1-3
「キミは私にどんな価値を見出したの?」
そう切り出した佳奈絵を、少年が初めて垣間見た時と同じ表情を見せる。まるで珍しい動物を見るような、無垢でありつつもその深い青は興味を押し隠す事はしない。しげしげという表現がまさしく、今、佳奈絵に向けられる視線にぴったりと当て嵌った。
「お前は自身の価値について・・・いや、価値があろうとなかろうと、困った人を見捨てるのは信条に沿わないもんでね」
少年は口元に弧を浮かべながら事無げに言うがそれが本心で無い事は明白だ。佳奈絵は早くも先ほど自分が口を滑らせ零した軽口を苦々しく思った。
「随分立派な信条を持ってるんだ。キミ達が向かう先も、そういう人が多いの?」
「田舎はどこもそんなところだ」
「ふぅん・・・働きたいって言えば雇ってくれるところとかある?」
「働くぅ?」
『何馬鹿な事言ってんだ』と、副音声が聞こえてきそうな顔をする少年は、成程、それなりに田舎らしい世話焼きの性質もありそうだ。佳奈絵は頷き、胡乱な視線を気にせず言葉を続ける。
「そう、帰るのに所持金が無いし勿論住むところも無いから」
「・・・身分証くらいは持ってんだろ」
「んなのある訳ない」
胡坐を掻いた膝の上で数度指を叩き、少年は押し黙った。
今更厄介な奴を拾ってしまったと後悔しているのかもしれないが、事既に遅しだ。乗せると決断したのは誰でもない彼自身。そこに関して佳奈絵は感謝すれども謝罪の気持ちは抱かない。ここで遠慮を見せれば降ろされるのが目に見えていた。
ここは堂々と図々しくいこうと背筋を伸ばしすまし顔をしている佳奈絵が気に食わないのか、彼は鼻頭にくっきりと皺を作る。
「・・・働くのは怪我が治ってからにしろよ」
「え?」
「なんだよ」
思わぬ少年からの言葉に思わず間抜けな声を出したこちらを、少年が睨む。
「キミに優しくされるとは思わなくて」
心の底から思った事を言えば、彼の顔はますます不機嫌さに染まった。また余計な事を言ったか、と慌てて続く言葉を佳奈絵は飲み込んだ。
「気楽な頭してんな、雇う側からしたら怪我人働かせるなんて金の無駄だろふつー」
「・・・ああ」
「んなふっつーの配慮もできねぇ奴がまともに働けるとは思えねぇな」
「そうかもしれない」
つい、少年の言葉が佳奈絵自身を案じてくれたものだと思ってしまったが、よくよく考えてみれば働くという事は雇用主が関わってくるのだ。あくまでも二人で完結していた会話をしていたからか、その思考に至らなかった自分を佳奈絵は恥じたし、素直に少年の忠告を聞き入れた。
「帰るのは急ぎなのか?」
「なんとも言えない」
「んだそりゃ・・・とりあえずちったぁ時間はあると?」
「多分」
「ハッキリしねぇな」
胡坐を解き、少年が天井を仰いで盛大な溜息を吐いた。なんとなく佳奈絵も同じように天井を見上げた。視線の先には薄暗く汚れつつも、日差しを受け赤みを帯びた幌の空が広がっていた。
「運賃、治療費」
「?」
「それに家賃、食費、雑費も含むか」
「???」
「あと俺への迷惑料だな」
静かに顔を下した少年は、にやりと笑う。
「とりあえずツケてやるからありがたく思え」
「恩着せがましいね、キミ」
「実際に現在進行形で恩があるじゃねーか」
全くその通り過ぎて佳奈絵は口を閉じた。
この提案を受ける事が吉と出るか凶と出るかは定かではないが、少なくとも今、少年の申し出を受け入れれば衣食住は保証される。数時間、夜の山を彷徨うだけでもサバイバル生活は出来そうにないと身に染みている佳奈絵からすれば願ってもない提案ではあるが。
「・・・断れば?」
美味い話しには裏があるとは良く耳にする。恐る恐る用心して聞いてみるも、その裏を巧妙に隠されたところで抗える気もしないが聞かないよりはマシだ。要は佳奈絵自身の気分の問題だ。
それを見据えていたのか、少年はすっと指を擡げ、佳奈絵の髪を示した。
「その髪をちょっとばかしもらう、かな」
「髪?」
「お前が対価に差し出せる、せめてもの価値はそれくれーだろ」
佳奈絵は自分の長い髪を持ち上げまじまじと見つめた。確かに珍しい色だし、日頃の手入れのお陰か数日洗えてはないがそこそこ艶もある。
昔は綺麗な髪は鬘として多少の金になったとテレビで見たような気がするしそういうものかと一人納得する。
「好き者に売れば結構な金になりそうだ」
「・・・ツケさせてください、お世話になります」
少年の思わぬ発言ににべもなく土下座して頼み込んだ。
なんだ、『好き者』って表現は。得体が知れなさ過ぎて、思わず女子高生の私物を集める変態の姿を想像した佳奈絵に断るという選択肢は消えた。もう心の底から縋った。
