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*15* きみが笑ってくれるなら

 コートを着て、マフラーを巻く。

 準備が整ったら遠慮は要らない。さぁ行こう――


「どこに行くつもりかな?」

「……すずめの子、そこ退けそこ退け、お馬が通る」

「回れ右して、戻りなさい」


 いま少しのところで開かれた玄関ドア。素早く身体を滑り込ませたかえでは、後ろ手に鍵を閉める。

 とぼけても無意味なことは、頭ふたつ分は高い場所にある険しい面持ちから、容易にうかがい知れた。


「……おねがい、楓」

「きみになにかあったら発狂するって、前に俺言ったよね」

「……」

「おねがいだから寝ていてくれ……ユキさん」


 そんな切実なおねがい、卑怯だ。

 コートもマフラーもあえなく没収。背を押され布団に逆戻り。これにて脱走は失敗か。

 毛布をかけてくれる楓には、ふて寝で反抗してみる。


「ユキさん、昼は頑張って食べよう。桃缶も買ってきたよ?」

「……食欲ない」

「少しでいいから食べて、薬飲まないと」

「……寝てれば治る」

「そっか……じゃあ俺も、プランBへ移行します」

「……プランB?」

「ムリやりにでも食べさせる。具体的な手法としては口移しとか」

「食べます」


 へそを曲げても、それ以上にねじ曲がった切り返しをするとは。楓のやつ、あたしの扱いが上手くなってないか?


「よろしい。それでは、いい子で待っていてください」


 かと思えば、普段通り屈託なく笑ったり。

 頭をなでる手のひらに無言でうなずき、寝返りを打った。


 ――あの日、楓と戻ったとき、せつは忽然と姿を消していた。何事もなかったかのように、広場では人々が行き交うのみ。

 絶望に近い落胆を味わったあたしは、翌日から体調不良に見舞われる。息を潜めていたものが爆発したみたいに。

 高熱に悩まされるあたしの看病を、なにも言わずとも楓が引き受けてくれて、もう2日になるか……


「はーい、お待ちどうさま」


 出た。塩分補給に保温効果、あとは栄養価の高い梅干しやら生姜やら玉子その他諸々をぶっ込んだ、楓特製カオス粥。

 レンゲひと掬いのそれをぱくり。何味か形容し難いくせに、美味ときた。ある意味天才ではなかろうか。


「……楓は、なんで世話焼いてくれんの」


 距離はちいさなテーブルひとつ分。楓は雑誌の活字を眺めてる。

 食事のときはいつもそう。見られる一方なのがいやだって、あたしが駄々をこねたから。


「ユキさんをほっとけないからだよ」


 雑誌なんて、結局はただの気休めだ。

 その証拠にほら、すぐさま返事があると無性にいたたまれなくなる。


「あたしは、楓に応えてあげられない」


 優しさは時にひとを傷つけることを知ったから、あえて告げよう。

 器を置いて向き直る。そうして二の句を継ぐより早く、パタンと雑誌が閉じられた。


「好きなのは俺の自由だ!」


 覆いかぶさる楓が見えて、息を詰めた。

 ところが、ふわりと肩を包み込む腕に、自然と四肢の強張りは解けてしまう。あたしを労るような、温もりだった。


「ユキさんが欲しくて欲しくて、手に入らないんなら意味ないってヤケクソになってた。でも別れるとき、心臓が引き裂かれるみたいに痛んだんだ。大事な子に悲しい顔させて、なにやってんだ俺はって」


 お互い初めての経験で、右も左もわからないのは当然のはず。

 それにあたしは甘えていた。楓はちがうと気づいていた。


「心が手に入らなくても、ユキさんを好きな気持ちが取り上げられるわけじゃない。神さまにすら、取り上げる資格なんかないんだ」

「楓……」

「見返りはもう要らない。ユキさんが笑ってすごせるための力になる。それが俺の幸せだ」


 楓はとても晴れやかな笑みをこぼす。それはまさに、虹がかかった雨上がりの青空。

 どうして楓はあたしを好きになったんだろう。

 いまのあんたに、あたしなんかは相応しくないのに。


「だからユキさんの辛さ、全部俺にちょうだい?」

「……これはあたしのだ。誰がやるか、たわけ者」


 そう、全部あたし自身がカタをつけなきゃいけないもの。楓のことも、雪のことも。


「楓の気持ちは、ちゃんと届いてるから」

「……その言葉だけで充分。ありがとう」


 あたしは、独りじゃないんだ。

 だって、こんなに支えてくれる人がいる。

 そうだ、へこたれてる場合じゃない。かけがえないひとのために、強くなろう。


 大きな手が、ぎゅっと、あたしのそれを握る。

 力強くうなずいた楓は、ひときわまぶしい笑顔を見せてくれた。


「――っ!」


 その直後だ。声なきうめき声が上がったのは。


「楓っ!?」


 とっさに身体を折った楓の肩を抱く。

 胸……? そういえば、楓が押さえているところにはたしか。


「傷っ! 傷が痛むの?」


 鋭いなにかでえぐられたような、深い傷痕。

 目を逸らしてしまいたくなるそれが左胸を斜めに走っているのを、楓の部屋で見たことがある。

 混乱まっただ中で一瞬目にしただけでも、痛ましい光景は、脳裏に焼きついていた。


「よく見てるなぁ……昔ヘマしたときの古傷が気まぐれに痛むだけだから、平気」

「けど……!」

「死にはしないって。大丈夫。それよりも、離してほしいかなーなんて。ユキさんの大事なセツさんとやらに、大変申し訳ない」


 やんわりと諭され、細い身体を支える腕を引っ込める。

 雪は怒らないだろう。けれど男は少なからず嫉妬するもんだと、楓は続けた。


「好きなんだろ? ユキさんは、自分の気持ちを大事にしてよ」

「もぉやだ……今日のあんた、優しすぎ……」

「ほーら泣かない泣かない。そんなんじゃ悪い虫にたぶらかされるぞ? 色々考え込む前に食べて、寝て、元気になって、セツさん探しに行こう!」

「うん……っ」


 正直、味なんてよくわからなかった。

 それでも雪のため、励ましてくれる楓のため、嗚咽を漏らしながら、ひたすらにお粥を食べ続けた。

【Next】

それは、突然のプレゼント。

喜びもつかの間、行くなとあいつは引きとめる。

その真意は――?

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