*34* ぼくの居場所へ
喜怒哀楽と家族愛を知ったぼくは、愚かにも一人前になったようなつもりでいた。
そこへ、青天の霹靂のごとく襲った事件。〝生きること〟は当たり前ではないのだと、知った夜。
笑って、泣いて、怒って。愛する人のために、不条理な世界に立ち向かう。それが、〝生きる〟ってこと。
独りでは到底成し得ない。人は、誰かと補い合うものだから。
ひとつだけ欠けていた感情のピースを、きみが埋めてくれた。きみを愛せたから、ぼくは最後に、人間になれた。
ぼくが命を賭けるには、充分すぎるほどの理由なんだよ、幸ちゃん。つたえることは、もう叶わないけれど。
――行かないで。
愛しい女の子の声が、後ろ髪を引く。
「……ダメだよ、幸ちゃん。ぼくがもどったら、きみが死ぬことになる」
――あたしは平気だから、もどってきてよ!
「きみの頼みでも聞けない」
――ふっざけんなよバカ雪! 勝手に自己完結しやがって!
ふふっ、やけにリアルな声だね。こんな風に、カンカンに怒ってるんだろうなぁ……
――泣き虫のクセに強がんな! 生きたいんだろうが!
「そりゃ生きたいよ……まだかえくんのお兄ちゃんやってたい……幸ちゃんのこと、お嫁さんにもらいたいのに……心残りばっかだよ」
――あたしたちが諦めてないんだから、あんたも諦めんなよ!!
「どうしてきみたちは諦めないの? いくら足掻いても、0は1になり得ないのに……」
――ああもうッ! いい加減かん違いに気づけ、このスットコドッコイ!
かん違い? ぼくは、なにか思い違いをしてるの?
……わからない。きみのために死ぬことしか、わからないよ。
――0は1になり得ないって、あんたが言ったんでしょうが!
そうだよ。未来は、ひとつしかないんだ。
――だからっ、むざむざ命投げ捨てる必要ないって言ってんの!
ねぇ、意味がわからないよ。命を捨てなくてもいい? もともとぼくに、そんなものないのに?
それじゃまるで、ぼくが……
――もどりたいって願え。
「……っ」
――あんたの居場所は、ちゃんとあるの。
「……ゆき……ちゃ……」
――楓も待ってる。
「かえ、く……っ」
――待ってる。シカトしたら殴るぞ!
「……っはは、痛いのは、勘弁かなぁ……」
人知れず消えようって5年越しの決意を、一瞬でひるがえす。こんなぼくは、カッコ悪いですか?
傲慢で意地汚い願いでも、またきみたちに会いたいと思う。
ふり返って、手をのばしても、いいんですか……?
暗い暗い闇の中で、見えるものなどなにひとつない。それでも、ぼくを呼ぶ人があるから。
――雪!
――雪兄さん!
「幸ちゃん……かえくん……」
最後に人間らしく、ジタバタさせてください。
「きみたちと、生きたいよ……っ!」
嗚咽混じりの情けない懇願。
刹那、真っ暗闇を鋭い閃光が走る。
あまりのまぶしさに、まぶたを固くつむり……
突如として頬をなでた人工的な温風に、引き戻される。
「おいふざけんな、いい加減起きろ雪……っとぉ!? いきなり目ぇ開けるな、ビックリするだろが!」
「うわぁっ、マジだビビったぁ……! ん? ユキさん、兄さん起きてるよ?」
「ホントだ起きてる。んだよ余計な労力使わせやがって…………って」
「起き、てる…………?」
やっと目が慣れて、ぼくを見下ろしているのが幸ちゃんとかえくんだとわかった頃。
「「起きたぁあああッ!」」
耳もとでの絶叫に、危うく意識を持って行かれそうになった……
「雪雪雪雪ッ!」
「兄さん兄さん兄さん兄さんッ!」
ごめん、せっかくだけど耳痛いです……って、いた、い……?
「なにあんたまで泣きついてんのよ楓! 笹原さんに連絡しろボケェッ!」
「ハッ、そうだ忘れてた! 笹原さんッ! ヤバイッすマジでヤバイからとにかく来てぇッ!」
まだぼんやりしてるぼくの前で、大慌てで動き回るふたりは、大好きな。
「幸、ちゃん……かえ、くん……」
「きゃあああ! 雪がしゃべったぁあああ!」
「うわぁああそうです! 俺たちは幸ちゃんとかえくんですぅうううう!」
「むぐっ……」
右から左から、ボスッとふたり分の体重がのしかかる。苦しい……これも、夢世界ではあり得ないこと。
夢じゃ、ないの……?
ぼく、どうしてここに……?
「雪!」
「兄さん!」
わからないことだらけだけど。
「「お帰りなさい!」」
まぶしい笑顔があるから、どうでもよくなっちゃった。
言いたいことは数え切れないほどあるのに、5年も怠けてたからかな? 久々に使うのどは、かすかすで。
「……ふぇっ……!」
かろうじて漏れた声は、へなちょこ。
ぎゅってしたくて、でも動かなくって。
ちいさな手、おっきな手が、そんな両手を握ってくれたよ。
だから余計、泣けちゃうんです。
ありがとう。ただいまです。
【Next】
ほーら、楓に抱えられて戻ってきたよ。
いらっしゃいって、ふにゃふにゃ嬉しそうな雪。




