宵の憩い2
水瓶の間は、夜の静謐に包まれていた。
水瓶の間は、半円状の窓の無いテラスが大きな特徴だった。広間の縁に走る細長い水路は、音の無い夜に優しい水の音を添え、清涼な風が流れ込むと、水気を帯びた気持ちの良い空気がその空間を循環した。
ツルハは、アスピスと会った昼間の時とは違う、広間の雰囲気に見惚れた。
月や星の青白い光だけが、広間を照らす灯りとなり、テラスに出ると、その光を漏らす幾多の星に埋め尽くされた天球に、ツルハは圧倒された。
紺碧の空には、散りばめられた銀の粒が互いを寄せ合うように集まり、大きな河を天に築いていた。
細かな粒を一つ一つ目で追うように、ツルハの桃色の目は瞬き一つせず、その壮大な空を見つめた。
小さな星、大きな星。まるで、ここではない、天の世界に吸い込まれていくような――そんな感覚に、ツルハは浸っていた。
「本当は、もっと早くこの景色を見せてあげたかったんだ」
ユズハが言うと、ツルハは夢から醒めたように瞬きをした。
「ここ、私のお気に入りの場所なんだ。
だけどほら、夕暮れ時以降は、教師の特別な許可を取らないとここに来れないじゃない?
だから、見回りの教師達がいなくなる夜集会(:定期的に行われる学院教師たちの集まり)の時にしか、来れなくてさ。中々ツルハちゃんをここに連れてこれなかったんだあ」
ユズハが言うと、ツルハは首を横に振った。
「ううん。ありがとう、ユズハちゃん。
こんな綺麗な星空、初めて見た。まるで星の世界にいるみたい。
こんなに空に近い場所で、夜空を見たことなんてなかったから」
ツルハは、穏やかな顔で空を見上げていた。
ユズハもツルハに首肯し、しばらく空を見上げると、再びツルハに振り返った。
「ねえ、ツルハちゃん。瞑想って知ってる?」
「瞑想?」
ツルハが訊くと、ユズハは頷き、その場に腰を下ろした。
「こうやって胡坐をかいて、精神を落ち着かせるの」
ユズハが言うと、ツルハもユズハの真似をするように腰を下ろし、胡坐をかいた。
「こう?」
「そうそう。後は呼吸に意識を向けるだけなんだけど、故郷にいた頃、不安な時や喧嘩をしてイライラした時に、心を落ち着かせるためによくやってたんだ」
ツルハが好奇心を帯びた関心の声を漏らすと、ユズハは「ちょっとやってみようよ」と誘った。
ツルハは大きく頷くと、2人は静かに瞼を閉じた。
「ゆっくりとお腹を膨らませるように息を吸って――」
ユズハの指示に合わせてツルハはゆっくりと息を吸う。
「そこから静かに、空気を抜くように息を吐いて――……
またゆっくりと少しずつ息を吸って――……吐いて――……吸って――……吐いて――……」
どのくらい時間が経っただろう。
ユズハの声がいつの間にか聞こえなくなり、すっかり呼吸に意識を向けていたツルハが、ハッとしたのは、突然だった。
ツルハはバッと慌てた顔でユズハに振り向くと、ユズハはクスッと笑っていた。
「わ、私……寝ちゃってた!?」
「うーん……どうだろ?」
ユズハが揶揄うように言うと、ツルハは顔を赤らめた。
「けど、ちょっと落ち着いたでしょ?」
ユズハに言われると、ツルハはキョトンとした顔で胸に手をあてた。
不思議なことに、胸の内の余分なものがなくなったような、そんな感じがした。
散らばった本のようになっていた気持ちも、本棚に整えられたように、落ち着いている。
「本当だ……」
ツルハが驚いたように言うと、その表情は自信を帯びた。
「今ならいける気がする!」
「私も」
ユズハも同じ顔で頷くと、2人は手を天に向けた。
「「……せーの。
――オーレ・アータ・フィレ!!」」
2人が呪文を唱えると、2人の手の先には、人の頭程の大きさの鮮やかな火球が生まれた。
その火球弾が音を立て、天に放たれて行くと、2人はしばらくその火球弾に魂を奪われたように硬直していた。
その火球が天の彼方に小さくなり消えると、ツルハとユズハはハッとし、互いの顔を見た。
「「やっ、……やったあ!!」」
2人は歓喜の声を上げると、周囲のことなど忘れ、両手を握り合い、興奮のあまり大きな声で叫んだ。
「やったよ、ユズハちゃん!」
「できた! できたんだよ!」
ユズハとツルハが手を取り合い、子どものようにピョンピョンと、燥いでいると、広間の奥から聞こえて来た少女の一声に、2人は我に返った。
有頂天になっていた歓喜と興奮が一気に冷め、恐そうな教師たちの表情が頭の中に駆け巡ると、ツルハ達は冷水をかけられたような顔になった。
蒼い広間の奥からコツコツと聞こえる足音に、ツルハ達は鼓動を鳴らした。
その緊張が解けたのは、月光にその容姿が露わになった時だった。
「しゃ、シャーロットさん……!?」
ユズハが最初に声を上げると、見覚えのある印象深いその少女の姿に、ツルハもハッとした。
赤みの入った橙色のリボンで左右に束ねられた髪は、月の光を反射し、明るい金の色をしていた。
その下にある顔が、苦笑を浮かべると、
「こんな時間に、精が出るわね」
改めて見た、シャーロットには、どこか雅な雰囲気があった。
貴族や王族とは違う――心に直接伝わって来る、優美さと気高さを、彼女はまとっていた。
それはまるで、姉を見ている時のような――
「シャーロットさん、どうしてここに?」
ユズハが口をパクパクさせながら訊くと、シャーロットは答えた。
「ちょっと学院長に呼ばれてね。
で、その帰りに火球弾が見えたものだから、一体何事かと思って。"才の試練"が心配なのは分かるけど、あんまり焦ったらダメよ。ツルハさんとユズハさん」
シャーロットが、そのままその場を立ち去ろうとすると、ツルハは驚いたように言った。
「どうして私の名前を?」
シャーロットは振り返ると、風で靡いた髪を整え、クスッと笑んだ。
「一緒に生活する学院の生徒の顔と名前くらい、しっかり覚えておかないと失礼でしょう?
さあ、早いところ寮室に戻って寝なさい。夜集会ももうすぐ終わる頃でしょうから」
シャーロットはそう言うと、ツルハ達を背にその間を後にした。
「流石高嶺の花……、
まさか皆の名前と顔を知ってるなんて思わなかったわ……」
ユズハが驚いたまま言うと、ツルハもコクリと頷いた。




