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剣と盾の物語  作者: 菌床
2/4

1‐1


「・・・・・・ぅ・・・・・・」


水の中から上がったかのような倦怠感を胸から吐き出し、代わりに吸い込んだ息には青臭さが混じった。

指先に感じる柔らかな感触に交じる硬質。

横に向けていた顔をずらせば、土の香りもした。


「・・・・」


ぐっと掌に力を入れ、ゆっくりと上体を起こした。

会話すら、近づかないと聞き取れない爆音はそこにはなく、ただただ涼やかな虫の音と葉の擦れる音だけがあった。


「・・・・・?」


困惑する心を落ち着けるように、長い髪を指で梳く。

触り心地は普段と変わらない事だけは確かだった。


無言で足を引き寄せ、辺りを見渡すが人工的な灯りは見当たらない。

視線を上げて生い茂る木々の合間を見つめても、遠くには聳え立つ高層ビルも尖った建物も無かった。

寝起きのような気怠さか、唐突な場面転換に呆然としているのか自身でもはっきりしないまま数分はそうしていただろうか。


(・・・・とりあえず、スマホ)


相変わらず片手で髪を梳きながら、緩慢な動きでショートパンツのポケット探る。

しかし目当ての物はそこにはなく意識を先ほどまで居た先輩の部屋へと飛ばした。


(スマホ、テーブルにおきっぱだったっけ・・・?いやそもそも、愛深(まなみ)が)


そう。

佳奈絵が先輩に頼み、集めた男達に凌辱されていた愛深が酒瓶で自分に殴り掛かってきたのだ。

思い出し、はっと息を飲んで自分の顔や額を触るも流血した様子はない。怪我をしていれば感じる筈の痛みもないのだから、当たり前かと嘆息を零す。


(まぁ酒瓶で殴ってもせいぜい気を失うくらいだろーし。

つか、例え愛深が私に報復したとして、この状況はなんなの?先輩らを丸め込んで山にでも捨てた?)


バサリと鳥が飛び立つ音に思わず肩が跳ねる。

遠ざかる羽音がする方向を呆然と見つめつつ、佳奈絵はまた髪を梳かした。


(展開として無理くね?てか先に殴られてた男の方が愛深のこと山に捨てそうだし)


記憶にあるだけでも、愛深に挿れてた男は顔面を殴られ流血していたのだ。

こんな誘いに乗るような男等だ。酒瓶で殴られる程度の喧嘩は慣れているだろうが、殴った愛深を性的尊厳を貶めるだけでなく、人体的損壊まで追い詰める可能性の方が高い。

だからこそ、だ。

例え想定外の展開で先輩ら男達が愛深の肩を持つようなことになったとしても、無傷で山に捨て置くなど生温い事はしないだろう。


どことなく腑に落ちないまま、佳奈絵は立ち上がり再び辺りを見渡す。

薄雲に遮られた月明かりが湿った空気や木々の輪郭をぼんやりと照らしていた。


(つかマジでスマホ無いのツラ・・・・人家も見えないこんなところでどーしろってのよ)


盛大な溜息を吐きホットパンツに付いた草を叩き落とし、むき出しの脚を撫でて砂を落としながら傷が無いかを指先で確かめる。

気付けば、室内からそのまま運び出されたためか足元は靴下のままだ。


「・・・・ねぇ!」


靴もなく鬱蒼とした森の中を彷徨えというのか。

裸足に近い状態で歩き回るなど子ども時代以来だ。無茶をさせる。


万が一これがただの悪戯だったらと期待し、「誰かいないの?」と声を掛けてみるものの返事はない。

周囲を険しい顔で睨むこと数秒、佳奈絵は諦めて大きく肩を落とした。


(はーーさっぱり、何がどう転んで愛深があいつら誑したのか分からん)


考えたところでも分かりはしない事の顛末へ意識を飛ばすのは止め、こわごわと足を森の中へ踏み出した。柔らかな足の裏に小石がぐいと食い込み、鈍く走る痛みに佳奈絵の顔はますます厳しいものとなった。

ぐっと唇を結び、たじろいでいた反対の足を、一歩と前に踏み出した。


カサカサと風で擦れる葉は嘲笑のようだった。

佳奈絵が目覚めた場所は運良く拓けた場所だったのだろう。暗い森の中に道らしき道はなく、両手で茂みを掻き分けつつ進むしかない。


靴下は夜露で濡れ、踏みしめた草の汁で汚れてゆく。

せめて手だけはと厚手のニットの袖口を引っ張り、少しでも温かさを得られるようにしたがそれも微々たるもので。


「さっっぶ」


思わぐ口から嘆くように零し、ぶるりと体を震わせ腕を摩った。

目を凝らして吐き出した息を見れば、ほわりと白く揺らいで消えた。

全く、どこぞの山奥に自分は捨て置かれたのだろうかと改めて思う。まだ冬の訪れには早い、しかし秋口と言うには深まい、冷えた空気が生足には辛い。


(マジどんだけ奥に置いてかれたん?あー、車の音とか聞こえれば道路出れるかな?)


