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貴族、それも伯爵になったというのに、ダイゴは自分がそういう身分になったということを実感しなかった。今や軍部内でも序列はアウグストに継ぐ第二位であり、押しも押されもせぬネイザーラントの重要人物である。
だが週末、オラニェ家別邸で開かれた乗馬会に招待されても、実際に会場に馬を乗りつけたところで、何をどうしたらいいのか、わからなかった。一〇人近くの騎乗した貴族たちがたむろする中心には、もちろんリーセロットがいた。
「私がお供いたします、公爵さま」
「いえ、私が……」
「私こそ――」
以前の舞踏会のように、若い貴族たちがリーセロットの供をしようと競って声を上げていた。
リーセロットは、顔を巡らせ、ダイゴと視線が重なった。そして、視線の方向に馬を進めた。貴族たちは、道を開けた。
「スフラーフェンハーヘ伯爵」
リーセロットは、人の名を口にした。自分のことだと承知するまでに、一瞬の時間が必要だった。
「わたくしを、エスコートして下さいな」
という提案である。一瞬、ダイゴは面食らった。だが、彼が断るわけはない。第一、断ったらそれは大変な失礼に当たる。
「承知仕りました。総督閣下」
頷いて馬を進め出したリーセロットのあとを、ダイゴは追った。嫉妬に満ちた数多くの視線を、背中に感じながら。
二騎が並んで進んだのは、以前、二人の初対面の場となった大樹の方向だった。あれから何年かが経過した。リーセロットは少女から淑女、そして連邦共和国総督へ、ダイゴはナッソー家の食客から共和国軍総司令官代理へと立場を大きく変えた。ダイゴは、自分が肩書ほどには中身が変わったとは思っていなかったが。総督官邸での定例的な軍務報告の際には、昼食の陪食を命ぜられることが恒例になっており、公的には彼女との距離は近付いている。だが、私的には、また別だと思っていた。
「総督閣下」
ダイゴは、並んで馬を進めるリーセロットに話しかけた。
「伯爵号の件、ありがとうございました。まだお礼を申し上げておりませぬゆえ」
リーセロットは、笑って応じた。
「いいのよ。卿は、それだけの仕事をなしたわ。——ダイゴ、あの木まで競争しましょう!」
話を転じて、リーセロットは手綱を大きく波打たせた。
「お待ち下さい、総督閣下」
ダイゴは、語りかけた次の瞬間には、かつて二人で雨宿りした大樹に向けて自らも馬を走らせていた。
勝負は、先に走り出した分、リーセロットが有利だった。
「わたくしの勝ちね。ダイゴ」
「参りました。総督閣下」
少し遅れて、ダイゴは木の根元でリーセロットに追いついた。
「リーセロットでいいわ。他に人がいない時には」
「はい……リーセロットさま」
先に下馬したダイゴに、リーセロットは言った。ダイゴは、その言葉の意味を今少し測りかねた。自分が代理になったということで、少し心理的に距離を詰めてくれたということなのか?
リーセロットも下馬しようとして、右足を鐙から抜いたが、馬の背をまたいで左足を鐙から抜こうとした時に、靴が引っかかってしまったようだった。
「お手伝い申し上げます、リーセロットさま」
ダイゴは、リーセロットの馬に近づいた。
「ええ」
次の瞬間、引っかかっていた左足が鐙から外れ、リーセロットは馬上で姿勢を大きく狂わせた。
「!」
一瞬、ダイゴは体を強ばらせた。
リーセロットの体は、ダイゴに向かって正面から抱き着くように落ちてきた。
地上で、ダイゴはリーセロットを両手で受け止める形になって地面の上に倒れた。
短時間、至近距離で両者は互いを見つめた。
リーセロットの頭髪の香りが、ダイゴの鼻腔を吹き抜けた。
短い間がすぎ、リーセロットは急速に顔全体を赤らめ、ダイゴの上から体をどけた。
神経が昂っていたのは、ダイゴも同じだった。赤くなっていたのも同様である。
直ぐに上体を起こし、傍らのリーセロットに語りかけた。
「お怪我ございませんか、リーセロットさま。いえ、総督閣下」
赤いままの顔を下に向けるようにして、
「ええ、大丈夫。ダイゴ、あなたは」
あなた、と彼女に呼ばれたのはこれが初めてだった。ダイゴはそれに何がしかの感銘を覚えつつ、
「それがしは、なんともございません。ご無事でようございました」
ダイゴはうろたえた声で、
「失礼申し上げました」
謝る彼に対して、きまり悪そうにリーセロットは許しの言葉を投げかけた。坂之上寿美麗の声で。
「気にしないでいいわ。助けてくれてありがとう」




