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22

 その夜、夕食の最後の皿が下げられると、母親はテーブル上の呼び鈴を鳴らして侍女頭を呼び、何やら指示を出した。何事かと思って、リーセロットは椅子から腰を上げずにいた。

「大事な話があります」

 母は娘にそう言った。

 やがて、侍女の一人が額縁を両手に持って食堂に入ってきた。人物画である。黒髪の精悍そうな男性で、海軍らしき軍服姿であり、年齢はリーセロットより少しばかり上と見えた。

「ブリタリア女王の妹御ホバート公爵夫人の三男、ヘンリーさまです。ブリタリア海軍の士官で、先のイスハニアとの海上決戦でもたいそう活躍されたそうよ」

「母上、これは……」

 と、リーセロットは言いつつも、母が次に何を口に出すかは、瞬時に察しがついた。

「ブリタリア王室から、内々の申し入れがありました。あなたの結婚相手にどうかと。わたしとしては、申し分のないお話だと思うのだけれど」

 結婚――それは、娘にとって避けて通れない課題であった。遅かれ早かれ、母がこのような話を持ち出すのではないかと、思ってもいた。一瞬、そこでためらう意識が胸の中で湧いた。

「あなたがこの婚儀を承諾するのならば、ベス一世陛下はご自分の養子にして送り出すと言われています。つまり、あなたはブリタリア女王の義理の娘になるの。ブリタリア王室と縁続きになれれば、願ってもないこと。両国の間が縮まれば、それは国益になります」

 ブリタリア女王の甥との縁組、それは政略結婚を意味する。願ってもないこととは、娘の幸福以上に、ネイザーラントにとって利益になる縁組だと母は考えているのだろう。だとしても、娘にとっては時期というものがあった。

「でも母上、今のわたくしは、総督の仕事で手いっぱいです。とても結婚なんて……」

 建前半分、本音半分の娘の抗弁に、母は言葉を緩めず続けた。

「いいこと、リーセ。あなたは公爵家の当主で、ネイザーラントの総督です。家のため、国のため、結婚して子どもを産み、立派な跡取りに育てあげる責務があるの。それには早い方がよいわ。わたしがオラニェ公爵家(このいえ)に嫁いできたのも、今のあなたと同じ歳の時です。父上と初めてお会いしたのも、結婚式の場だったのよ。あなたの結婚は、あなただけの問題ではありません。政治のことは、ある程度評議会に任せることも必要です」

 リーセロットは、なおも抗弁した。

「わたくしは、あくまで兄上が戻られるまでの代理のはず。ブリタリア王室にも、お相手の方にも、ご迷惑をかけてしまうかも知れませんわ。母上、どうか今は」

 一方、母も言葉を尽くして娘を諭そうとしたが、

「申し訳ございません、母上。できるなら、結婚のことは、もう少し先にさせて下さいませ」

 そう言って、リーセロットは母親が呼び止めるのも聞かず、食堂を出て自室に戻った。部屋に明かりを灯してから侍女を呼び、手伝わせて服装を解いた。そして、夜着に着替えてベッドに倒れ込んだ。仰向けになり、天蓋を見つめて想いを巡らせる。

 改めて考えた。自分の結婚は、自分個人の問題ではない。それはわかっているつもりだった。町娘と違って、リーセロットには結婚相手を気持ちで選ぶ自由はない。

 総督である自分は、他国の女王や女帝に匹敵する立場にいるのである。女王や女帝ならば、二十歳という年齢は、とうに結婚適齢期を迎えている。そして、普通に考えれば、外交上利益になる近隣国の王族や皇族から婿を迎えるか、国内ならば名門貴族の子弟と結婚するのが当然視される。立場上、そうせざるを得ない。

 イスハニアで人質となっている兄が、いつ解放されるかわからない現状では、自分が将来産むであろう子は、次代のオラニェ公爵にして第二代共和国総督となることが、半ば運命付けられている。そのためには、万人を納得させるだけの血統というものが必要なのだった。

 そして、軍事学校視察の時、ダイゴが語ったように硝石の輸入を確実にするためには、ブリタリア王族との婚儀は国にとっては意義のあるものだろう。

 ――でも、どうして。

 落馬しそうになって、ダイゴに受け止められた時、ほんの一瞬だが、胸がときめいたのである。さきほど食堂で胸に湧いた気持ちは、そのことに関してではなかっただろうか。そういえば、どうして最初にダイゴをエスコート役に指名したのだろう?

 ――もしかして、わたくし……

 記憶がよみがえると、自然と頬が熱るのを感じた。それは、あってはならないことであった。身分の違いを忘れているだけではなく、一瞬でも兄の帰国を利己的に持ち出してしまったことにも、少しの罪悪感を覚えた。そして自分の疑念を、自分で打ち消した。その夜、リーセロットは中々寝付けなかった。

 ◇◇

「そうか、ご苦労」

 そう言って、オルデンバンネンフェルト公爵は、情報を報告した密偵に報奨金の金貨を袋入りで手渡し、書斎から下がらせた。

 ネイザーラントの気候では、五月の夜はまだ冷え込む。グラスの中の赤ワインを暖炉の火にかざし、そして飲み干した。

 ブリタリア王室からの提案は、早くも全国議会議長の知るところとなった。孫と銀髪の小娘を結婚させて、共和国の行政権をも実質的に手中に収めようとする彼の計画には、早々に遠雷が鳴り始めていた。

「次の手を……打つべきかも知れんな。さて、どうしてくれるか」

 グラスに次の一杯を注ぎ、こう呟いた。

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