*11* ごめん……好き
遠くで、小鳥がさえずっている。
寒い。いや、熱い?
わからない……なにもわからない。
この上ない倦怠感が、全身を襲っていること以外。
「う……」
息苦しい。酸素を求めて首をのばす。冴えた外気にふれた瞬間、ぷるりとふるえがひとつ。
そりゃあ、肩むき出しなんだから凍えるわ。あれ。そういやあたし、なんで服着てないんだっけ……?
「――ッ!」
声にならない悲鳴が出た。当然だ。見知らぬ部屋のベッドに横たわってたんだから。
目前には、あたしを抱き込むようにして寝息を立てている楓。
おたがい衣服らしい衣服を身につけていない素肌を、ピタリとくっつけていて。
「……ん……ゆき、さん」
とっさに毛布をたぐり寄せた。その拍子に楓が目を覚ます。
なんでなんでなんで。
絶句したままベッド端へ後ずさるあたしに、焦げ茶色の瞳が細まる。
「からだは、もういいの?」
「……から、だ……?」
「熱、あっただろ?」
全身がダルい……けど、楓が言うように悪寒を伴う熱はないような。
「ユキさん倒れちゃったから。家までは行ったことなかったし、連れて来た。ここ、俺んち」
「楓の……」
「……そんな警戒しなくても、なにもしないって。はい、ひとまず着て。寒いでしょ」
あたしに服を渡し、楓はベッドを抜け出す。まざまざと見せつけられることになった裸体は、細身なのに筋肉質で。
ゆで上がった頭の熱は、さらけ出された胸もとを目にしたとたん、急降下した。
(なに、あれ……)
冷や汗がにじみ出てきて、ふり払うようにきれいに畳まれたキャミソールを引っつかむ。
ニットソーを頭から被るころには、ゆるゆるクローゼットを漁っていた楓もスウェットに着替えていた。
もういい? とひとつ断ってからふり向いた楓は、ミノムシよろしく毛布にくるまったあたしに苦笑。
「すごい汗だったし、上だけだよ」
「あんたも脱ぐ意味が激しくわかんない」
「あっためなきゃって思って。ほら俺、子供体温だからさ」
「……なにも、してないよね」
「した、かも」
「っ……」
「……ユキさんが、苦しそうにうなされてなかったら」
遠慮がちにベッドへ腰かけた楓は、ふだん通りのようで、ちがう。
「弱ってる子に好き勝手したら、終わりだと思ったんだ。俺ヘタレだしさ。ユキさんに嫌われるのが怖い、腰抜け野郎。強引にキスしたやつが、いまさら紳士ぶるなよって感じだけど」
そうだよ。キスされたことは、ホントなんだ。近すぎる息づかいも、熱い唇の感触も……全部、夢じゃない。
無意識だったんだろう、いつの間にか自分の唇を噛んでいた。
そんなあたしを前に、楓が長いまつげを伏せ、ととのった顔に影が落ちる。
「はじめて……だったよな。ごめん。気づいたのに俺、途中で止めらんなくて」
「謝って、どうするの。なかったことになんてできない」
ならばどうしてほしい? 逆に問われて返せるのか。
答えは否だ。解決できないもどかしさが、楓を咎めてしまう。
「……あたしはね、心底嫌いなやつと、帰ったりしないよ」
やっとしぼり出した言葉に、うなだれた楓の肩が跳ねる。
そうして顔を上げては、くしゃっと笑って――
「でもそれは、俺の『好き』とはちがう」
ふわりと、悲しげなほほ笑みを浮かべた。
「愛してるんだ……じゃなきゃ、こんな苦しい気持ち、説明つかない」
きっと『好き』にも色んなレベルがあって、あたしのそれは、楓が欲しているものには到底満たない。返って傷つけるだけだ。
そう思い知らされた。心臓が突き刺されたみたいに、痛む。
「いままで通りには……なれない?」
「半端な気持ちじゃないから、戻れない」
トン、と壁についた左手。あたしの腕をつかんだ、ふるえる右手。肩にもたれた楓の、悲痛な想い。
知ってしまったあたしに、もう知らぬ存ぜぬは許されない。
「ごめん……ホントに好き。だから俺……このままだと、気が狂いそうだ……ごめん……っ」
爪が手のひらに食い込むほど、押し殺した慟哭。
返す感情も、言葉すら持たない空っぽなあたしは、楓の嗚咽を、ただただ、目の当たりにすることしかできずにいた。




