*21* 光と闇の綱わたり
最初の年は、おたがいバラバラ。
2年目は、欲しがっていた本を、ドキドキしながらプレゼントした。
3年目、いっしょにケーキを食べられるようになった。
4年目はもう歓喜。クリスマスカードとプレゼントをもらえたんだ。
そして今年、イルミネーションを観に行こうねと約束した。
うれしいことに、毎年12月25日は、大切な人とすごすのが恒例になっていた。
「ただいまー」
ドアを閉め鍵をかけたところで、あれ? と首をかしげる。オッスって、いつも出むかえてくれるすがたがないんだ。
「かえくん? お兄ちゃん帰ってきましたよー。かえくんの好きなチョコケーキ、買ってきましたよー」
冷蔵庫にケーキをしまっても、返答なし。
部活はとっくに終わってるはずだけど。
そういえば、玄関にかえくん愛用のランニングシューズがなかった。
ダッフルコートからスマホを出してみると、メッセージが1件。サイレントマナー解除するの忘れてた。気づかなかったなぁ。
どうやら来月の大会のことでコーチと話し込んでしまったので、学校からそのまま行くとのこと。なるほど。
「毎日がんばってるもんねぇ、かえくん」
了解です、とニコニコ返信。
時刻は午後8時すぎ。予定の時間より10分のタイムロスだから、早く行ってあげなきゃね。
きれいなイルミネーションを観たら、家で遅めの晩ごはん。スープでほかほか温まって、ケーキも食べて、プレゼントをあげよう。
心おどらせながら、お気に入りの傘を手に取る。
あの子からもらった誕生日プレゼントとは、いつもいっしょなんだ。
そうして、しんしんと雪降る街へ、もう一度ふみ出していった。
凍てつく空気が肌を突き刺す。
気がつくとあたしは、コンクリートへうつ伏せに倒れていた。
「今のは…………った!」
考えようとした矢先に痛みを催す。ズキズキと悲鳴を上げる頭を抱え、重いからだを引きずるように起き上がった。
「さっぶ……なに? ここ」
ビュウ、と髪を舞い上げる冷風。少しして、屋外にいるのだと理解する。
古びた手すりのすきまから見下ろせば、夜の帳が下りた街に、色彩豊かな光のアートが煌々と明滅していた。
「とても美しいでしょう? この時期でしか目に出来ない、特別な景色よ」
別の意味で寒気が走る。案の定、目前には入り口を背にした美女が、余裕の笑みでたたずんでいた。
とっさに立ち上がり、身構える。
「楓はどうしたの」
紗倉は、意味深な笑みを浮かべるだけ。
あえて生死を明らかにせず、こちらの焦りを煽るつもりなのか。
「あら意外。もっと感情的になると思ったのだけれど」
無言で睨みつけてやれば、なぜか満足気なうなずきが、ひとつ。
「やっぱり幸さんは賢いのね。よかったわ。もう一度話し合えばきちんとわかってもらえると思って、ここに来てもらったのよ」
話し合えば? 笑わせんな。脅迫の間違いだろ。
「……あたしの部屋に届いたクリスマスカード、あんたの仕業だね」
「ふふ、正解よ。よくわかったわね」
「引っかかってたんだよ。こんな悪趣味な待ち合わせ、あいつがするわけない。雪の名前を語った理由は」
「何が何でも来てくれると思ったからよ。楓までついてきたのは、ちょっとした誤算だったけれど」
やっぱりな。こいつなら好きなときに楓を殺せた。そうしなかったのは、本当の狙いが、あたしだったからだ。
「雪が記憶障害って話も、出まかせだな」
「予防線のつもりだったのに……彼が教えたのね。いけない人」
物憂げな瞳は彼を見ているようで、ちがう。見えていないんだ。現実が。
「……雪は、いないよ」
「いいえ。彼は生きています」
「いないんだよ。5年前、あんたがその手で……殺したんだ」
「ちがうわ、彼は私と永遠を誓い合ったの! ほら、こうして息をしているでしょう? 私は神になったの。彼も同じよ!」
「あり得ない。人間は神にはなれない」
「それをあなたが言うの? 彼がふれたその唇で?」
ビクッと肩を跳ねさせたあたしを、紗倉は見逃さない。
「激しい口づけを、情熱的な抱擁を一身に受けて、あれほど求められていたあなたが、彼を否定すると言うの?」
「……見て、たの」
「全身が沸騰するような思いだったわ! ひとりになったあなたを追いかけて、八つ裂きにしてしまいたいくらいに! ……けれど、思い留まったのよ。楓にお仕置きをしたときのように、叱られるのは嫌だもの……」
叱られるのが怖くて、どうして人間やってくんだよ。
説教を垂れかけて気づく。楓を殺めようとした時点で、この人は人間としての道理から外れている。目前にしているのは、そういう相手なんだと。
嫌な寒気が、からだの奥からせり上がった。
「男を取っ替え引っ替えしてたあんたが、なんで雪にだけ固執するの」
「彼だから、よ。男なんて所詮、欲望にまみれたハイエナ……それ無くしては愛ではないと、恥じらいもなくからだを求めてくる。だけど、彼だけは違った」
紗倉が男を嫌っているという楓の言葉は、正しかったんだ。
