修練1
ユズハは、浴室の扉が開く音で目を覚ました。
窓の外はまだ朝靄の白さに包まれ、薄明るい部屋の中では枕元の橙色の灯りが色濃く光っていた。
「ああ、ごめん。起こしちゃった?」
湯気のまだ出ている頬をタオルで拭きながら、ツルハが言うと、ユズハは瞼を擦った。
「今朝も走ってきたの?」
「うん。少しでも体力を付けたいな、って思って」
この半月、ツルハの早朝運動は毎朝の日課になっていた。
まだ皆が眠りについている頃に起きては、円周状の歩廊のある塔内庭園に向かい、息が荒くなるまで走って周回をする。
塔内庭園の中央には、水瓶の間に通じる螺旋階段が中央にあるが、円形の庭園のその縁は歩廊になっており、ツルハはそこを利用していた。3階層に渡るため、1周するまでに上りで3個、下りで3個の計6つの階段があり、1周するだけでもかなりの運動になる。
始めたばかりの頃は、1周するだけで息が上がり膝に手をついていたが、今では2周は、ペースは一定ではないものの、立ち止まることなく走れるようになっていた。
しかし何といっても、あの階段が難関だ。勾配は緩やかなのだが、1つの階段の段数は57段とあり、特に長い歩廊を走った後の上り段は、気力と体力を一気に削られる。3周の中盤にもなると、どうしても息が苦しくなり、腕も足も錘を吊るしているように重くなる。
そしてとうとう階段の途中で立ち止まってしまうのだ。
この半月で走れる距離の伸びに自分の成長は感じられたものの、喜びよりも先に、ツァイの講義課題への焦りが気持ちを急かした。
「私、ただでさえ運動が苦手だから、早くユズハちゃんやファイガに追いつきたいなって。それに、講義の後とか自主練習している人が結構いるみたいだから、気が急いちゃって」
その言葉にユズハは少し意外そうな顔を浮かべた。
「けどツルハちゃん。この学院に来るまでは、その剣で魔物と戦って来たんだよね?」
ユズハが、ツルハの机の横に立て掛けられた鞘に収まった剣を見て言うと、ツルハは苦笑した。
「そうなんだけど、その時は剣が私に力を貸してくれたから、何とかなってきただけで、私の素の力なんて全然……」
「剣が、力を?」
ユズハが少し驚いた様子で訊くと、ツルハは鞘に収まった剣を手に取った。
「この剣、ウォルンタスの剣は、私の故郷――グラディワンドの王宮の地下に眠っていたの。
アルが予言をする以前までは、魔除けの宝剣として、お父様やおじい様、歴代の王君に大切に護られてきたみたいなんだけれど、今となっては、この剣が一体どこからやってきたのか、この剣が何なのか、その伝説は誰も知らないって、アルが言っていたわ。
ウォルンタスの剣を初めて手に取って魔物と戦った時は、正直凄く恐かったの。とても大きい魔物で、足も震えて、身体も凍り付いたように動かなかった。
だけど、襲われていた人を助けたい、って思った時、気が付いたら私は魔物の前に飛び出ていたの。
アルもあの時は心臓が止まるかと思ったって。自分でも自分が何をしているのか、だけど、このままじゃ、この人が殺される――それは魔物よりも恐かった。
その時、このウォルンタスの剣が私に力を貸してくれたの。ウォルンタスの剣が力を貸してくれている時は、体中から力がみなぎるの。尽きることがないんじゃないか、って思うくらい強い力が。
ウォルンタスの剣と過ごす中で、私はこの剣が私の意志に反応しているってことが分かったの。
誰かを護りたい、助けたい。
そう強く思った時、この剣は私に力を貸してくれる。
だけど、剣を使いすぎたことがあって、アルやツァイに凄く心配をかけたことがあったの。剣の力を使いすぎると、大きな負担がかかっちゃうんだって。
ただでさえ弱い私だから、剣の力に少しでも耐えられるように、今までも鍛錬はしてきたんだけれど、中々結果に結びつかなくて。
けど、ユズハちゃんやファイガの夢を聞いた時、私も頑張らなくちゃ! って、とても励まされたの。
ユズハちゃんは、世界一の武闘家。ファイガは世界最強の戦士。
私にもね、夢があるの」
「ツルハちゃんの夢かあ。気になるなあ。ねねっ、どんな夢なの?」
ユズハが目を輝かせて訊くと、ツルハは少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「困っている人や弱い人を守れるような強い人になりたいな、……って」
温かくなった頬の熱を振り払うように、顔を上げると、ツルハは少し声を強めて加えた。
「私、幼い頃からお父様やお姉様を見て、自分もああなりたいって思ったの。大切な人や困っている人、それをしっかり守ることができる強い人。
……正直なところ、自分が予言にあった勇者だって自覚する前までは、心の何処かで、諦めていた自分がいた。どうやっても、お父様やお姉様のようにはなれない。そんな声が、いつしか聞こえるようにまでなっていた。
けど、ウォルンタスの剣を手にして、自分が本当に勇者なんだ、自分がやらないといけないんだって思った時、そんな弱い自分はどっかに行っちゃった。
今は兎に角、ツァイの講義を機に、自分をこれまで以上に鍛えないと。皆も頑張ってるし、私はそれ以上に武術鍛錬は頑張らなくっちゃって!
そう思うと居ても立っても居られなくなって」
「そっかあ。ツルハちゃんは本当に凄い子だなあ」
ユズハはしみじみと頷きながら言うと、「よし」と胡坐をかいていた膝を叩き立ち上がった。
「ツルハちゃんが頑張ってるのに、私もうかうかしていられないな。
ツルハちゃん、私にもツルハちゃんの鍛錬に協力させてよ。剣の道について、ちょっと心当たりがあるんだ」




