草原にて2
声が聞こえる。
目をゆっくりと開くと、そこは深海の底のように暗い世界だった。
海中に浮かんでいるような不思議な感覚だ。
(――誰?)
ツルハが訊ねると、声は暗い天上から見下ろすように返って来た。
――お前が、私を手に取った者か?
声は中性的な声だった。
しかしその声は、まるで神ように畏ろしく思えた。気高く、圧倒的で、そして、透明な水のように清らかな声だ。
(あなたは……誰なの?)
ツルハが訊くと、声は答えた。
――我は、お前の魂に呼ばれ、その心に応えたもの。
忘れるな。お前の心に、我が力が応えることを。
忘れるな。我はお前の魂の、映し身となることを。
(それはどういう意味なの? 待って――!)
声が暗い天に消えて行くのが分かると、ツルハは心の腕を伸ばすように叫んだ。
ハッとして目が覚めると、天井に吊るされた淡い橙の光が映った。
「良かった。気が付かれましたか」
アルフィーの声が聞こえて来ると、ツルハはきょろきょろと辺りを見回した。
そこは、休息所の宿屋の中だった。
「心配しましたよ。急に気を失われるものですから」
アルフィーが言うと、ツルハはあの時のことを思い出した。
倒れていた人の無事が分かった瞬間、全身を張り詰めていた筋肉が一気に解け、そのまま意識を失ったのだ。
「あの方達は?」
「大丈夫ですよ。あの冒険者達なら――」
コンコンコン。
「失礼します」と控えめの低く太い声がすると同時に扉が開くと、そこには魔物に襲われていた冒険者の2人の姿があった。
「おお、目を覚まされましたか!」
「ええ。もう1人の方の具合は?」
アルフィーが訊くと、男達は笑みを浮かべて言った。
「旦那のお蔭で助かりました。治療医からの手当ても終わって、今は部屋でぐっすり寝ております。
まずは礼を言わせてください。
お嬢さん、あなたのお蔭で本当に助かりました。本当に、何と礼を言ったらいいのやら……。もし、あなたがあの時いなければ、今頃あっしら全員あの狼共の胃袋の中でした」
男の言葉に、ツルハは胸の中に何かが広がるのを感じた。
ふんわりとした何かが、その言葉と共に胸の中に温かく広がると、陽だまりの中にいるような優しい感情が心を温めた。
嬉しかった。
自分が誰かの役に立てたことが。
誰かの命を護ることができたことが。
幼い頃、父に褒められた時以来の懐かしい記憶の感情が、心によみがえってきた。
ツルハは首を横に振ると、穏やかな微笑みを浮かべた。
「私は、何も特別なことはしていません。皆さんが無事で、本当に良かったです」
「そんなことはねえ。お嬢さん、アンタの剣術は凄かった。その腕前はまるで噂に聞く鬼王を見ているようだった」
「鬼王?」
聞き慣れない言葉にツルハとアルフィーは声を重ねた。
「鬼王は俺達も噂でしか聞いたことがないんだが、とんでもねえ凄腕の剣士でな。何でも、傭兵紛まがいのことをしているっていう男だ。
ある国では魔族の諸侯が攻め入った時その群れを一人で掃討したと云われ、またある国ではその国では勇者と呼ばれた男一行が歯も立たなかったドラゴンを一人で潰しちまったと云われている。
だが、そいつは兎に角強い奴にばかり目を付けてな。地方の荒くれモンから一等騎士に至るまで、強いと聞けば喧嘩を吹っ掛けるトンデモねェ野郎と聞く」
「荒くれ者ですか……」
アルフィーが相槌を打つと、男は「ああ」と頷いた。
「あなたも気を付けて下さい。あなたの実力を聞きつければ、きっと鬼王はあなたに目をつけるでしょうから」
もう一人の若い男が言うと、ツルハは頷いた。
「それじゃ、そろそろお暇させてもらいます。本当に今日のことはありがとうございました」
中年の男に続き、若い男が改めて深く頭を下げて部屋を出て行くと、部屋の中に一度沈黙が落ちた。
「姫もお疲れでしょう。何か飲まれますか?」
アルフィーが立ち上がり訊くと、ツルハは頷き、簡単に礼を言った。
「あの、アル?」
ポットに手を取ったアルフィーがこちらを向くと、ツルハは少し顔を曇らせた。
「声を聞いたの。私が意識を失っている間に」
「声、ですか?」
アルフィーが訊くと、ツルハは頷いた。
「変に思うかもしれないけれど、まるで神様と話しているみたいだった。
我はお前の魂の映し身。お前の心に我が力は応える。
そう、言っていたの」
「それはもしや――」
アルフィーは、ツルハの視線も向いた、立て掛けられている剣を見つめた。
「確かに、魔物と対峙している時、姫の力は強力なものでした」
アルフィーが真剣な声調で思い返すように言うと、ツルハは顔を上げた。
「いや、強力という言葉では済まされないのかもしれません。
私はこれまで、何百という猛者達を見てきました。中には各国で勇者と称される者もいました。
しかし、姫のあの時の戦闘力はそれとは比にならないもの。
筋力、体力、敏捷、魔力。あらゆる力があの時、姫の中から溢れ出ていました。それはまるで、その限界が無いように――」
ツルハは自身の手を見た。
自分から、そんな力が。
高揚に似た感情が一瞬沸き起こるも、それはすぐに凶器を手にしているような恐怖の感情へ変わった。
「アル……、私、あの時のことを実はよく覚えていないの。
ただ、襲われていた人達を助けたくて、倒れていた人を見た瞬間、いても立っても居られなくなって!
それからは本当に……」
「我は魂の映し身。その心に我が力も応える。
もしその声の主が、宝剣ウォルンタスであったとすれば、姫の彼らを救いたいという感情に剣が応え、力を姫に与えたのかもしれません」
「剣が……?」
ツルハは、柄から金色の光を放つ剣を見つめた。
アルフィーは茶を淹れたコップをツルハに差し出すと、ツルハはそれを受け取った。
「大賢者である私にとっても、姫の力の正体は未だかつて見たことのないもの。しかしそれも、この旅の中でいずれは明らかになることでしょう。
ですが姫、ウォルンタスの剣のこともそうですが、それよりも大切なことがあります」
首を少し傾げるツルハを見ると、アルフィーは微笑んだ。
「それは、姫の勇気が、あの冒険者達を救ったことですよ」
アルフィーが言うと、ツルハも嬉しそうに表情を和らげ、手に取ったコップの縁に唇をつけた。
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