夜を駆ける悪魔2
夕焼けに染まった空の下の草原は、火の野のようなオレンジに染まっていた。
焼野のように日に照らされた草の影が、野を所々黒くし、その中をツルハ達は馬を引き連れ、曲がりくねった土道を歩いていくと、森のもさもさとした影が彼方に見えて来る。
その森を成す木々の形が鮮明に見えて来る頃には、夜の紺が西にかかり始め、落陽はその色を残したまま、空の果てに沈みかけていた。
サニアの森の近くまで来ると、2頭の馬達は満足げにその尾を振った。
その様子に、セバも安心したような顔を浮かべる。
「いやはや。お二人のお蔭で助かりました。シュヴァルツ達も、気分が良いようです」
「いえいえ」
何事もないように、と不安げな顔をしていたツルハも、馬達のご機嫌な様子に思わず穏やかに気持ちになると、その笑みを返した。
「しかし、町から森までは、本当に何にもないんだな」
ツァイが彼方まで広がる草の原を見ながら言うと、セバは頷いた。
「本当であれば、町をここまで拡大する予定だったみたいなのですが、ケンタウロス達の反発があって以来、開発は中止に。
それからというもの、切り倒された木々を処理した後、そのままにされ、繁殖力のある草たちが覆い尽くした、といった具合です」
セバが説明すると、ツァイは「ほお」と感心したような声を漏らした。
ツルハがふと気に掛けたのは、セバの様子だった。
空の紅が藍に染まるのを気にしているように、その視線は度々空を見つめていた。
夜になれば、件の悪魔も現れるかもしれない。
その不安もあるのだろう。
「そろそろ町へ戻りましょうか。アル達には黙って来てしまったから、心配をかけるといけないし」
「そうだな」
ツルハが言うと、ツァイも頷いた。
風音が変わったのは、その瞬間だった。
その音の変化を瞬時に感じ取ったのだろう。
ツァイは、勢いよく向かって来た、それを避けると、背中の剣に手をかけた。
ツルハも何が起こったのか、それをようやく理解すると、その馬の名前を思わず漏らす。
「シュヴァルツ……!?」
ツァイに突進を仕掛けたのは、夜の黒のような色をした、あの馬だった。
その馬が振り返ると、その瞳の色に、ツルハはゾッとした。
悪魔のような紅い、冷たい目。
まるで、いつぞやのヴァイスドッグのような――殺意の色をした目だ。
黒馬が前身を天にあげ、大きく嘶くと、それに呼応したように、背後からもう一体の嘶きが響いた。
赤毛の馬は、嘶きを終えると、その姿にツルハとツァイは目を丸くした。
後ろ足を、人の足のように直立に立たせ、黒馬と同じ色になった瞳をこちらにしっかりと向けている。
前足は腕のように垂れ、その蹄が五つに割れると、粘土のようにぐにゃりと変形し、それは黒い指のようになった。
万が一のために鞍に備え付けられた剣は、ちょうどその人型の腰の位置にぶら下がり、その腕で赤毛の馬は剣士のように剣を引き抜いた。
振り返ると、黒馬もロッソと同じように、剣を引き抜き、ツルハ達に向けて、その銀の鋭い先端を向けていた。
「おいおい、冗談だろ……!?
何だ、こいつら!」
ツァイが叫ぶと、ツルハも剣を引き抜き構えた。
「セバさん!?」
ツルハは叫んだ瞬間、冷ややかな電撃が走った。
天を見上げていた、セバの表情は、冷たい笑みを浮かべ、その表情通りの笑い声が漏れると、セバはようやく、その顔をツルハ達に向けた。
「ふう。ようやく、この時になりましたね。
しかしまさか、こんなにも上手くいくとは正直思いませんでしたよ」
「……どういうつもりだ?」
ツァイが訊くと、セバは悪魔のような笑みを浮かべながら語った。
「この魔物達が目覚めるのは、夜なんですよ。
標的は貴方達だけなので、如何にして、あの邪魔な賢者を引き離し、この舞台を迎えたものかと、苦心していましたが、無事に事が進みそうです」
「標的……?」
「どうやら完全に嵌められたみたいだぜ、馬の尾。今この馬達を見て納得した。
町の連中を襲っていた馬型の魔物。そいつは、ケンタウロスなんかじゃなく、こいつらの事だったんだろうぜ。
夜に目を覚ますってことは、昼間は恐らく、ごく普通の馬なんだろう。魔物独特の嫌な気配も今になるまで全く感じなかったからな」
「お話が早い。その通りですよ、鬼王殿」
「何で、貴方が魔物を!?」
ツルハが訊くと、セバは答えた。
「どうせ、ここで仕留めるのですから、良いでしょう。
私がこの魔物達を手に入れたのは、競売場へ赴いた時のことでした。
私は、あの貴族の男に、ある一等級の馬を落札するように言われました。
しかし、私には私的な負債がありましてね。これまでも支障がない程度に、落札額を偽って少々渡された資金を着服させてもらったのですよ。
だが、あの日は運が悪かった。
取り立て連中がうるさく、落札前に資金をその返済に充ててしまったのです。
しかし、残った資金でも目当ての馬を手にすることができました。それがいつものことであれば。
あの富豪が現われたのが私の運の尽きでした。
お目当ての一等馬は、新参者の大富豪に落札されてしまったのです。私の持つ資金では勝てないほどの破格の金額でね。
馬を入手できずに帰れば、すでに負債に充ててしまった分の差額で、私の着服がバレてしまいます。
私は途方に暮れていました。
そんな時です。あの少女に出会ったのは」
「あの少女……? ――まさか!」
ツァイが思い出したように叫ぶと、セバは頷いた。
「そうです。貴方がフェムル候のもとで出会った、あの少女ですよ。
あの時の私には、彼女がまるで天の使いのように思えました。
彼女が私に提示したのは、二頭の立派な馬でした。その毛並みと言い、体格と言い、今まで見たことのないような。
彼女は、彼らを半年間、その世話をし、観察することを条件に、私に取引を持ち掛けたのです。
もちろん、彼らの正体についても、性質についても、知った上で私は取引に応じました。
彼女から示された報酬は、あの愚かな貴族の資産を遥かに凌ぐほどの額でしたからね。あの男のことです。目当ての馬よりも素晴らしい馬たちがいたのでそれを落札した、とシュバルツ達を見せた瞬間、目の色が変わりましたよ」
「あなたの勝手な事情の為に、その為に町の人達を……!」
ツルハの声には怒りが滲んでいた。
「言ったでしょう。彼らの餌は特別なものだと。それは、人肉を混ぜたものでしたが、どうにも満足がいかないらしいですからね。
夜のサニアの森であれば、人目につかず、万が一噂が広まったとしても、町と軋轢のあるケンタウロス達が、その濡れ衣を被ってくれると思いましたから。
本当であれば、そうして過ごすだけで、私と彼女の契約は済む話でした。
ですが、数日前のことです。
彼女は再び私のもとに現われ、私にこう提案をしてきました。
もうじき、桃色の髪の少女と鬼王が来る。2人と、この魔物達を戦わせ、仕留めれば、報酬を倍にする、と」
「ってことは、馬達は、例の合成魔物ってことか」
「闘技場で戦った、あの紅蓮の魔物――あれと同じってこと……!?」
ツルハが言うと、セバは腕を組んだ。
「さて、お話はこれくらいにしましょう。
ご安心ください。喰わせたりはしません。
お二人は、ケンタウロス達に襲われた、ということでお伝えしておきますよ」
セバが言うと、ツルハとツァイは背中を合わせ、それぞれの魔物達に剣の先を向けた。




