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出発の日が来た。十分な路銀を渡され、丈夫な馬も貸し与えられた。同行するのは、デ・レーケとアウグストの一人息子、アルテュールであった。
「息子は、剣の腕が立つ。護衛に役立つだろう」
と言って、アウグストはダイゴと同年代くらいに見える一人息子を付けてくれた。食客だった頃、既にダイゴは彼と面識があった。アルテュールは、ダイゴよりずっと長身で、いかにも若い軍人らしい引き締まった体形をしている。ダイゴと同行すれば、主人はアルテュールに見えるだろう。
デンヘイグは、高海に面した中規模の港湾都市でもある。一行は、東を目指して街道を進んだ。
田園地帯のなかを、半日馬を進めて、陽が沖天に達した頃、三人は馬を止めて昼食をとった。馬を木につなぎ、地面に敷物を広げた。木陰でパンとチーズ、塩漬け肉だけの簡素な食事だった。
「チーズも、毎日だと少々飽きもする。君たちは平気なのか」
と、並んで昼食を口にしている同行者たちにダイゴは質問した。ダイゴにとっては、元の世界で口にしていたプロセスチーズに比べて、固くて味も濃いネイザーラントのチーズは、食えないことはないものの、違和感もないではなかった。
「少しも。わたしらは、子どもの時よりチーズを口にしておりましたゆえ」
とアルテュールは答えた。
「チーズは、我がネイザーラントの特産品で、近隣諸国にも輸出されているのです。酪農は、漁業、海運業、工業と並ぶ我が国の主産業の一つです」
酪農製品の消費量を上げることは、国を盛り立てる道である、とアルテュールは熱弁を振るった。
少し離れた場所に、幾つもの風車が風を受けて回っていた。
「風車が多いな。ここに来るまで、何度も見た」
とダイゴが話題を変えると、
「風車も我がネイザーラントにとって、なくてはならぬものなのです」
と、デ・レーケが応じた。そこから、彼はネイザーラントと水の因縁を語り始めた。
低地はその名の通り、全体に標高が低い。幾筋もの河川の河口部に上流からの土砂が堆積してできた土地であるので、当然のことである。海岸線から少し内陸に入ると、泥炭地が広がっており、大地は水を多分に含んでいる。
ネイザーラントに入植した先人は、そうした泥炭地に排水路を掘り、水を抜いて開墾することから始めた。排水して土地が乾くと、そこで畑作を始めたが、幾世代かすると地力が衰え、畑作に向かなくなる。そうすると、次には土地を放牧地とし、酪農が栄えるようになった。放牧地となっても、排水路に水は湧き出してくる。
また、泥炭は燃料としても需要があり、泥炭の採掘地には、雨水と湧いた水で池が次々とできる。そうした水を河川に導くため、あるいは排水路を掘り広げて運河とし、そこに水を運ぶため、風車が全国各地に建設された。
水の管理は、このようにネイザーラントにとって、国家的課題なのであって、第一書記局内には、このための専門部署である治水部が設けられているのだという。
雨の多さゆえ水に泣かされたのは、ダイゴが元いた世界も同じであり、戦国大名のなかには、武田信玄のように治水に力を入れた者もいる。デ・レーケの歴史語りを聞いて、その辺りの事情はダイゴにもわかるような気がした。
――そういえば、明治時代になって、徳川幕府も手を焼いた木曾三川の治水工事の監督に、オランダからお雇い外国人が呼ばれたんじゃなかったか。なんという名前だったかな?
ふと、そんなことをダイゴは思い出した。
泥炭地から排水すると、当然大地は沈む。加えて元々大河の末端のデルタ地帯であるため、ネイザーラントの国土の多くは、海より標高が低い。
「私の実家のあるアムスターダムも、海面より5メット標高が低い土地なのです」
デ・レーケは解説を続けた。海面より低い国土を水から守るには、風車だけでは不足である。河川や運河の両脇には、堤防が必要不可欠だった。
「私の父は、そうした堤防の建設や維持補修にも関わって参りました。これからいく道の途中では、かつて父が工事を請け負った堤防を見ることができるでしょう」
一刻ほどの休憩ののち、一行は再び騎乗し、旅を再開した。




