神の力
だが、招かれた僧侶と陰陽師の中で、映像の中に何かの姿を見た者はひとりだけだった。
それが陰陽師・小笠原久光で、彼は映像に映る黒い人影は黄泉の国の軍勢ではないかと分析した。
黄泉の国の軍勢、それは死者の国の住人で、生者と接触すると、その生命力を吸い取ってしまうのだと言う。
生命力を奪われた人間は、退行が進み、大人の体から子供の体へ、子供の体からやがて赤ん坊になり最後は消えてしまうというものだった。
そして黒影がどんなに精鋭であっても黄泉の国の軍勢を倒すことはできない、神の力が発現していなければ、と指摘した。
神の力とは五感+第六感で構成される。
神視覚:人間以外の存在を見ることができる力
神聴覚:人間以外の存在の音を聴くことができる力
神触覚:人間以外の存在に触れることができる力
神味覚:人間以外の存在の食べ物を感じることができる力
神嗅覚:人間以外の存在の匂いを感じることができる力
第六感:人間以外の存在の気配を感じることができる力
黄泉の国の軍勢と戦うためには、最低でも神視覚・神聴覚・神触覚が発現していないとダメだった。
なぜなら敵が見えず、敵の音を感じられなければ、敵がどこにいるかわからず、ただやみくもに武器を振りまわし、逃げることすらできないからだ。
さらに敵を倒すには敵に触れることができないと、その攻撃は通らないのだという。
通常のこの神の力が発現するためには、訓練が必要で、日常生活を送る中でどれか一つでも発現すれば、有する神の力が強いことを示していた。
さらに訓練で神の力が発現しても、発現には度合いがあった。
黒影の隊員を襲った黄泉の国の軍勢は、神視覚の発現が強い者であれば、黒い人影のように見える。中程度であれば黒い影の塊に、弱い者であれば黒い靄のように見える、ということだ。
もちろん訓練を続けることで、より強く神の力を発現させることも可能だが、それには並々ならぬ鍛錬が必要だった。
そして訓練で神の力は発現するが、そもそも神の力を宿す者は、誰でも、というわけではなかった。
元々神の近くで生きている家系(神職の家系)、神の力を持つ者と縁を持つ人、信仰の厚い人などだ。このような人には神の力が宿っている可能性が高かった。
熱田尊の一族は一連の災害が起こる一年前に京都へ移り住んだが、元々住んでいた家の近くには神社があり、一族で毎朝参拝するなど信仰が厚かった。
それは京都へ移ってからも変わらず、熱田尊も昔と同様、家から近い神社への参拝を続けていた。そして黒影入隊後も、父母にもらったお守りに祈りを毎日欠かさずに行っていた。
つまり、信仰の厚さから熱田尊には神の力が宿っており、眠っていた力が強かったことで訓練なしで神視覚の力が自然に発現、黄泉の国の軍勢を見ることができたのだ。
陰陽師・小笠原久光によりこの事実が分かると、熱田尊は黄泉の国の軍勢と戦える人材を第五期黒影として入隊させることにした。
願書には家族の職業を書く欄があり、もしもの場合に備えという名目で信仰の有無や信仰する神の名を書く欄を設けた。
さらに黄泉の国の軍勢と戦うとなると、神の力を有していることはもちろん、身体能力が優れ、体力があることも重要だった。それらをクリアして入隊したのが第五期入隊の黒影隊員だった。
一方、既存の黒影隊員に対しては、採掘場で行方不明者が出たための調査と称し、坑道で何か見なかったか、また過去に別の坑道で女性のような形をした白い靄の目撃情報があったが、それを見ていないかなどの聞き取りを行った。
神の力を宿している可能性がある者を選別するためだ。
その上で体力テストと運動能力テストを行い、黄泉の国の軍勢と戦えるだけの体力や身体能力があるかを確認した。
こうして選抜された隊員が、須虞那先生や狭霧の父親だったのだ。
第五期入隊の隊員と、須虞那先生や狭霧の父親ら既存隊員は小笠原久光による厳しい訓練を経て、神の力を発現するに至った。
須虞那先生は神視覚、神聴覚、神触覚。狭霧の父親は神味覚を除くすべてを発現させることに成功していた。
第五期入隊の隊員のうち三人は発現しても神視覚のみだったり、神味覚と神嗅覚だけだったりで、黄泉の国の軍勢と戦えるまでには至らなかった。
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黒影の世界観が徐々に明らかになってきました。
引き続きお楽しみください!




