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デンヘイグ港の沖に停泊する外洋船から何人かがボートに乗り移り、ボートは埠頭の方へと漕ぎ寄せられた。休戦条約により、身柄を返還されることとなったネイザーラント人の人質約一〇〇〇名の帰国第一陣であった。
埠頭の上には、出迎えの家族などが多く集まっていた。人質のほとんどは、ネイザーラントの要人の子弟であったので、出迎え者には高貴な身分の者が多かった。
ボートが埠頭に横付けされ、元人質たちが階段を上って祖国の土を踏んだ。
「あの方でございます。――フェルペさま!」
オラニェ公爵家の使用人のなかでも、最も古くから仕えている家令が、何人かの元人質のなかにリーセロットの兄の顔を認識した。
家令は人の群れの中にいたフェルペに、足早に走り寄って、
「フェルペさま、よくご無事でお帰りなされました」
と、感慨に満ちた再会の第一声を口にした。
「おお、久しいな。家はどうなっている」
「ご自宅にお戻りになってから、それはゆっくりと。――リーセロットさま」
家令は、リーセロットの方を向いた。亡父によく似た顔であったから、リーセロットにも、彼が生き別れの兄だと認識できた。
「兄上!」
リーセロットは、幼い頃生き別れになり、顔も覚えていない兄との再会に、感無量となっていた。自然と、その体に抱き着いた。
「お会いしとうございました。ご無事で何より」
「リーセ、お前にも苦労をかけた。今では、父上の跡を継いで総督だそうだな。立派にやっているようで、安心したぞ」
体を離して、リーセロットは、兄に語りかけた。
「兄上、兄上たちが帰国できるきっかけを作った恩人を紹介したいと思います。ここにいる――」
と、リーセロットは、傍らを振り返った。そこにダイゴが伴われている、筈だった。
「誰もいないではないか」
兄は、怪訝な顔をした。
確かに、彼女はダイゴをここに連れてきていたのである。だが、今彼の姿はそこになかった。
「ダイゴ、どこにいるの? ダイゴ、出てきて」
だが、困惑した彼女の呼ぶ声に応える者はいなかった。
◇◇
ダイゴの借家、軍事内局、軍事学校など、彼がいそうな場所は、その日の内にすべて捜索された。だが、見つかったという報告はなかった。
夕方、悄然として総督公邸に佇むリーセロットを、従兄が訪ねてきた。アルテュールも既に父親の葬儀を出し、ナッソー家の家督を継いでいた。気落ちするリーセロットに、彼は一通の手紙を差し出した。
「総司令官代理より、預かっておりました。自分に万一のことがあれば、総督にお渡しせよと命ぜられて」
余計なことを言わず、それだけ告げてアルテュールは辞去していった。
リーセロットは、手紙を封筒から出した。そこには、ダイゴの字が並んでいた。封筒には、ほかに彼女がかつて手渡したペンダントも入っていた。
「親愛なるリーセロットさま
この手紙がお手元に届いたということは、私が既にこの世界にいないことを意味しております。――」
ダイゴは、自分が異なる世界の、異なる時代から来た人間であったこと。偶然の積み重ねによりリーセロットに出会い、その力になれて、光栄に思うこと。そして、
「私が、これからどこの世界に向かうのか、元の世界に戻るのかはわかりません。ですが、これだけは確かです。リーセロットさま、私はあなたさまを愛しておりました。この命を捧げても構わないと思うくらいに。あなたさまは、私の陽だまりでした。いかなる世界に赴こうとも、私の心は永遠にあなたさまのものです――」
手紙を読み終えたリーセロットの両目に、大粒の涙が浮かんだ。水滴が、手紙の文面の上に落ちた。
「あなたも、わたくしを愛して下さっていたのね……ダイゴ」
そう呟いて、リーセロットは手紙を折りたたみ、封筒の中に戻した。ペンダントが、再び今後の心の支えになってくれそうだった。
こうして、兄、そして母の前で口にする決意を固めていた、
「わたくし、この者と結婚いたしますわ」
という言葉は、永遠に告げられる機会を失った。




