*7* クリスマスの亡霊
お陽さまも傾いて、本日もお勤め終了、さぁ帰りましょう!
なんて充実感は、これっぽっちもない。
ただものの見事に、全身がダッルい。
「ユキりんって、彼氏できたでしょ」
「……なんですか、その根も葉もない確信は」
「うふふー、隠したってムダよ? 最近お肌ツヤツヤしてるもん。やっちゃんの目に狂いはな~いのっ!」
更衣室に入るなり絡んできたお姉さまは、一応バイトの先輩である弥生さんだ。
ピンク系のプリンセスメイクに、クルックルに巻いたアッシュブラウンの髪。
小悪魔女子をウリにしているが、年齢不詳。自らのやっちゃん呼びについては、キャラだから致し方ない。
「最近引っついてるひょろ長い野郎のことですか。ヤツはタダの下僕なんで、気にしないでください」
「下僕ですって……その歳にして、高度なSMプレイを……恐ろしい子!」
「そんなことはしてません」
「えぇ、ちがうのぉ~」
つくづく思う。このひとは、あたしに一体なにを求めているのか。つついたって出るもんなんかないのに。あ、ため息があるか。はぁ、ダルい……
そんなことはつゆ知らず、やたら瞳を輝かせた弥生さんは、声高に詰め寄ってくる。
「じゃあじゃあ、気になる彼と一気に距離を縮める秘訣、やっちゃんが伝授しちゃう!」
「そんなんいませんけど、クリスマスの亡霊ですか」
「そうそう亡霊……ってあら? ユキりん知ってるの?」
「さっきホールで、ほかのスタッフがキャッキャッ言ってましたし」
デートに心霊スポットがどうのこうの。クリスマスを前に焦り出したおひとりさま方が、主に食いついておられた。
つり橋効果狙いの肝試しか。普通夏にやるもんじゃないの。アレか、真冬にこたつでアイス食べたくなる感覚的な?
「興味なさそうねぇ。ユキりんは、一緒に過ごしたい人とかいないの?」
「くじけませんね。いませんて」
「ふとしたときに考えちゃう男性とか!」
「それは……いなくもない、ですけど」
思わずつぶやいて、ハッと我に返る。しかし、こぼれた失言は取り消せない。
「やっぱりいるんじゃなぁ~い! それは恋よ! ユキりんっ!」
「んなわけないです! あいつが勝手にあたしん中入ってくるだけです!」
「あら、男性だってことは否定しないのね?」
「〜〜〜っ! お疲れさまでしたっ!」
なんか負け惜しみみたいだ。変にカッとしちゃってさ……あぁもう、余計疲れた。ダルい。
茹で上がった頭を冷やそうと、足早に店を出たら、だよ。
「あっ!」
「……げ」
とっさにどこぞの店の立て看板へと飛びのく。
けれど時すでに遅し。キラキラ輝いた焦げ茶色の両目に、あたしはバッチリ捉えられていた。
特に意識していなくても、知り合いの姿は不思議と目に入ったりする。
そうは言ってもね楓、あんたはちょっと、行く先々にいすぎだと思うの。
「ユキさーん! ぐうぜーん!」
人ごみの向こうから、ほーら来た来た。そよ風みたいな軽快さで駆け寄ってきたよ。
そんでよぉく見えるわ、ブンブン振り回してるしっぽが。
かまってほしい感満載の大型犬を、ジト目で見上げる。
「見てた?」
「へ?」
「あたしが来るとこ。見てた?」
「いや、つい今気づいたとこ。なんで?」
「仕事に支障をきたすおそれがあったから」
バイト先がバレて、押しかけられるのはごめんだしね。ダルい。想像しただけであーダルい。
「まぁとりあえずは、よし」
「そのガッツポーズ、傷つくな……」
「文句あんのか」
「ひょっとしてユキさん、機嫌悪い?」
「そりゃあ聞きたくもない話を、延々と聞かされたらな」
「話?」
「クリスマスの亡霊! 巷で有名でしょ!」
「…………ああ。この近くのビルに出るっていう、亡霊の話か」
なにか思い当たったように、楓は髪と同じ焦げ茶色の瞳を細めた。
「知ってるの?」
「わりと昔から有名だからな。何年か前に屋上から飛び降り自殺したひとの悪霊が、棲みついてるって」
「詳しいね」
「ちらっと聞いた程度なんだけどさ……飛び降りたのが女のひとって話だから、忘れるに忘れられなくなった、みたいな?」
つぶやく楓の顔色は少し白い。心なしか、頬も強張っているような気が。
ただでさえ女嫌いなのに、酷な話をさせたか。
「ユキさんは、興味があるの?」
「あたし? まっさか。物好きなカップルが季節外れの肝試ししてるのを、滑稽だなって思ってるとこ」
「そうだな。仮にもひとが死んでる場所だし、安易に近づかないほうがいい」
「……楓?」
どうしたんだ、今日はやけに、落ち着いた物言いをする。
「もし悪霊にユキさん連れてかれたら、俺発狂する、絶対!」
「なんだ、幽霊信じてんのか」
「当たり前じゃん! ユキさんは怖くないわけ!?」
「全然。幽霊なんているわけないでしょ」
「それが、いるんだって!」
「あーはいはい、幽霊なんて興味ない。だから心霊スポットにも行きません。これでオッケー?」
「わぁあ約束だよぉおお! 破ったらぎゅうってするぅううう!」
「もうしてる! 離せ! バカ!」
この間慰めてやってからというもの、スキンシップが激化した気がする。ハグなんてザラ。
腕の中でひとしきりジタバタしていたら、楓がふと真顔になる。射抜くようにのぞき込まれては、嫌な予感しかしない。
「……ユキさん」
「なんだ」
「胸キュン窃盗罪で、俺にタイホされちゃってください」
「ふざけろ」
わりとマジな目だった。先手必勝。身の危険を察知してすぐ、思いっきり爪先をブーツのヒールで踏みつけてやったら、だよ。
「公務執行妨害だー!」
「ちょ、楓……!」
両腕でぎゅうぎゅう。頬をスリスリ。窮地を脱するどころか悪化しましたよ、えぇ。
つーか楓! なんか面白がってない? ヘラヘラしやがって酒気帯びか、切符切られろよ!
なんて思うだけで離してくれる楓ではない。
「冤罪で訴えるが、よいか」
「執行猶予なし無期懲役っ!」
「おねがい検察仕事してぇっ!」
あぁバカらしい。いつものバカみたいな光景だ。
「……俺の前に、出てくんな」
そんな中で、たった一言を拾えなかった。
だから、いつになく騒いだ楓の真意を、このときのあたしは知るよしもなかった。
【Next】
柄にもなく身の上話しちゃったり、ホント風邪ってタチ悪い。
そんなあたしを甘やかしたがりなあいつから、ささやかなサプライズ。
寒い寒い雪の日の、ちいさな幸せ。