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専制君主国家であるイスハニア王国では、国王が条約に同意すれば批准は完了する。国王は一刻も早く戦争を止めたがっていたから、多少譲歩する部分があったとしても、不服はなかった。
だが、ネイザーラントでは事情が違った。条約を批准するか否かの権限は、全国議会にある。
帰路の途上で、レーウェンフック侯爵は、
「これからが、和平の本番となろう」
と、ホイヘンス伯爵に、予言めいたことを語った。
全国議会は、軍に対してノルトブラバンド州とリンブルグ州の全体を回復することを命じていた。だが、和平条約の結果は、それに合致していない。独立をイスハニアに認めさせたものの、リンブルグの一部、そしてノルトブラバンドの約半分は、イスハニア領と定められた。条約の内容が議会で公式に明らかにされれば、大荒れになることは予想できる。
レーウェンフック侯爵は、既に条約の内容を国務評議会議長レーリンク侯爵に手紙で伝え、批准が可能となるよう議会工作を依頼している。だが、老巧なるレーリンク侯の手腕をもってしても、議会の多数派が賛成に回るかは、図りかねた。
◇◇
レーウェンフックの不安、いや予測は的中した。
外交使節を乗せた船がアンベルスを発し、デンヘイグの港に入ると、慰労や歓迎の空気はまったくなく、逆に罵声を浴びせる群衆が埠頭に集まっていた。
使節とその随員たちは船上で身の危険を感じるほどだったが、夜警隊や軍の首都警備隊が群衆を排除し、やっとのことで彼らは迎えの馬車に乗ることができた。馬車は、総督官邸に直行した。そこでは、総督と、他の評議会議長、軍事内局長官が待っていた。
これ以上、イスハニアを相手に戦うだけの力は、今のネイザーラントに残されていない――その認識は、評議会レベルでは共有されており、レーウェンフックとホイヘンスに対する労いの意がリーセロット以下、一同から表された。
だが、議会では話が違った。
レーリンク侯の政界工作は、思いのほか、成果を上げていなかった。翌週、招集された全国議会の空気には、枢密評議会議長レーウェンフック候に対する反発がみなぎっていた。
レーウェンフックが登壇し、条約に関する報告を開始すると、さっそく野次が飛び始め、オルデンバンネンフェルト議長の制止する声が響いても、簡単には止まなかった。
条約の趣旨説明のあと、
「速やかなる全国議会の批准を、ここにお願いするものであります」
とレーウェンフック候が発言を終えると、
「条約破棄!」
「絶対に反対!」
「国辱だ!」
「枢密評議会議長は、責任を取り辞職せよ!」
何人もの議員が大声を上げた。議場は騒然となった。反対派の議員が、決して少なくないのは明らかだった。
「静粛に」
と、何度目かの議長の制止が入った。
批准の採決など不可能な状況だった。議長により、一時休会が宣言された。
◇◇
「そろそろか」
休会で議事堂の議長室に下がったオルデンバンネンフェルト公爵は、潮時を考えていた。一か八か。権力への階を上る時は、来たのかも知れなかった。行く手に待つのは、最高の権力か、それとも奈落の底か。賭けであることに違いはないのである。




