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 約一〇日前、気が付いたらこの世界にいたダイゴは、本日までの間に今このネイザーラントが緊張状態に置かれていることを理解していた。

 大陸西岸のやや北部に位置する低地ネイザーラントは、その名の通り幾つかの大河が織りなす標高の低いデルタ地帯を中心に形成されている。海岸沿いに続く砂丘の内側に泥炭地や湖沼が広がり、そこに住む人々は長い時間をかけて排水し、干拓し、農牧業に適した土地を広げ、やがて各地に都市を築くようになった。勤勉なネイザーラントの住民は、そこで織物工業や金属加工業を中心とする商工業、そして漁業、海運業を発展させ、経済力においては大陸西部でも最も富裕な地域となっていた。

「我がネイザーラントとイスハニア王国は、長年にわたり浅からぬ因縁のある間柄でな」

アウグストは、二国のもつれた関係について、まずこう述べた。

ネイザーラント諸州が東の隣国ゲルマーニャを中心とする神聖帝国の皇帝カルル五世によって統一されたのは、聖歴一五四三年のことだった。カルルはゲルマーニャの他に、大陸最西端の半島にあるイスハニア、そしてネイザーラント諸州の王を兼ねた。彼はネイザーラント南部の都市ブラッセに中央政府を設け、支配の拠点とした。

 聖歴一五六五年、病により、カルル五世はネイザーラント王の位を退く。退位式で体の衰えたカルルが玉座から降りる際、両脇を支えたのが、カルルお気に入りの青年貴族オラニェ公爵ヴィレム・ファン・ナッサウと、イスハニア国王位とネイザーラント王位を継ぐ長子、のちのフェルペ二世だった。この二人の今後の関係を、暗示するかのような光景であった。

「当初、兄ヴィレムとフェルペ二世の仲は、悪いものではなかった」

 それは、ヴィレムがカルル五世退位の前年に生まれた長男に、フェルペと名付けたことからもわかると、アウグストは触れた。

「だが、ネイザーラントで発生した課税問題と宗教問題が、次第に我が兄とフェルペ二世の仲を、引き裂いていったのだ」

 アウグストの口調は、ここからやや険しくなった。

 新王フェルペ二世の下で、イスハニアは、大陸東岸や新大陸に勢力を拡大する一方、ゲルマーニャとイスハニア本国の間にあるフランク王国、大陸西岸沖にある島国ブリタリア、さらには大陸南岸の東端にある異教徒のオットマン帝国と戦火を交えるようになり、膨れ上がった戦費を調達するため、ネイザーラントに重税を課した。さらにネイザーラントの北部には、聖教の偶像崇拝を否定する新教徒が増えていた。

「このネイザーラントには、新教徒が多く流れ込んでいるのですか?」

 とダイゴが問うと、

「左様。それがフェルペ二世のお気に障ったのだ。フェルペ二世は、新教徒と共存するくらいなら、百万回死んだ方がましだと公言するほど熱烈な旧教徒の御仁だ」

 その狂信さにアウグストも辟易していることが、答えに表れていた。

 当然、フェルペ二世は、そのようなネイザーラントの状況に業を煮やし、更なる重税と新教徒への弾圧をかける。

 そして一五七六年、我慢も限界に達したネイザーラント住民は各地で聖像画の破壊運動を始めた。

「それが口実となった」

 と、アウグストは語った。

「弾圧が強まったのですか?」

「うむ。そのとおりだ。それも、一段と血なまぐさくい方向にな」

 ダイゴの問いを、アウグストは肯定した。既にあらかた皿は下げられていた。

フェルペ二世は即座に反応し、「剛直侯」と綽名されたアロワ侯を指揮官とする懲罰軍を送り、全国議会議員たる上級貴族を含む約千人の反対派を処刑、さらに欠席裁判によって一万人近くの財産を没収した。没収されたなかには、ネイザーラント筆頭貴族、オラニェ公の領地・資産も含まれていた。それだけではない。

