大使にとって、このような緊張は、最初に艦長として艦橋で指揮を執って以来であった。

 謁見の間の前で、大使は懐中時計を取り出し、時刻を確認した。遅れてはいないし、早過ぎてもいない。時間を守るということは、国家の上層にいくほど重要視されるのである。

 目の前で、壮麗な扉が両側に開いた。

「大フソウ帝国特命全権大使——」

 待機していた式部官の声が、謁見の間に響いた。

 大使は、公使や駐在武官ら随員を連れて入室すると一礼し、右手の信任状を手渡すため、正面の玉座へと歩みを進めた。玉座を占める初老の国王は、ネイザーラント連邦共和国初代総督の直系子孫で、一〇代目に当たる、と赴任前に本国の外務省で受けたレクチャーが思い出された。国王の周囲には、首相と外務大臣が侍立している。

 玉座の手前で最敬礼する。国王が、玉座から立ち上がった。そして大使は、

「我が主君、大フソウ帝国皇帝よりの信任状でございます。奉呈させて頂ければ幸甚にございます」

 と述べて、恭しく信任状を差出した。

 受け取った国王は、それを広げて目を通し、

「確かに――承った。以後、よしなに願う」

 と言葉を返した。

 少し下がって再度、最敬礼し、国王が玉座に腰を下ろしたのを確認したのち、大使は体を反転させて出口へと向かった。一礼して、謁見の間を退出する。

 扉が閉じられると、大使は周囲には悟られないように安堵の息を漏らした。帰路は、やや気分が軽くなった。来る時には目に入らなかったものも、今度は見る余裕が出てきた。

 王宮の廊下の壁には、一列になって絵が飾られていた。案内の式部官長によると、建国以来のホーラントの国家功労者の肖像画であるという。最初が、「建国の父」と呼ばれるオラニェ公爵ヴィレム・ファン・ナッサウであった。フソウ大使の足は、幾つめかの肖像画の前で止まった。目の前の肖像画は、大陸西岸の住人のそれとは明らかに違ったからである。

「これは……?」

 大使の問いに、式部官のなかの年配の者が答えた。

「フソウからお見えになる大使は、皆さまここで立ち止まられます」

 彼によれば、ネイザーラント独立戦争の最も苦しい時期、突如として現れ、勝利に導き、そして誰も気付かない内に姿を消した人物であるという。肖像画に描かれた人物の特徴は、フソウ人のそれだった。

 肖像画の下のネームプレートには、

「ダイゴ・ノダ」

 と記されている。生没年は不詳だった。

「まるで“花神”ではないか」

 大使は、フソウ語で独白した。「花神」とは、国が危機に陥った時、颯爽と現れて変革の花を咲かせ国を救い、危機を脱すると忽然として姿を消すというフソウの伝説上の人物である。老式部官の説明が正しければ、このダイゴ・ノダは、まさしくネイザーラントの花神であった。ノダ・ダイゴなら、フソウ人にあり得る氏名である。

 ――まさか、この時代にフソウ人がこの国にいるわけがない。

 フソウとネイザーラントは、ネイザーラント初代総督の時代に通商関係を結んでいた。しかし、正式に国際法上の外交使節を交換したのは、今から七〇年前にフソウで起きた帝政復古革命ののちである。

 開国したフソウは、六〇〇年以上続いた封建制を終わらせるために、古くから続く帝室を国の前面に押し出し、三〇〇余諸侯の統治権を回収し、さらに立憲君主制に移行して近代的国民国家へと変貌する道を選んだのであった。革命の過程で流れた血の少なさに、世界は驚いた。今上皇帝の祖父「大帝」は若くして即位し、革命の大業を成し遂げ、それから四〇年も経たぬうちにサイノ、ルーシの二大国に勝利し、一代にしてフソウを世界の一等国の地位に押し上げた。

 大使は頭を振って、疑念を振り払おうとした。だが、一方でなぜか信じたい気もするのであった。

 ――まさかな。

 心のなかで呟きつつ、大使は公用車の待つ玄関へと歩いていった。

(完)

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