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 ブリタリアの海上決戦勝利から、数ヶ月と時を置かず、ネイザーラント軍は地元の民がトゥルンハウトと呼ぶ平原で、イスハニア軍と会敵した。

「報告します! 第一騎兵大隊、敵の右翼騎兵部隊を戦場外に駆逐しました」

「報告します! 第二騎兵大隊、敵の左翼騎兵部隊を戦場外に駆逐しました」

 似通った報告が二件、本営に届けられた。作戦の第一段階は成功と言えそうだった。

「ここから先も、上手くいけばいいのですが」

 ダイゴの右隣に馬を寄せた作戦幕僚が、緊張に満ちた声で述べた。

「なに、案ずることはない」

 と余裕を見せてダイゴは言った。だが、内心は不安だらけである。自分には机上の知識と練兵場での経験しかないことが、これほど心許ないとは思わなかった。本格的に会戦を指揮するのはこれが最初なのである。

 前線から、連発する銃声が聞こえてくる。

ネイザーラント軍の圧倒的な火力の前に、イスハニア軍のパイク兵もマスケット兵も、接近戦に入る前に次々倒れていった。

 イスハニア軍のテルシオは、動く要塞のような陣形で、前方に対しても去ることながら、左右さらに後方に対しても対処が可能である。ダイゴは、欠点はないか、思索した。一〇〇人×一二列なら一個テルシオの人数はパイク兵だけでも一〇〇〇人を超える。そんな巨大な陣形では、機敏に動けるとは、簡単には考えられない。基本的に敵を蹂躙するまで前進し続けるだけである。

 動きに柔軟性を欠く――この弱点につけ入る隙があるのではないか? とダイゴは考えていた。

 単純な動き、すなわち直線的な攻撃前進しかできないのであれば、敵の動きを逆手に取って、包囲するという戦術で対応すればいい。何か実例はないかと思い、記憶をたどって思い出したのが、「鶴翼の陣」だった。元亀三年(一五七三年)の三方ヶ原の戦いで徳川家康が取った陣形である。

 あの時は、武田信玄の軍に中央を突破され、家康は惨敗した。だが、敵が突破するための正面の兵力を食い止める力さえあれば、突破されることはない。そのためにも、火力の重視には意味がある。そして前進を食い止めたら、両翼から敵を包囲し、前方と左右両翼から火力を集中するのである。

 従って、我が方のテルシオの動きを軽快にすればよい。巨大で、前進か停止しか機動のないイスハニア軍のテルシオに対して、我が方は左右に曲がり、時には後退する機動が取れるようでなければ、この戦術構想は成立しない。

 機動を柔軟にするには、テルシオのサイズを小さくしなければならなかった。思い切って、イスハニア軍のテルシオが一〇〇〇人以上であるのに対して、半分くらいにする。その分だけマスケットの数を増やすことで、火力で圧倒することを目指した。

 この数字には、ダイゴなりの根拠があった。記憶をたどると、戦国時代の末期、関ヶ原の戦(慶長五年(一六〇〇年))では参戦兵力が東西両軍合計で、最大の説を取ると約一八万。そして、投入された火縄銃は約一〇万丁だったと伝えられている。半数以上は火縄銃兵だったということになる。以前読んだ別の研究書を思い出すと、関ヶ原戦での火縄銃の装備率は、全軍の約四割だった。なお、信長の時代は一割、秀吉の時代は二割程度だったといわれている。

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