「兄の息子フェルペを含む、有力者の子弟多数が人質としてイスハニア本国に連行された。それを知らされた時点で、兄は覚悟を決めた」

 身の危険を避けるため、ゲルマーニャに亡命していたヴィレムは、事ここに至って武力闘争を決意したのだ。実際にイスハニアに対して挙兵したのは、聖歴一五七八年のことであったが、独立を求める戦いは、事実上この時に始まった。

 悔し気な口調でアウグストは続けた。

「だが、イスハニア軍は強大でな。これに対して、勝利するのは容易ではなかった」

イスハニア軍と低地諸州軍の間で攻防戦が続いたが、一五八二年、ヴィレム指揮する全国議会の編成した軍が敗北を喫すると、ネイザーラント南部の四州は、北部とは袂を分かち、南部同盟《ザーデリク・コンフィデラ―ツィ》を結成して新任の執政パロマ公と和議を結んだ。以後、ネイザーラントの旧教徒は、南部四州に集まるようになる。これに対して、ネイザーラント北部九州はヴィレムを総督とする低地諸州同盟を結成し、飽くまでイスハニアと戦い抜くと宣言した。

「すると、同盟このくには、イスハニアとの間で独立戦争の真っ最中ということでございますか?」

 ダイゴは、食後酒の盃を傾けつつ確認した。

「そう言えば、そうなる」と、アウグストは肯定した。

「実のところ、最初から国として、独立を旗印にしているというわけでもなかった。いにしえの時代からネイザーラントに認められてきた自治の伝統を守りたいというのが、戦いの発端だ。だが、イスハニアがそれを認めずに圧力を強める以上、独立国家を指向する意見が今では主流だ。ここ数年、イスハニアは、南の内海方面で異教徒オットマンとの戦いに少々苦戦しているらしいが、それに何らかの見通しがつけば、我がネイザーラントに攻勢をしかけてくるだろう」

 ビールの入ったジョッキを片手に、アウグストは言った。

「そのような経緯であったとは、不肖にして存じませんでした」

 と正直な感想を述べたダイゴに対して、アウグストは、

「貴公の話したノブナガ・オダやヒデヨシ・ハシバとかの軍略、詳しく聞きたいものだ。決めた。週明けから軍事内局に出仕せよ。席を設けるでな」

 アウグストの自宅の庭で倒れているのを発見された時、本来なら不審者として捕縛されても仕方のない状況だったが、家の主は好奇心の強い人物で、見慣れぬダイゴの服装や持ち物に対する興味が警戒心に勝ったのだった。

 だが、きっとアウグストは驚くに違いない。自分が別の世界の、別の時代から来たと知ったら。

 アウグストは、イスハニアに勝つための転機を、何とか模索しているようだった。

 これは、ダイゴの心にピンと響いた。ゲームデザイナーになりたいとは思いつつ、自らの心の中に歴史上の人物になってみたいという願望があったのは事実である。その機会に、もしやなるかも知れない。

「喜んで勤めさせていただきます、閣下」

 そして、アウグストはリーセロットの方に向いて、

「このリーセはな、あと三ヵ月で一八歳だが、そうなったらイスハニアに暗殺された父親の跡を継いで、同盟総督に就任する予定なのだ」

 とダイゴに告げた。

「いやですわ、叔父上。こんな場で、恥ずかしい。それにそれは、兄が戻るまでの代理に過ぎない話ですのよ」

 リーセロットは、若干頬を赤らめて補った。

 午餐は、午後二時半には終わり、それぞれ帰途についた。

 アウグストの馬車の後方で馬を進めつつ、ダイゴは密かに期待していた。

 ――何か手柄を立てれば、公爵令嬢に今後も直接お目にかかれたりして。

 軍事内局で何か手柄を立てれば、推しの声優と同じ声で褒められるかも知れない。そう思うと、ダイゴは自分のなかでスイッチが入る気がした。

 ――身も心も公爵令嬢のために捧げるのだ。やるぞ!

 馬の手綱を握りながら、ダイゴは心の中で宣言した。

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