頭上から、堪え切れず零れたような笑い声がした。
「・・・ははっ!なんだよ、どんだけ世間知らずかと思ったがそーゆーのは知ってんのな?」
腹を抱えて笑う少年の表情は、先程まで佳奈絵に優位を取っていた姿とは打って変わってあどけない。年相応の笑い方をすればそれなりに可愛げがある。涙を流す程人の土下座で笑うなど趣味が悪いのは頂けないが。
彼は満足したのか、肩で息を整えると改めて佳奈絵の顔を覗き込んだ。
「じゃあ改めて自己紹介だな。お前、名前・・・」
突然、馬車がガクリと揺れ、減速を始めた。
荷台の二人は不意打ちに身体を大きく揺らすも倒れこむ事はなかったが、何事かと声に出すのを、物音を立てるのも憚る緊張感が流れた。少年が『そこに居ろ』とでも言うように佳奈絵の動きを掌で制し、彼は馭者席と繋がる小窓へと向かった。
「親方、どうしました?」
「ああ・・・なんでも兵士さん方が検問してるみたいでなぁ」
「検問?なんででしょうかね?」
「さてなぁ」
普段はこんな田舎の街道の、中途半端な場所で検問などしていない。首を傾げつつ少年は荷台の中へ引っ込むと、不安げに見上げる瞳を見つけた。
「事故?」
「いや、検問だとさ」
そう彼が声を潜めて告げた途端、少女の肩が跳ねた。
だがすぐになんでもないと誤魔化す様子で、少年から顔を逸らす。
見下ろしていた彼は佳奈絵に向かって何かを言いかけるも、口を閉じ、床に置いてあった木箱を無言で開き、積んである別の箱から中身の瓶を移し始めた。
「・・・手伝う?」
「ああ」
何をしているのかは分からなかったが、僅かな時間を惜しむように動く彼を見て、佳奈絵も立ち上がりせっせと瓶を箱へと移す。
床に置いてあった木箱の中には液体が染み出した大きな麻袋と数十本の瓶が入っていた。
木箱の空白からして、恐らく麻袋の中身は割れた瓶なのだろう。その合間を別の木箱に入っていた瓶で幾分か埋める。中身を取り除かれた木箱を睨み、彼はまた数本を別の木箱の隙間へと押し込んだ。
「入れ」
ようやく満足いくように瓶の移動が終わったのだろう。振り返った少年は相変わらず彼のやっていることの意図が掴めない佳奈絵の背を押す。困惑する少女の手から持ったままの数本の瓶を受け取ると、木箱の空白を顎でしゃくった。
「そこ、お前なら入れるだろ」
「・・・」
「早く」
積まれた木箱の為、少し高いがよじ登れなくはない。たどたどしい動きを少年の手に支えられながら木箱の中で、ごそごそと胎児のように丸くなる。僅かな隙間に彼は佳奈絵から取った瓶を詰め、彼女の羽織を瓶の上に被るように引っ張った。それを助けるように佳奈絵も出来るだけ布を広くとれるよう身を捩る。
「お前、隠れんぼはしたことあるか?」
「あるけど」
「俺は昔から隠れんぼで最後まで見つかった事はねぇ」
だから大丈夫だと、彼は得意げに笑ってから木箱の蓋を閉めた。佳奈絵が蹲り、息を潜める木箱の上に更にもう一つ木箱が積まれたのだろう。重みのある振動と共にガラスがぶつかり合う音がした。
頭上から、ぽたりぽたりと液体が零れ落ちる。
(荷台に乗り込んだ時の香りは、これかぁ)
甘くも、清涼感のある香り。嫌いじゃない香りだった。胸いっぱいに吸い込むと不思議と落ち着いた。
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「ごくろーさまです」
少年が帽子を取り、兵士に頭を下げる。ガチャガチャと鎧を鳴らし歩み寄る兵士は、朗らかな笑みで片手を上げて見せた。
「すまないね、仕事中に」
「いえ、いつもお世話になってるのは俺達の方ですから」
「ありがとう」
兵士は馭者と話していた部下を呼び寄せ、荷台へ回らせた。部下の兵士は目礼をし、荷台の幕を捲り足を掛け中へ乗り込んでゆく。
「君は何があったのか聞かないのかい」
外で待つ少年に、監督役であろう兵士が問う。
少年は目を数度瞬かせ小首を傾げた。
「町へ行けば先行の隊商から聞けるでしょう。仕事中の兵士さん方に何度も同じ話をさせるのは忍びないです」
「なるほどね。ところでこの香りは・・・ルカエかい」
「はい、道中で結構な量を割ってしまって」
ルカエとは薬草の一種で、調合すると魔力回復薬になる。日常で魔法を使うこの国の人には馴染みのあるものだし、この甘く清涼感のある香りは嗅ぎなれたものだった。
「幕が開いてなければ気にはならないが、魔獣が寄ってきそうだね」
「その時はお世話になります」
「任せてくれ」
濃いルカエの香りに魔獣が寄ってくる事は珍しくない。手短に済まそうと、兵士は内心で思い周囲の魔力へ意識を高める。
