草原にて1
グラディワンドを旅立ってから一週間が経とうとしている。
「えいッ、やあ!――たあッ!……うわッ!?」
草原の休息所の外で、3連撃目の振るいで体勢を崩し、尻を摩りながらツルハが苦笑を浮かべると、アルフィーも笑みを返した。
長い桃色の髪を1つに束ね、すっかり冒険者の姿となった少女は立ち上がると、「こうかな……」とイメージをし、そしてもう一度剣を振るった。
鞘に納めた状態の剣で連撃の練習をするツルハをアルフィーは穏やかな顔で見つめていたが、内心ではツルハを取り巻く周囲の状況に憤りを感じていた。
姫がこうして旅に出ることになるのは、その使命ゆえ誰もが知っていたことだった。
だが、いざその時が来てみれば、どうであろう。
今目の前で、自身の使命を果たそうと懸命に励む桜色の少女の傍には、自分しかいない。
レオは王位を継ぎ、国に残らねばならない。
世話役の少女たちも、戦士ではない故に連れて行くことができないと告げた時はそれをとても悔やんでいたが、姫の荷支度など最後まで献身してくれた。
だが、その他の者達はどうであった。
姫が勇者と知る者達の中で、最後まで名乗りを上げる者はいなかった。
エステカについては、もはや言葉を交わすことにも嫌気がさした。
確かに姫は勇者の才に乏しいものだったかもしれない。だが、母親として、そればかりが愛情を注がぬ所以であったのかと思えば、腸が煮えくり返った。
旅立つその日、姫が見せたあの顔を思い出せば、姫が不憫でならない。
レオや世話役の者が涙を流し、当分の別れを惜しむ中、王妃がその見送りに顔を出すことはなかった。
政の事情につき見送り御免とのことだったが、自分の娘ともう長らく会うことがかなわないというのに、それよりも政の方が大事であったのか。
そんな母親でも最後まで姫は王妃を探している様子だった。
そして、最後に浮かべた悲し気な笑みは、見るに耐えられないものだった。
「……アル?」
その声に気が付くと、息を切らしたツルハが首を傾げてこちらを向いていた。
「どうしたの……?」
「いえ、何でもありませんよ」
アルフィーが言うと、ツルハは笑みを浮かべた。
「アル、見てて!」
「えいっ、やあッ! ――たあ! ……とと」
最後の足の踏みが怪しかったが、ツルハが見事に3連撃の型を見せると、アルフィーは思わず手を叩いた。
「姫、やりましたね! 凄いじゃないですか!」
「えへへ……。まだぎこちないけれど、もっと練習して、絶対モノにしてみせるから」
照れ顔で嬉しそうにツルハは笑った時だった。
「だ、誰か来てッ!!!」
女性の金切り声が響くと、宿屋にいた冒険者達も顔を出した。
「どうした!?」「何事だ?」
「人が、人が魔物に――ッ!!」
焦燥の声にツルハとアルフィーも顔色を変えると、すぐに飛び出した男達と共に野を駆け出した。
緩やかなに起伏した草原を上がると、女性は足を止め、指を指し示す。
その先には、複数の影が見えた。
3人の人影。それを囲むように数体の影が見える。
その光景に目を細めると、屈強な体格をした男が声を上げた。
「バカな、ありゃあヴァイスドッグじゃねェか!!」
一際大きな個体の影に、男が声を上げると、周りの冒険者も、アルフィーも驚いた顔をした。
「ヴァイスドッグだと!? ここら辺一帯は低レベル地帯のはずだ。
上位種の魔物が、何でこんな場所に!」
ヴァイスドッグ。
白い毛の大人より一回り大きい狼の姿をした魔物をツルハは見た。
ギザギザとした棘のような牙には血がしたたり、悪魔のような顔が唸り声を挙げ、ギラギラとその紅い瞳を輝かせている。
その周囲にいるのは、道中何度か見たことのある魔物だった。
ヤングドッグ。
一見すれば可愛らしい小狼の魔物だが、凶暴で集団で冒険者を襲うことがあると、アルが言っていた。
しかし、ツルハの鼓動が激しくなったのは、その大きな魔物の先にいる倒れた人影だった。
真紅の血が緑の絨毯を染め、力無く倒れている。
鳥肌に血の気が引いた気色の悪い感覚に、心臓の鼓動が体全体を打っているように鳴った。
「誰か早く助けてあげて!」
女性の声に、その目は今すぐにでも助けに向かいたいと訴えるも、その足を踏み出す冒険者達はいない。
「無理だ。俺達はC級冒険者。ヴァイスドッグはB級の冒険者でも手こずる魔物だ」
震える手。
冷たい雨に濡れたような嫌な汗が胸を抑えた掌から伝わる。
――けど、このままじゃあの人が、皆が。
"ツルハには何か護りたいものはあるか?"