ふと思い立ち歩みを止めて耳を澄ます。

細やかな葉の擦れる音の中、鳥が鳴き声だろうか、クルクルと喉を鳴らす音は聞こえたが、望んでいた風を切る走行音は聞き取れなかった。


(・・・・ん?)


だが代わりに轟々と水が落ちる気配を察する。

清涼な音色だが、今の佳奈絵にとってはより一層寒々しさを覚えるものでしかない。


(うっそ・・・・滝があるなんてマジ山オブ山ぁ・・・)


信じられないと頭を振りつつも、歩みを音のする方向へと変えた。

相変わらず茂みの鬱陶しさは煩わしかったが、雲が晴れたのだろう、月明かりがぼんやりと周囲を照らす様は冷えた空気も相まって神秘的だった。

寒さから垂れる鼻を啜りつつ段々と大きくなる水音にほんの少しだけ心も沸き立つ。


生憎、佳奈絵は郊外にある滝スポットなど知りはしないが、例え先輩らがあの女に言われ自分を山へ捨て置くとしてもそこまで遠い場所でもないと踏んではいた。

滝の近くには遊歩道的なものがあるだろう。

そこを辿っていけばより歩き易く安全に下山出来る筈だと。


「・・・・・・・・・・」


そう考えていたのに、こじんまりとした滝の周りは大自然だった。


ザアザアと滑り落ちる水を囲うように木々が複雑に入り組み、滝の周りはやや大きな石が転がっているが、お世辞にも拓けているとは言えなかった。

人目に留まらぬようなひっそりとした場所故に、人工物らしい杭も看板もなければ、道と呼べそうなものも全くない。未開の山奥、ありのままの自然な姿だ。


月明かりに弾ける水しぶきの白らかな調べを前に、見る人は心が洗われるのだろうが。

佳奈絵の口からは盛大な溜息しか零れない。

的が外れたのもあるが、歩きづらい森の中をなかなかの距離歩いて来た体にどっと疲労が押し寄せてくる。


(・・・・ふっっざけんなよ)


思わず蹲り、抱えた頭を掻き毟った。


(マッッジでここどこ?! 流石にキレそう・・・っ!)


赤みを帯びた膝に生温い自分の溜息が掛かる。

その温もりを抱き締めるよう、更に身を小さくした。


「・・・・自業自得、か」


ぽつりと零れた言葉に、眉を下げて嘲笑を漏らす。

おもむろに顔を上げれば変わらぬ風景が静かに広がっていた。

月夜に照らされた飛沫はきらきらと刹那を歌うように弾けては消える。

湿った風がふわりと周囲の草木を揺らし、軽やかな音色を奏でた。


もうあの喧噪が思い出せなくなるほど清廉な風景だった。


佳奈絵の心の海には、後悔の波ひとつない。




やがて、緩慢な動きで立ち上がり胸の奥から吐き出すように長く、ひとつ、息を漏らす。

ここで滝を見ている時間があるならさっさと下山に動いた方が建設的だと自身に言い聞かせ、下流へ向かって足を向けた時だった。


茂みが大きく揺れ、反射的に息を潜める。


「・・・・・・・・・・」


気のせいであれと呼吸も忘れて音のした方向を見据えたまま、微動だにしない。


(・・・・うそ・・・熊?と、か?)


生唾を飲み込むのと同時に、再び茂みが音を立てて揺れた。


これだけの山奥だ。大型の野生動物がいても不思議ではないし、水辺には獣が集まるとかなんとか、どこかで聞いた気がしなくもない。

今までの道のりがあまりにも穏便に過ぎたのものだから危機感というものが薄くても問題は無かった。


しかし、たった今、明らかに風が揺らしたのではない葉が揺れる音がした。

そしてその音は断続的に、まるで獣がこちらを警戒しつつ近づいているかのように、徐々に大きくなっていく。


(えっ・・・!や、やばい!熊とかって背を向けたり走って逃げたらアウトなんだっけ!?『人間が居るよ』って鈴とか!歌とか歌った方が良いの??!ここまで来たら逆効果?!分かんない無理!)