「・・・・?」
ふと、まるで分厚い瓶を何層も重ねたような、魔力の気配を拾った。存在感が幾重にも遮られ、すぐ傍にあるのに匂いが感じられぬような不思議な感覚だった。思わず片手を腰から下げた剣の柄に掛け、周囲を警戒する。
しかし近くには動く魔力は見つけられなかった。
(気のせい・・・いや、それにしては存在感が)
兵士の訝し気な視線が荷台を捉える。ルカエの魔力が靄となって、視界を濁らす。
「ジェイ」
「はい」
呼ばれた部下がややあって荷台から顔を出す。彼は軽やかな身のこなしで荷台から降り、速足で上司の元へ戻ってきた。
「異常は特に。ルカエの匂いが凄いんで、早く出させてやった方が」
「ああ、そうだな」
ジェイの申告に頷きつつ、彼は歩みを荷台へと向ける。
首を傾げる部下に、周囲を警戒するよう指示を飛ばすと、彼はそっと荷台の幕を捲った。仄暗い荷車の中には幾つもの大きな木箱が積まれており、時折馭者席から馬の呼気が聞こえるだけの静かな空間だった。
「・・・・」
ぎしりと床を軋ませ身を中に滑り込ませる。擦れ合う金属音が嫌に響いた。
ふと、床の一部に大きな染みが広がっているのに気づき、彼はしゃがみ込み指を這わせた。
「最初はそこに割れた瓶入れた木箱を置いてたんですよ」
差し込む外の明るい光で、少年の赤毛が煌めく。乗り込んだ彼は少し疲れたような面持ちで、兵士に歩み寄った。
「『最初は』?」
「ええ、でも生憎革袋が無くて麻袋に入れてたらまぁご覧のあり様で。今はほら、こっちに」
少年は積んである木箱の一番上を開いた。中にはルカエの薄桃色に染まった大きな麻袋と木箱の大きさの割に少ない数本の瓶が入っていた。
「積み上げたところで下の商品が濡れるだろう?」
「荷台の床を張り替えるのに比べたら、木箱は安いもんですよ」
商品なら町に着いてから拭けば良いですし、と彼は肩を竦めて苦笑を浮かべる。
確かに輸送中、荷台の床から染み出したルカエの雫や匂いに魔獣が寄ってくる可能性が無い訳じゃない。業者によっては割れたルカエの瓶、もしくは木箱ごと道に捨てていく場合すらある。
「商売熱心だな」
「ははは、ありがとうございます」
手際よく木箱の蓋を閉める少年に関心しつつ兵士はその木箱へ徐に手を掛けた。鍛えた彼には、傍らの少年では持ち上げるのが一苦労な木箱など軽いようで、片手でその木箱をずらしつつ下の木箱の蓋を押し退けた。
「・・・」
開いた隙間から見えたのは、変哲もないルカエの入った瓶と、それを覆う革張りの外套だった。
「拭く本数を少しでも減らそうとする辺り、健気でしょう?」
お陰で俺の外套が台無しですけどね。
少年は事無げに笑うが、兵士が思っている以上にしっかりと先を見据え身を削り商品を守ろうとしていた。その心意気に兵士は口元に笑みを浮かべ、木箱を元に戻した。
「本当、頭が上がらないよ。どうだい、砦にも卸すかい?」
「! 思ってもない話です、親方も喜びます」
「此方としても熱心な仕事をする人との繋がりは喜ばしいよ。第二小隊のクロムの紹介だと伝えてくれれば大丈夫だ」
「分かりました」
クロムは数歩で渡れる荷台の後方へ、幾分か時間をかけて歩いた。幕を捲り、警戒をしていた部下に軽く手を上げ答え、荷台から降りようとする少年に振り返り頭を振る。
降りなくていいと示され、少年は申し訳なさそうに頭を下げ返した。
「手間をかけたね、ありがとう」
「いえ、お勤めお疲れ様です」
「お陰で良い機会を得たよ。若いのにしっかりしている」
「勿体ないお言葉です」
部下が馭者席に検問が終わった事を告げたのだろう。馬の嘶きが聞こえ、クロムが数歩荷台から下がった。
「高い場所から失礼いたします、それでは」
「ああ、気を付けて」
クロムが踵を返すまで、少年は幕間から頭を下げ続けていた。その姿勢も好ましく上司の目に映っているのを勿論部下は分かっていた。
「躾の行き届いた小僧でしたね」
「そうだな、軍でも上に行くのはああいう人間だ」
「・・・じゃあ俺は無理ですね」
「諦めが早いな」
くつくつと喉を鳴らしながら歩き出した上司の背を部下は負う。その先には次の荷馬車の馭者が脂汗を拭いながら待っていた。
「・・・・・・・・・・・・はぁぁぁぁぁ」
やっと終わったと、完全に兵士の姿が見えなくなってから少年は幕を閉め、その場に座り込んだ。
全身は緊張から放たれ脱力しているのに、帽子を握り締めていたままだった手は硬直して暫く解けそうにない。漸くして、重い腰を上げ木箱を下し、蓋を開けた。
「・・・・大物かよ」
顔を覆うように引き上げられた外套を捲れば、少女の穏やかな寝顔があった。