「姫ッ!!」
アルフィーの声は後ろへ過ぎ去って行った。
自分でも不思議なくらいだった。
筋肉がこわばり、恐怖で動けない体。しかしそれは気が付いた時には一目散に魔物達に向かって駆け出していた。
彼方から聞こえて来た、いつかの言葉。
それが私の中のピンと張った何かを断ち切ったのだ。
向かってくる少女に気が付いたヤングドッグ達が、その目をギラリと向けると、それに応えるように涎をまき散らし駆け出した。
「マズイッ!」
「嬢ちゃん、無茶だ!」
アルフィー達の声に少女はその足を止める様子はない。
アルフィーは杖を取り出し、すぐに詠唱を始めた。
詠唱が間に合うかは五分五分。
しかし、実際にはヤングドッグの速度は、アルフィーの予測を僅かに上回っていた。
向かってくる3体の個体に、ツルハはギュッと鞘に納められた柄を握った。
(お願い、ウォルンタス――
私に力を貸して――!)
祈りを込めるように心で願うと、ツルハはその瞳を開き、その剣を鞘から引き抜いた。
ヤングドッグの先頭が、牙を見せ、ツルハの頭部目がけて大きく跳びかかった時だった。
男達は思わず目を伏せた。
だが、その目が再び開いた時には、男達は思わず口を開いた。
鞘から溢れたように輝く白銀の光。
それが見事な白い弧を描くと、小さな個体の胴体は宙で真っ二つに引き裂かれていた。
時間が止まった様な光景だった。
すぐ様に追撃する2体目。
剣を引き抜いた少女は、最初の一振りから繋げて、2体目の個体を見事に斬る。
前進しながら魔物を断ち切る姿は、まるで放たれた矢を斬り裂くように鮮やかだった。
最後の3体目。
その魔物が牙で噛みつこうと開いた口ごと裂かれる瞬間、少女の金色の眼光が目に映った。
その目には一切の恐怖もない。
目の前の敵を斬り、圧倒する力強い瞳には、聖女のような清らかさもある。
剣を引き抜いた瞬間、ツルハは不思議な感覚を感じた。
心の中にあった茨のように巻き付いたものたちが一切消え、小さく輝いていた明るい何かが太陽のように燃え出した。
それと同時に体の全てが軽くなり、向かってくる魔物の動きが手に取るように分かった。
呼吸、息遣い、全てが凪のように整い、乱れを感じない。
3体の魔物の亡骸が後ろへ流れていくと、ツルハは勢いを緩めず剣を構えた。
"あの人達を助けたい。
皆を救いたい――ッ!"
その気持ちが魂を満たした。
巨大な個体がギロリとその目を向けると、形相を歪ませ恐ろしい声を上げる。
怯まない少女に、魔物がいよいよ駆け出すと、男達の顔には焦燥が一気に走った。
ヴァイスドッグは、疾風の悪魔。
その敏捷性を捉え、1人で倒すことなんて無茶だ!
思わず冒険者の1人が叫ぶも、ツルハは臨戦態勢に入っていた。
巨大な姿が目の前から一瞬で消える。
しかし、その動きはツルハの目にはしっかりと映っていた。
跳躍。
――上だッ!
ツルハが天を掻っ斬ると、悪魔は驚いた顔をしていた。
確実に仕留めたはず。
そんな顔で吹き出した赤い飛沫を見ていた。
しかし、その悪魔は怯むことなく着地すると、放たれた矢のようにツルハに飛び出した。
だが、その攻撃も見切られていた。
着地する瞬間に見えた、力の入った足の筋肉。
疾風のような悪魔の動きは、とても緩やかに映った。
すれ違う瞬間、ツルハは「ハァッ!!」と声を上げ、剣を振るった。
その刹那、悪魔は事切れた。
その様子を、夢でも見ているかのような顔でアルフィーは見ていた。
幼い頃から見放され、最軽量の剣でさえまともに扱うことすらできなかった少女が、疾風の悪魔を怯みなく見事な剣技で断ち斬ったその瞬間を、大賢者と謳われた男でさえもすぐに理解することはできなかった。
ドサッと落ちた魔物の頭部が塵のように消えると、胴体も力が抜けたように倒れ雲散する。
ツルハが、剣をブンと振るい血を払うと、残った2匹のヤングドッグたちはおびえた様子でギャンギャンと鳴き威嚇するも、1匹が逃げ出すと、もう1匹もそれを追うようにその場から一目散に走り去って行った。
「すげェ……」
男の一人は開いていた口から思わず心の声を漏らした。
ツルハは魔物が去るのを確認すると、すぐに襲われていた冒険者達に駆け寄った。
「姫!」
ようやく動き出した足で駆け付けたアルフィーを見ると、ツルハは切迫した表情を向けた。
ツルハの下には、血まみれで倒れた男の冒険者の姿があった。
「大丈夫、まだ生きています」
アル、と言った泣きそうな声に応えると、アルフィーは後を追って来た冒険者達に叫んだ。
「すぐに手当てを! 宿屋から毒消しの薬、止血薬、清潔な布を持ってきてくれ!」
「分かった!」
2人の男がすぐに宿屋に向かうのを見ると、アルフィーは回復魔法を詠唱し始める。
「……うう」
男の顔に色が戻ると、ツルハは安堵したように脱力した。
「本当に、本当にありがとうございます!
「何とお礼を申し上げれば良いか……」
襲われていた残りの二人が礼を言うと、ツルハは微笑んだ。
「姫は大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「私は大丈夫――」
フッと、ツルハはそのまま倒れると、そのまま眠りにつくように意識を失った。
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