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*37* バカで、儚くて、美しい

「なくなってしまう前に、あのビルで、たしかめたいことがあるんだ」


 いつかはそう言い出すだろうと予感してたから、うなずくのに抵抗はなかった。


 ヒュオオオー……

 最後におとずれてから1ヶ月弱。


 例のビルは屋上の陥落を受けて、いよいよ解体工事が始まったという。

 その話通り、ほとんどが骨格のみを残し、野ざらしになっていた。

 今はないビルの屋上を見上げた(せつ)が、静かに瞳を閉じてしばらく。


「……やっぱり。だから(ゆき)ちゃんは、ぼくのことを呼びとめてくれたんだね」


 スゥ……と深呼吸をした雪は、ゆっくりとチョコレート色の瞳をひらく。


「未来は、ふたつあったんだ」


〝0は1に、なり得ないんだ!〟


 楓に訴えかけられて気づいた、真実。


 あたしの運命を肩代わりしたのなら、そもそも雪が息をしているはずがなかったんだ。

 だから0じゃない、これは1なんだと確信した。


 ずっと謎だったそのからくりを、「全部解けた」と雪は続ける。


「幸ちゃんはあの夜、ぼくの記憶を見たでしょう」

「……うん。頭の中に、流れ込んできた」

「それと同じようなことが、かすかな痕跡程度だけど……ぼくにもあったんだ」

「……初耳なんですけど」

「目が覚めて、ぼくも色んな感覚が鈍ってたしね。確証が持てなかったんだよ。それが、ここに来てハッキリわかった」


 屋上から落ちた。にも関わらず、5年という長い年月をへて雪が意識を取りもどした理由は。


紗倉(さくら)さんの記憶が、ぼくに流れ込んできたんだ」


 良家のお嬢様。

 生まれた瞬間から用意された線路に、疑問を抱いていた幼少時。


 思春期、はじめてひとりの少女として恋心を抱いた相手は、彼女の家柄に目をつけ弄んだ末、社会的に抹殺された。

 愛した男の無残な末路と、追い詰めた親。

 肉親すら、彼女は信じられなくなった。


 己が生きている意味は何なのか? 彼女は、すがるように追い求める。

 ただ、壊れた心を愛でつつんで欲しくて。


「どんな過去があっても、彼女の犯した罪を許すことはできない」


 スッと瞳を細め、静かに言葉をつむぐ雪から、いつもの無邪気さは感じられない。

 彼を傷つけ、彼の宝物を傷つけた。

 その結果として、彼をかつてないほど激怒させた出来事なんだ。いい想い出であるはずがない。


「でも、彼女を追い詰めたものがあるということを、ぼくらは知った。だから、すべてをないがしろにしてはいけないんだ」


 散々傷つけられたんだ、同情してやる義理だってない。それでも。


「紗倉さんは、最期に過ちを悔いた。きみが〝生きろ〟と存在を肯定したから、生きたいと願えた――その想いを、ぼくは託されたんだね」


 一度言葉を切った雪の表情は、胸のわだかまりがすべて解けたような、穏やかなものだった。

 悲しむ楓を見ていられず、自分は死んだものと思い込んだまま、病院を飛び出した雪。


 本当は、生霊だったんだ。

 ひとたび願えば、月森雪(つきもりせつ)は、簡単に未来を取りもどせたことだろう。

 そして佐藤幸(さとうゆき)は、人知れずその生涯を終えていたことだろう。


 けれど、神様は〝交換〟という形であたしたちを出会わせた。

 生きたいと心から願う者が、そうあれるように。

 雪とふれ合い、生きたいと願うようになった。

 そんなあたしの運命を雪が肩代わりしてくれて、雪の運命を、紗倉が肩代わりした。


 ふつう0は1になり得ないけど、1は、0になり得るね。

 雪の1は、あたしの1に。

 紗倉の1は、雪の1に。

 こうなることすら、神様はお見通しだったのだろうか?


「とんでもない人だったけど……雪を想う気持ちは、本物だったんだね」


 自分のことで精いっぱい。

 そのクセ他人に命を賭けちゃうほど、バカで、儚くて、美しいんだね、人間ってのはさ。

 おそらくいないだろう彼女の残像をたどるように、今一度空を見上げる。


「あなたに譲っていただいた未来を、彼女と共に歩んで行きます」


 雪のつぶやきを、どこからか吹き下ろした風が、拾っていった。

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