*5* 小動物を愛でる
「いらっしゃい、ユキちゃん」
「……ん」
ひさしぶりにのぞいた茜空。淡いあたたかみをおびた白銀の噴水広場で、待ち合わせ。
目印にしているクリスマスカラーの傘は閉じられ、レンガ造りのへりに立てかけられてある。代わりに、となりで陽だまりみたいな笑顔がふわりとほころんだ。
手まねきされるまでもなく歩を進めたあたしは、今日も今日とて、セツの思惑通りにならび座るのだ。
「……ぷくく!」
「笑いごっちゃない!」
「だってユキちゃん、男前すぎでしょ。そりゃあ心のお師匠さまにもしたくなるよ」
「あんたらには、歳上のプライドがないんか」
なんか、弟子ができた。一連の出来事をありのままに話せば、このザマである。
クスクス肩をふるわせていたセツが、あるときコテン、と小首をかしげた。
「その楓くんには、会ってるの?」
「傷口にハンカチ、押しつけられたし。返さないわけにはいかなくて」
「そうだよねぇ……名誉の負傷したところ、大丈夫? 化膿とかしてない?」
「あんたもしつこいね。かさぶたになってる。すぐ治るって」
「よかった! よいしょっと……」
ホッとするのはわかる。だがセツ、なぜ腕を伸ばしてくる?
「よしよし、よくがまんしたね」
まさかと思えば、案の定である。幼いこどもでも相手にしてるみたいに、あたしの頭なでなでしてさ。
「この程度のケガで泣くほど、あたしこどもじゃない」
「知ってるよぉ。これはね、怖いのによくがんばったで賞」
ド忘れするくらい自分のことには疎いくせに、セツは時々、エスパーかってくらい鋭い。
「この傷、目のほんとすぐ下にあるんだもん。見えなくなったらって思うと、ぼくでも怖いよ。ユキちゃんはなおさらでしょう?」
見えること、聞こえること。当たり前の感覚が、そうじゃなくなる怖さ。
危機にでも立たされない限り、人はその尊さに見向きもしない。あたしだってそう。
だから、自分のことみたいに心配してくれるセツは、純粋にすごいと思う……言わないけど。
「って、なにニヤけてんの」
「んー? いじっぱりなユキちゃんにもお友だちができたのかぁって思うと、うれしくて」
「……セツは、いいの? あたしがほかのひとといても」
バカ、なに口走ってんだあたし。こどもじゃないって言い張った舌の根も乾かぬうちに、コレだよ。
巻きもどしなんてできるわけもなく。頭を上げられずにいると、なでる手がふと離れる。
「……当たり前でしょ? ユキちゃんは、ぼくだけのものじゃないもの」
ぽつりとこぼれた声音は、セツにしては硬い。
不自然な間もあったし、まさか、とは思ったけど。
「セツ……スネてる?」
「スネてません」
「じゃあこっち向いて」
「ごめん、いまちょっとムリです」
それは、スネてますと言っているようなもの。
うぬぼれじゃない。いつもヘラヘラしてるセツが、本気でそっぽ向いて座ってんだから。
「やば……かわいい」
「ユキちゃん、それはあんまりじゃないかな! ぼく怒ってるんだよ!」
「認めたし」
「…………あ」
チョコレート色の瞳をぱちくりさせたセツが、いそいそと居住まいを正す。かと思えば、うつむき気味に前髪を掻いた。
なんだそれは、顔でも隠してるつもりか。
セツの不可解な行動は、ふわっふわなクセ毛がふわっふわであるがゆえに、無駄足に終わる。
「はいはい、悪あがきやめて」
「ふわぁ……!」
わしゃっとクセ毛に手をのばしたら、かわいらしい悲鳴が聞こえた。
ふつう「うわっ!」とか「ぬおっ!」とか力みそうなものを。どこまでも小動物だな。
「女子なの?」
「ちがうもん、男の子だもん……」
「女子だね。よしよし」
いくら引きのばそうが、この黒髪はぴょこんっと定位置にもどる。
なんか、面白い。クセ毛なのに全然絡まってない。夢中になって指を通してたら、ガクリとセツがうなだれた。
「いじわる……」
そうかそうか。途方に暮れてるセツは、無性にかわいいぞ。
なんかこう、なでまくりたいほほ笑ましさで胸がいっぱいになっていると、セツが真顔で正面に向き直ってきた。
「ユキちゃん、楓くんに会うなとは言いません。でもね、たまに、たまーにでいいので、ぼくのことも思い出してね……?」
「バカ、先に拾ったのはセツだよ。ちゃんと最後まで面倒見る」
「わぁ、ほんと!」
「ぴょこぴょこ跳ねおって、ウサギか」
「そう! だからユキちゃんがいないと、寂しくて死んじゃうの!」
「……ふはっ!」
切実な訴えを受けた。イジリすぎたか。ちょっと反省。
なにはともあれ、ささやかな主張は、見事ツボにハマった。
きょとんとしてるセツがおかしくって、あたしは余計、お腹を抱えて笑い転げなきゃいけなくなるのだった。
あー、久々に笑った笑った。