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 低地諸州同盟政府――といっても、この時代においてはささやかな組織でしかない。十数人の貴族から成る国務評議会の下で内政を取り仕切る第一書記局、財政評議会の下で財政を預かる第二書記局、枢密評議会の下で外政を担当する第三書記局、そして軍政を司る軍事内局で国政の実務を担っている。

「……やはり、だめか」

「既にご承知の通り、フランクの返答は、明確な拒絶。一方、今回もたらされた報告では、ブリタリアは、陸兵の援軍と資金の供与に留める、これが現状ではやれることのすべてであると」

 ブリタリアに派遣されていた外交使節の帰朝報告の内容が、本日の局長官会議の議題だった。第一書記局会議室内の円卓を囲む各長官たちの背後では、長官ごと数人の補佐官が控えている。ダイゴも軍事内局長官補佐官として、会議を傍聴していた。

 第三書記局長官ホイヘンス伯爵がおこなった報告は、国務評議会議長兼第一書記局長官レーリンク侯爵を失望させるには、十分なものだったようである。

 アウグストは、沈黙を保った。オラニェ公という指導者を失った低地諸州同盟に対して、いずれイスハニア王国が攻勢に出る事態は、予測の内である。同盟は、「敵の敵は味方」の論理で、イスハニアと対立状態にあるフランク王国に対して、まず王弟を君主に迎えられないかと打診した。この際、フランクが旧教国であることは、度外視してである。だが、フランクの反応は氷水のように冷たいものだった。イスハニア一国との戦いだけでも荷が重いのに、この上さらなる厄介事は御免被るというのが本音だろう。ダイゴは、そう想像した。

 次に、ブリタリアに対して同国の女王ベス一世を君主に仰ぐ同君連合を持ちかけたが、表現ばかりは丁重に、これも無下に断られた。軍資金の援助と陸軍の派遣だけなら承諾する、とつけ加えて。

「ナッソー将軍のご意見は?」

 とレーリンク候に問われて、アウグストは初めて口を開いた。

「ブリタリアは海軍国。海軍の援軍ならともかく、陸軍の応援は、はっきり申し上げて当てになるとは思えません」

 アウグストは実直な武人である。大風呂敷を広げることもなければ、大言壮語することもない。それだけに、彼の答えはレーリンクたちに事態の深刻さを感じさせたようである。

「イスハニアから戻った間諜の報告では、イスハニア海軍は目下、戦列艦約一二〇隻を建造中とのこと。恐らく、まずはブリタリア討伐が目的でしょう」

 現在の東の隣国ゲルマーニャの国王兼神聖帝国皇帝は、先帝カルル五世の実弟であり、血縁的にはフェルペ二世の叔父である。当然、ネイザーラントとの関係はあまりよくない。フランクは手を差し伸べてくれず、ブリタリアのみが目下のところ友好国と言えた。そのような状況下で、大艦隊を建設しているとすれば、目的は概ね察することができる。陸軍の援兵のみに留めるとブリタリアが返答したのは、同じ情報をブリタリアも得ているということであろう。島国ブリタリアとしては、この状況で自国の生命線である海軍を、他国のために割く余裕はないのである、という考察を述べたあとの、

「イスハニア国王としては、我がネイザーラントにとって唯一の友好国たるブリタリアを叩き、我々を孤立に導くつもりでしょうな」

 というアウグストの情勢判断に長官一同、異議を発しなかった。

「差し当たって、今後の方針をどうするかだが……」

 第二書記局長官ティーレ伯爵が、課題を提起した。

「イスハニアとブリタリア、どちらが勝つかによって事態は転ぶ。イスハニアが勝った場合と、ブリタリアが勝った場合とに分けて考えねばならないでしょう」

 そして、名にしおう海軍国のブリタリアが海戦で容易にイスハニアに敗れるとも思えないが、とアウグストは付け加えた。

 だが、油断は禁物であろう。大国イスハニアが、国力を傾けて建造している大艦隊である。もし万一ブリタリアが破れるようなことがあったら、今度こそ本当にネイザーラントは孤立して、単独で覇権国を相手にしなければならない。

 このような岐路が目の前に迫っていることが国内に知れ渡れば、動揺は避けようもないに違いない。

「問題は、全国議会か……」

 レーリンク侯が呟くように言うと、

「そうですな。あれの決議をそのまま受け取ると、大抵ろくなことになりません」

 どちらかというと主観的意見を述べないアウグストが、珍しく自らの感想を発言に込めた。

この時代、もちろん国民による選挙などという制度はなく、全国議会議員は各州の貴族や都市有力者レヘント、大地主、豪商、聖職者、学者といった有力者・有識者から互選で選ばれた。

