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執務時間が終わり、陽が傾くと軍事内局から職員の影が消え始める。ダイゴも、歩いて二〇分ほどの距離にある借家に帰る。補佐官の月給は五〇〇グルテンで、まずまずの家を借り、一人だけだが通いの使用人を雇うこともできた。使用人は以前、ナッソー家で働いていた初老の女性で、水汲み、買い物、炊事、洗濯、掃除をしてくれる。
日々、パン、肉か魚のシチュー、チーズ、野菜、ワインといったあまり代わり映えのしない夕食の献立であるが、元来グルメではないダイゴにとって、大きな問題にはならなかった。とはいっても、時にはカレーライスやラーメン、牛丼などが恋しくなるが、この世界ではどこの国にいってもお目にかかれない料理であるからには、我慢するしかない。時たまスズキや鰊、ウナギも食卓に上るが、もちろん醤油や大根おろしはない。燻製か、塩を振って焼くだけである。
雇い主の夕食後に食器を洗い終わると、使用人の女性は帰る。ダイゴは寝室に入って、ベッドに寝転んだ。今一度、『戦国日本の軍事革命』を取り出した。
「鉄炮をはじめとする様々な火器、たとえば石火矢・国崩(大砲)・仏郎機(ヨーロッパ製の後装式大砲)などの戦場への投入によって、戦争には本格的な科学知識が必要となり、やがて浸透するようになった。ちなみに、それまでの精神論に満ちた武術の印可状が、砲術のそれには図や数式が記されるようになるのも、大きな特徴である」(一四~一五ページ)
別の箇所には、こう書かれている。
「変わったのは、野戦だけではない。天正年間(一五七三~一五九二年)の信長の戦争は、付城による攻城戦の段階を迎える。攻撃・守備拠点としての機能を果たす要塞である付城を、敵城の周囲にごく短期間に多数構築して敵対勢力を孤立させるという戦法は、戦国末期から織豊期にかけて全盛となった。これを付城戦と呼ぶ。
なお、この段階になると純然たる野戦はまれである。一定期間を必要とする戦争においては、攻撃・防御拠点としての陣城・付城の構築は必須で、野営するにしても、軍勢を安全に維持するには、堀や土塁、逆茂木や竹矢来などに囲まれた陣所や陣城を必要とした。また、敵勢を待ち受けるにしても、鉄炮や大砲の陣地となる城郭で応戦したほうが有利である」(七四ページ)
信長が、大砲や土木工事を重視したことがわかる。この世界ではどうだろうか。
これらの分野では、パイク兵のように勇気を奮って突撃すればよいのではない。知恵を巡らせ、科学的に問題を解決する人材が必要となる。




