ツルハと鬼王7
「……勝負あったな」
鬼王は刃をツルハの首に向けていた。
だが、なぜだろうか。
鬼王の高揚を帯びた緊張は、それが解ける仕草さえ見せない。
本能的な緊張に、鬼王は目を細めた。
何が自身をそうさせているのか。
それに気が付くと、鬼王は、目を開いた。
目の前に尻を地につけている少女の眼。
剣が離れたと同時に、少女の覇気は、火の消えたように、弱虫に戻っていた。
だが、その眼だけは、金色が消えても、その眼差しを留めていた。
その眼に、僅かの間だったが、鬼王は感じた。
少女が、首に向けられた、布に覆われた刃をガッと掴むと、鬼王は微かに揺れた。
恐れているのか――?
オレは、この女を――
本能に問いかけるも、鬼王は戸惑うばかりだった。
もはや戦う力の無い相手に、オレは恐がっている。怯えている。
その事実に気付くも、それが理解できない自身に、鬼王は歯を食いしばった。
「まだ、負けてない……!」
「……剣は飛んだ。もし防御布がなければ、オレはお前が今ここを動いた時、その首を斬るつもりだ。
分かるか?」
「そうだったとしても、私は、この刃を掴んでいた。そして、あなたに最後まで抗うつもりよ。
例え、本当に殺されたとしても」
その眼は本気だった。
死に怯えていた、あいつじゃない。
一体何が、この短時間で、こいつをここまで突き動かしている?
「……なぜ、そこまでする?」
思わず鬼王は訊いていた。
「思い出したか……。
自分がなんで、ここに来たのかを」
ツルハの視線を鬼王は辿った。
そこにいたのは、あの威勢の良い、子どもだった。
「死ぬのは、確かに恐い。考えれば考えるほど、自分がおかしくなるくらいに。
……けど、思い出したの。私は、自分の意志でここに来たことを。自分が戦う理由を。
私がもしここで、防御布を着けていない、あなたの剣に殺されたとしても、私はそれで終わり。
だけど、あの子たちは違う。
こんな所まで、私のために駆けつけて来てくれた子達だもの。私があなたに敗れた時、あの子たちは二重の苦しみを負ってしまうことになる。
そしてそれは、これから生きていく先、ずっと背負ってしまうことになるわ。
そんなの、私は絶対に嫌。
だから、あの子たちの顔を見た時、思い出したの。
私は、絶対に勝たなきゃいけないんだ。私は、この人を越えなきゃいけないんだ、って。
そう思った時、恐いと思っていたものが、どうでもよくなっちゃった。あの子たちや、ダムさんやアルの為にも、勝つんだって」
笑っていた。
この局面に来て、少女の顔に浮かんでいたのは、悔しいとか、恐いとか、そういう感情ではなかった。
虚を突かれたように、鬼王は硬直していた。
「鬼王。私は、あの子たちの思い出を護るために、ここであなたと戦いに来た。
そして、あなたに、戦う理由を訊いた時、あなたは"強くなるため"だと答えた。
けど、あなたと剣を交わす中で、あなたの剣からは、どこか悲しい声が聞こえて来た。
鬼王、教えて。あなたは、何のために、そこまで強くなりたいと願うの?」
その言葉は、不思議にも、鋭く胸を突き抜けた。
まるで、矢で打たれたような強烈な一撃だった。
何のため、だと……?
その声が木霊した。
鬼王は、答えることができなかった。
少女にも、己の声にも。
これまで、百戦錬磨を駆けて来た。そして、いつも自分に向き合って来たのは、強敵と云われる者達ばかりだった。
しかしそれは、己が望んで来たことだった。
国一の剣の名手と聞けば、剣を抜き、勝負をけしかけた。勇者を名乗る一行が返り討ちにあったと聞けば、その竜に剣を向けた。
自ら虎穴に足を踏み入れては、その剣を磨いてきた。
それは全て、己が強くなるため――今の己を越えていくため。
だが、なぜ、オレはそこまで強くなりたいと願っている?