その美貌ゆえ、媚びへつらう男にうんざりしていたある日、雪と出会った。
「運命だと思ったわ。今まで擦り寄ってきた男とは正反対で、純粋無垢。壊れ物を扱うように、とてもやさしくして頂いたの……」
あいつの〝当たり前〟を、沙倉の歪んだ心は、愛情にすり替えてしまった。それが悲劇のはじまり。
「同じだよ。あんたが殺したいほど嫌ってる楓と、変わらない」
「なにを……!」
「楓が強引にしてきたときみたいに、なんの説明もないまま、キスだけして……酷いやつなんだ」
「やめて! 楓なんかといっしょにしないで!」
「見てたんでしょ? なら、わかるはずだよ」
「彼は聖人ではないと? 私を落胆させて、あざむこうとしているのね!」
紗倉は、欲望のままに行動する男は汚らわしいと思い込んでいる。
それはちがうと、つたえさせてほしい。
「意味はちがっても、あたしは雪と楓のことが〝すき〟だよ。強引でも、ふたりの腕は温かかった……愛情が感じられたから」
「あなたに彼のなにがわかるっていうの!」
「わかるよ。少なくとも、あんたよりは」
「なんですって……!」
これ以上はまずいか? 下手に刺激したらきっと……いや、怖気づいてどうすんだ。
後もどりはできないんだ。さらけ出せ。あたしの思い全部。
「名前を呼ぶときはさん付けじゃない。敬語でもない」
「っ!」
「ヘラヘラ笑って、能天気に喋って、甘えてきたり、それ以上に甘やかしてきたり」
「……ちがうわ……」
「スネたり、イタズラっ子みたいだったり、本当は離れたくないクセに、〝ぼくのことは忘れて〟とか言いながら泣いてる、カッコつけたがりなただの人間だよ」
「ちがうわ!」
「ちがわない! あたしはちゃんと見てきた!」
1ヶ月足らずの関係でも、月森雪という人をちゃんと見てきたんだ。恥じることは、なにもない。
「本当の雪を、いい加減見てあげてよ」
偶像崇拝はやめにしよう。
そうしなければ、あたしたちは前に進めない。
「嫌よ! 認めないわ! 彼は変わらずこの世界にいるの!」
「だから雪は、もう……!」
「私が彼を手にかけたというなら、なぜ彼はあなたにふれられたの?」
「っ……わかんないよ……なのに温もりが残ってるから、混乱してんじゃん……!」
「そうよ! 亡霊に成り下がっては、あり得ないことなのよ! 私はこの5年、飢餓にも寒暖にもあえぐことはなかった……老いさえも、私を捕らえることできなかった。私は人間を超越したのよ! 彼と同じように……私は、神、に……」
わめき立てる紗倉が、はたと口をつぐむ。やがてその口端が、弓なりに曲がる。
「そう……私は神なの。愚かな人間を罰する使命があるわ……」
沙倉の瞳孔は開ききっていて、ゾクリと背が戦慄する。
「大丈夫、すぐ楓に後を追わせてあげる。絶望を味わわせてから……ね」
ゆらり。目前でふり上げられる腕に、脳内がまっさらになる。
「そうねぇ……5年前と同じ方法がいいかしら。だけど、すぐには死なせてあげない。私の怒りを、苦しみを思い知って、地獄に堕ちなさい」
おかしい……そもそも惜しくなんてなかったはずの命。だからこそ、ここにも来れたはずなのに。
(こわい……怖い……っ!)
生きたいと願わずにはいられず、温もりを探してしまう。
(やだよ……楓……雪っ!)
この人が〝神〟ならば、もう一度会いたいという願いは叶わぬ夢……
ヒュオオオ――……
……そう思っていたのに、あたしの前に、きみは現れた。
夜風になびく焦げ茶色の髪。悪魔からあたしを覆い隠す、広い背中。
「…………かえ、で?」
楓はふり返り、ふわりとほほ笑む。
あれ、こんな笑い方だったっけ……?
「忘れないでいてくれて、ありがとう」
やわらかくひびく声音に、衝撃にも似た既視感を覚える。
声が……出せない。固まるあたしをよそに、彼はまっすぐと向き直る。
「紗倉さん、もうやめてください」
「あら、急に礼儀正しくなって……」
「これ以上彼女を傷つけるというなら、ぼくはあなたの一切を、許しません」
絶句する紗倉。ようやく異変に気づいたのだろう。
「……おふざけはいい加減にしてちょうだい。彼の演技をしたところで、私は騙されないわ」
悪魔に睨みつけられてもなお、〝楓〟は凛と顔色ひとつ変えない。それどころか、まるで世間話をするように口をひらくのだ。
「あの夜も、イルミネーションがとてもきれいでしたよね」
「今さらなにを……!」
「けれどあいにくの積雪で、停電したときがありました。いっしょに来てほしいと、柵の向こうであなたに呼ばれたときです」
顔色を変えることになったのは、むしろ紗倉のほう。
「せっかくの聖夜ですのにと、あなたは苦笑なさいました。意識を失っていたあの子は、到底知り得ないやり取りです」
あたしだって信じられない。
だけど、驚き、言葉を失う紗倉の表情が告げていた。これは真実である、と。
「ぼくは、月森雪です」
聖夜の街に、ちらちらと、白雪が降りはじめた。




