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聖歴一五九〇年、初夏の日曜日。
その日、ダイゴは総督私邸での昼食に招待されていた。
アンベルス市占領以来一年余、戦争らしい戦争はなかった。戦線を拡張しようにも、兵力の余裕はなく、休戦に似た状況が続いていた。
軍を率いて首都デンヘイグに戻ったダイゴは、軍事学校と軍事内局での恒常的な仕事の日々を送っていた。
中庭での昼食が済み、茶と茶菓が侍女の手で運ばれてきた。
リーセロットは砂糖を入れた茶をスプーンでかき回しながら、
「伯爵、あなたはご結婚なさらないの? 何なら、わたくしの友だちを紹介してもよろしくてよ」
とダイゴに語りかけた。
この質問と提案をされた時、ダイゴの心臓は一瞬脈を速くした。そして、リーセロットの意図を測りかねた。
軍部第二位の高官で伯爵家の当主ともなれば、放っておかれるわけもない。パーティーの場では、それとなく子女を近づけてくる貴族は何人かいた。目の前に現れる女性のなかには、財政評議会副議長の娘までいた。彼女たちは見た目はよく、当然家門も悪くはない。教養もありそうだった。
だが、形ばかりの礼儀を払って、ダイゴはそうした令嬢たちとは距離を置いた。彼が心を捧げ得る対象は、ただ一人だったからである。この二年で、既にリーセロットは彼にとって、かつての推しの声優とは次元の異なる存在になろうとしていた。坂之上須美麗ではなく、リーセロット・ファン・ナッサウであった。
「いえ、総督閣下。私には、やることが多過ぎますので」
とだけ、ダイゴは建前論を述べた。
「そう……」
とだけ言って、リーセロットはそれ以上訊こうとしなかった。
ダイゴは知っていた。
アウグストから私邸での夕食に呼ばれた際、食後に二人でブリタリアから輸入された蒸留酒を飲んでいる時、
「リーセに縁談が来ているのだ。相手は、ブリタリアの王族でな。婚儀が成立すれば、貴公のいう硝石の入手にも有利に働くだろう」
と聞かされた。
本来は内密な話のはずだが、既にアウグストはダイゴが秘密を共有しても差し支えない相手だと認識したのだろう。
内心で動揺しつつも、ダイゴは答えた。
「それは……よろしきこと。我が国にとっても幸いな話でございます」
と。もちろん、アウグストはダイゴの心のなかを知る由もなかったであろう。
◇◇
「ダイゴ、あなたの国の言葉、何か教えてくださる?」
茶菓を三分の二ほど食べ終えてから、リーセロットはおもむろにダイゴへ頼みごとをした。
「例えば……なにがよろしいでしょうか」
ダイゴは、口を付けたティーカップをテーブルの上に戻して答えた。彼女に、どのような意図があるのかはわからないが、それだけに緊張する。
「そうね」
微笑みを浮かべて、リーセロットはティーカップを取った。
「この中庭のように、お日さまが降り注いでいる様子は、どういうのかしら?」
リーセロットは、首を巡らせて中庭の中央部に顔を向けた。
「そうですな。——ヒダマリと申します」
ダイゴは答えを伝えた。
「ヒダマリ?」
「ええ。ヒダマリです。総督のような女性を表現するのに、ヒダマリのような女性という言い方をいたします」
ダイゴとしては、内心に薄氷を踏むような緊張を感じていた。
嘘ではないが、彼としてもできる限り先ほどの彼女の質問と提案の意味を考え、そしてできれば少しでも自分を意識させたいという思いを込めたメッセージであった。
それを聞いたリーセロットは、顔をほころばせた。
「そう。嬉しいわ」
茶菓の残りを口に運び終えると、リーセロットは別の提案をしてきた。
「来週末は、遠乗りに行きましょう。あなたとわたくしとで」
意外だった。あまりに意外だった。ダイゴの頭に、乗馬会で彼女の身体を受け止めたときの記憶がよみがえった。
——リーセロットさまと、遠乗り……
果たして、自分は理性が保てるだろうか? 引き返せない一言を口に出したりしないか? 現在の縁談に悪影響を与えたりしたら、それこそ一大事でもある。
「失礼いたします!」
動揺と期待の間で内心のぶれているダイゴを、不意に現実に引き戻す声が飛び込んできた。
なにごとかと思うと、副官のアルテュールが、足早に近付いてきた。
「総司令官代理閣下、長官よりお呼び出しです。至急軍事内局においでください」
「日曜日だというのに、長官からのお呼びとは、ただ事ではないのだな」
「はい。仔細は軍事内局でご確認ください」
「わかった。——申し訳ございません、総督閣下。本日はこれにて」
いきなりの闖入者に話の腰を折られ、呆気に取られているリーセロットを置いて、ダイゴは副官とともに厩舎へと向かった。
◇◇
イスハニア低地派遣軍に、行動を開始する兆候がある――との最新情報が、南部同盟に潜入させてある間諜より報告された。
「敵の兵力は、概算で歩兵砲兵騎兵合計約二万。近日中にブラッセ市を進発する模様である。前進先は、目下情報収集中」
軍事内局に駆けつけて、ダイゴが受け取った第一報は、まだ大まかなものだった。ダイゴは、即座に応じた。
「至急、軍に動員を命じます」
その言葉を、先に登庁していたアウグストは是とした。
「そうしてくれ。情報は、今後わかり次第提供する」
そして、ダイゴはアルテュールを伴い軍事内局を後にして、軍事学校に馬を飛ばした。
軍事学校に到着したダイゴは、直ちに幕僚たちに参集を命じた。会議室に集まった幕僚たちを前に、ダイゴは、
「近く出陣がある。ついては、その準備について命じる」
幕僚たちの間に、緊張が走った。
戦争において、事前に完全な情報が得られることなどない。僅かな、そして逐次に入ってくる情報に応じて、並行的に準備を進め、作戦を立てなければならない。出陣の段階で、必要な情報の三、四割も解明できていればいい方である。
作戦幕僚に質問した。
「現在、動員可能な総兵力はどれだけか?」
「約一万五〇〇〇にございます」
「わかった。五〇〇名を首都警備に残し、残りで出動部隊を編成せよ」