――お兄ちゃん。
闇の中から聞こえてきたのは、少女の声だった。
どこか懐かしい声に、ツァイは耳を澄ませると、今度はその顔が鮮明になった。
黒髪の、笑顔を湛えた、明るい少女の姿。
それが、心の水面に映ると、鬼王の表情は、氷が砕けたようになる。
「……妹がいる」
ツァイの声が聞こえると、ツルハもハッとした。
そこにあったのは、鬼の王と呼ばれた、男の顔ではなかった。
「幼い時に母親を亡くし、それを追うように亡くなった父親の後を継いで、オレはある国の騎士見習いに入った。
だが、こんな性格のオレだ。礼儀作法を重んじる騎士道にはついていけなかった、オレは、すぐに破門された。破門され、身寄りのなくなったオレと妹は国を出て、当てもなく旅に出た。
こんなオレでも、あいつはオレを責めることはなかった。苦しい生活の日々で、オレは何とか行く着く国々で職を探した。だが、どこの国でも首切り仕事ばかりでな。そういった傭兵紛いの仕事で、生計を立てていた。
貧しい生活だったが、幸せだった。お互い助け合い、支え合って生きてたさ。
あの時が来るまでは。
突如俺の前に現れた妖魔に、妹は攫われた。
妹を助けたいと必死で、俺は妖魔と殺り合った。全力で立ち向かったが、俺はあっさり負けた。
妖魔が妹と消えた時、俺は己の無力さに打ちひしがれ、それを恨んだ。
オレが変わったのは、それからだった。
あの妖魔を倒すために、妹を助けるために、オレは、ただひたすらに強さを求めた。
強さを得るには、自分より強い奴を倒していく必要がある。オレは、名立たる剣の名手と聞けば、問答言わさず勝負を仕掛けた。
そして、いつしかオレは忘れていた。
何の為に戦っているのかを。何の為に強くなるのかを。
お前に訊かれる、この瞬間まで――」
ツァイが剣をツルハから離すと、ツァイは、その場に腰を下ろし、天を仰いだ。
「どうやら、お前の方が一歩上手だったらしい。
相手の戦意を喪失させれば、勝敗は決まるルールだったな。お前は、最後までそれを失うことはなかった。
お前に勝てない、と思っちまった、オレの負けだ」
ツァイが穏やかな声で言うと、ツルハもようやく緊張が解け、その場にへたりと脱力した。
「お、おおおおおおおおおおッ!!!!」
歓声が一気に巻き起こると、オズとマノも手を取って喜んだ。
アルフィーとダムも、胸を撫で下ろす。
ツァイは、それに気づくと、顔を向けた。
少女が差し伸べる、白い手が目の前に現れると、ツァイは微笑んで、それをしっかりと握った。
闘技場中の誰もが、そこ光景に心を打たれていた。
貴賓席にいる者を除いては――。
「くううううううッ!!!」
赤い布を、それが千切れんばかりに噛みしめ、フェムルは、どうしようもない怒りに唸った。
ダンッ! と床を鳴らす音が聞こえると、ツァイとツルハは貴賓席に振り向く。
「クソッ!!! どいつもこいつも、このボクに逆らいやがって!!
この町の主役はボクだ! ボクこそが正義だ!!
なのに、なぜどいつもこいつも、ボクのシナリオ通りにならない!
ツァイ、ツルハ!! 貴様らに特別試合をさせてやる!!
グレンダッ!! 出番だ!!」
貴賓席から身を乗り出した、フェムルの怒声が鳴り響くと、2人は闘技場の入口にバッと振り向いた。
暗闇の中から、あの血の色の鎧が現われると、ツルハは剣を取り、2人は立ち上がった。
「これより、特別試合を行うッ!!
アルンベルン町長にして、ターコイス家の名の下に、その代表として、グレンダによる、2者掃討試合だ!!
グレンダ、遠慮はいらん! 貴様の実力を見せつけてやれ!!」
フェムルが叫ぶと、紅蓮の戦士は、背負った巨大な太刀を引き抜いた。
「本気らしいな。
お前も鞘を抜け」
ツルハがこちらを向くと、ツァイは、防御布を外しながら、続けた。
「あいつは、慈悲が通じるような相手じゃねェ。死にたくなかったら、剣を抜け」
ツァイが言うと、ツルハは頷き、固定していた紐を解くと、白銀の刃を引き抜いた。
ツァイも、巨大な黒い剣を構えると、闘技場は困惑したように騒めいた。




