大きな犠牲
赤ん坊になってしまった天野頭領と、少年になった夜見先輩の様子が須虞那先生は気になっていたのだ。
医務室へ向かうと、そこには防衛本部の上層部がいて、二人に会うことはできないと言われた。
理由は二つ。
一つ目は、黄泉の国の軍勢と接触し、退行したということで、その体に何が起きたのか調査する必要があるため。
二つ目は、黄泉の国の軍勢に触れたことで、何か変化が起きていることを考えると、危険なため。
理由を聞いた須虞那先生は従順なふりをしてその場を離れ、病棟側から医務室に侵入した。
白衣を拝借し、髪の分け目を変え、二人の姿を探した。
すると天野頭領、夜見先輩、鹿島、そしてもう一人の赤ん坊は、立ち入り禁止の集中治療室にいることが分かった。
厳重に警備されているため、それ以上近づけなかったが、医師の立ち話から、もう一人の赤ん坊が春秋竜美であることを須虞那先生は知ることができた。
須虞那先生が知る第三次討伐作戦の全容はここまでだった。
続けて須虞那先生は、その後の黒影や自身のことを話してくれた。
結果として、黄泉の国の軍勢を打ち倒すことに成功し、黄泉の国の入口は封印できた。作戦は成功と捉えてよかったはずなのに、上層部の見方は違っていた。
表向き、この作戦は窃盗団の討伐だった。
黒影頭領と隊員三名が、赤ん坊と少年と子供になったことなど、説明のつけようがなかった。
その結果、第三次討伐作戦は窃盗団の壊滅には至ったが、大きな犠牲を払うことになった。最強と言われる黒影の頭領及び隊員二名の合計三名が死亡という形で京都へ報告された。
そして作戦に参加した者には緘口令がしかれ、第三次討伐作戦の詳細は極秘扱いとなった。
須虞那先生はその後、黒影の頭領となるのだが、頭領となっても赤ん坊になってしまった天野頭領や春秋竜美、子供になった鹿島がどうなったのか知ることができなかった。
唯一の例外が夜見先輩だった。
第三次討伐作戦に参加した時、夜見先輩は十五歳。そして退行した夜見先輩は十四歳だった。
本人に確認してみると、第六期黒影として入隊が決まったことまで覚えていたが、それ以降の記憶がなかった。
上層部はこれを利用し、夜見先輩は第六期で入隊するはずが持病で入隊ができなかった、代わりに持病の喘息の治療のために遠方の地で療養していたと信じ込ませた。
そして先に入隊した許婚は作戦に参加中に死亡したことを伝えると、夜見先輩は精神的に大きなダメージを受けた。
これは上層部にとっては予想外の結果だったが、この状態であれば極秘情報が漏れることもないと、家へ帰らされた。夜見先輩の両親が上層部のこのようなやり方を受け入れた理由は分からなかった。
ただ、夜見先輩の実家であるお寺は急に建て替えをして寺院が立派になったり、敷地が拡張されたことから、何か大きなお金が動いたのではないかと須虞那先生は感じていた。
第十一期入隊という枠で夜見先輩が黒影に戻ることは予想外であり予想内だった。
上層部は夜見先輩が年齢を経る間に記憶が回復するのではと心配していたし、精神的なダメージを克服し、黒影として任務を果たせる状態で戻ってくるのなら、経過観察もできて好都合と考えた。もし記憶が回復したとしても、手元にいればすぐに対処できると。
正直、このような上層部のやり方を須虞那先生が良しとしているのかというと、そうではなかった。ただ、上層部を止めるだけの力がその時の須虞那先生にはなかった。
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須虞那先生はこの後どうするのでしょう?
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