じりじりと無意識に後退する足は震えていた。

握り締めた掌はじっとりと緊張の汗で濡れ、肌に食い込む爪の痛みが、佳奈絵の意識を細く保っていた。

は、と細く短い息が口から零れる。

全身が脈打ち、心臓が肥大したかのように胸が弾んだ。


佳奈絵の双眸は真っすぐに茂みを捉えていた。

だからだろう、左の岩場から滑るように降りてきた影に気付く事が出来なかった。


「?!!」


衝撃と共に肩を走る熱。

強かに地面へ打ち付けた身体が跳ねると同時に、佳奈絵の体に被さる塊も揺れた。


反射的に身を竦め、払うように振るった左腕に生暖かい息と湿った感触が纏わりつく。

奇襲に驚愕した脳が鳴らす警鐘が耳鳴りとなって獣の唸り声を遠ざけるも、上半身を起こした佳奈絵と黒い影の距離はそう離れていない。


「ぇ」


唖然とするのは一瞬だった。


次の瞬間には、見間違いかと疑った、野犬ほどの大きさの獣が三つの赤い目を光らせて飛び掛かってきた。開いた口の奥は暗く、ぬらぬらと鈍くテカる長い黄色の舌を見たとき、佳奈絵は身体を反転させ獣へ背を向けた。


背中に獣の重みと痛みが走る。ぐっと奥歯を噛み締め叫び声を喉へ押し込み、そのまま転がるように獣を落として下敷きにし、勢いそのままに佳奈絵は立ち上がった。

三つ目の獣は寸でのところで飛び退いたのだろう、再び距離を取り立ち上がった獲物を睨んでいる。


(何この生き物!犬じゃないの!?)


対峙する獣は確かに佳奈絵の知る中型犬に近いフォルムをしているが、目の数だけでなく形も

異常だった。一つ一つが菱を縦に描いたような形で、その中に柘榴の実を彷彿させる小さな赤い粒が無数に敷き詰められている。異様な形状にも関わらずそれを「目」と認識出来たのは、瞳孔らしき金色がこちらを見据えていたからだ。

暗がりで煌々と光るそれは記憶に新しい輝きを放っていた。


奇妙な獣は一度も獲物から視線を逸らすことがない。このまま背走したところでまた背中から飛び掛かられる事だろう。先ほどは厚いニットのお陰で動けない程の怪我は負わなかったが、獣が鋭い爪を持っているのは分かった。

あの爪で剝き出しの脚を引っ掛かれたりでもしたら、肉ごと抉られるであろうことは想像に容易い。


(・・・追い払、えるか?!)


夜の山の中、茂みの中に逃げ込まれたら見失うのは確実。

一旦追い払ったところで下山の目途も立たない佳奈絵の不利は変わらなかった。

しかし多少なりとも時間を稼ぎ、樹木に登れば多少はマシになるかもしれない。


そう自らを奮い立たせ、すぐ傍にある茂みの枝を手折り、静かにゆっくりとした動きで足元から拳より少し大きい石を拾い上げた。


心許ない武器を備えても何も起きないのが一番である事は変わらない。

じりじりと摺足で後退しつつ獣との距離を取ろうとするが、相手はそれを許さないように獰猛に吠えてこちらを牽制してくる。

だが先ほどのように飛び掛かって来ないのを見ると、佳奈絵が左手に持った不格好な枝を警戒しているのだろう。


(思ったよりイイ感じ?!そうそう、飛び掛かってきたらこのわっさわさな枝振り回して邪魔してやるし、何だったら石でその柘榴叩き潰してやる!)


傍から見れば随分腰が引けた様子だが本人は先ほどの恐怖を払拭し、鼻息荒く獣と本気の睨み合いをしていた。このまま戦況が硬直すれば、もしかしたら向こうも退くかもしれない。

そう、ふと意識を緩めたのが決め手だった。


佳奈絵が一番最初に怯えて警戒していた茂みから、もう一つの影が飛び掛かってきたのだ。


今度の狙いは完全に頭部だった。

獣の牙が頬から後頭部に渡って食い込み、思わず叫ぶ。痛みを振り払うように身体を曲げ、大きく左右に捻るも獣は離れない。

自分でも何を言っているか分からないような喚き声を上げながら、右手に握った石を無我夢中で獣に叩き付ける。獣もこの機を逃さないと言わんばかりに、佳奈絵の右肩に鋭い爪を食い込ませ更に嚙み砕く顎へ力を込めてくる。


「い、だああああああああっ!!! あっぐぁ・・・・っ!」


顔が変形するんじゃないかという痛みに足がふらつく。そこを、距離を保っていたもう一匹は見逃さず襲う。

白らかな太腿に獣の牙が刺さる。獲物の動きを封じようと、痛みに叫び暴れる寸前でひらりと離れては、再び噛みついて牙を立ててくる。

自らの血だまりで足を滑らせ尻もちをついた佳奈絵を畳みかけるように獣が圧し掛かってきた。


嬲られ殺される、とはこの事か。


いや、もっと、きっと、()()()は。


味わった事のない痛みの激流と獣の息遣いの中、佳奈絵が意識を手放す刹那。

横たわる彼女の視界を、銀色の流れ星が過った。


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