 国務評議会や書記局から見れば、全国議会は日和見主義者・機会主義者・利己主義者の巣窟であったという。情勢が有利になれば過度に好戦的になり、不利になれば過度に悲観的になった。その決議は、ろくな結果を生まないことがしばしばだったそうである。

「イスハニア軍の逆上の時のことを、御一同、お忘れではないでしょう」

 アウグストは、過去の実例を提示した。彼の後ろで、ダイゴは補佐官になってから学んだ事件の顛末を思い出していた。

 聖歴一五八二年、イスハニア軍の占領下にある大都市アンベルスで、「イスハニア軍の逆上」が起こった。従来から給料の遅配が慢性化して軍規が乱れ、各所で略奪をおこなっていたイスハニア軍だったが、ネイザーラント南部の商業の中心、アンベルス市で大規模な騒乱に及んだ。市内で暴徒化した兵による徹底した略奪、強姦、殺人、拷問、放火、破壊が繰り広げられ、犠牲者は老若男女合わせて七〇〇〇人以上に達したと伝えられている。当然、ネイザーラント全体の敵意は燃え上がった。その感情に支えられて全国議会が召集され、全会一致で「低地全州和約」が採択された。これにおいて、イスハニア軍の撤兵、国王の同意なき全国議会の開催、信教の自由が盛り込まれていた。その意味するところは、もはやイスハニア国王をネイザーラント国王と認めず、その権力を無視してネイザーラント全域の自治を進めることの宣言だった。

「我が同盟は、逆上に逆上で返したのです」

 アウグストの指摘は、短いが自国に対して辛辣だった。反駁の声は上がらなかった。

「イスハニア軍の逆上」の手前、当初イスハニア側は妥協する姿勢を見せ、一度イスハニア軍はネイザーラントから撤収した。だが、間もなくこれは反故にされて、イスハニアの新執政パロマ公が軍を率いて進出し、ネイザーラント南部の一部を占領下に置いた。全国議会は徹底抗戦を決議し、総指揮官にオラニェ公ヴィレムを選出した。

「我が兄は反対したはずです」

 確認するように、アウグストは苦々しい口調で史実を持ち出した。

「結果、我が軍はイスハニア軍に敗退しました」

この時点でネイザーラントの兵力はパロマ公の指揮するイスハニア軍に劣り、ヴィレムは隠忍自重を主張した。しかし、イスハニア軍の逆上に対する報復感情の冷めない全国議会は、ヴィレムに出陣を強要したのである。結果は、無残な敗北であった。

 その時は、アウグストも敗軍の将であった。この敗北によって、ネイザーラント南部一〇州は全国議会を離脱し、独自に南部同盟を結成して、イスハニア軍と講和し、旧教を遵守してイスハニア国王への忠誠を誓った。一方、北部九州と有力な大都市は低地諸州同盟を結成し、これによって低地全州和約は破綻した。低地諸州同盟の最南部二州は、その領域の多くを現在でもイスハニア軍に占領されていた。

「元はといえば、全国議会が感情的になり、群集心理でことを進めた結果だった、ということになる」

 歴史を振り返って、そう語ったレーリンク侯の表情は、後悔に似た感情が現れているかのようだった。

「今さら、死児の齢を数えても仕方がない。だが、これから議会対策を考えなければならぬ」

レーリンク侯の口調は、非常に重かった。

「取り敢えず、この状況をオラニェ公未亡人に報告せねばなりませぬ。だが諸卿、本日のことは当面ご内密に」

 レーリンク候は、念を押した。彼は、これから会議の内容をオラニェ公爵名代兼総督名代の未亡人に報告しなければならないのである。

 軍事内局に戻る馬車のなかで、アウグストはダイゴに語った。

 本来、オラニェ公爵家を継ぐべき嫡男フェルペは、イスハニア国内で人質の身である。ネイザーラントの慣習法では、相続は長子単独であり、女子にも相続権があった。そのような条件下では、オラニェ公爵位を継ぐのは長女リーセロットになるが、彼女は一八歳の誕生日を間近に控えた少女である。全国議会議員を三十年以上に亘って務めた経験を有し、堅実にして老巧と評される国務評議会議長兼第一書記局長官のレーリンク候が、事実上の総督代理を務めなければならないのである、と。

 全国議会議員たちもさることながら、全国議会議長オルデンバンネンフェルト公爵が難敵だった。政治家としての経歴の長さは、レーリンク候を上回るそうである。そして、議会の空気を巧みに操り、評議会や書記局を牽制して、議会の要求を飲ませる手腕に長けているとも、アウグストは付け加えた。

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