ツルハと鬼王1
「クソッ! クソクソクソッ、クソお!!」
一日目の夜、アルンベルン一の邸宅では、地団太を踏む音が鳴り響いた。
「どうなっているのだ!!
ゾルだけではなく、マギルもあの小娘に敗北するとは!!」
ツルハの対戦相手として仕向けた、今大会の優勝候補であった強戦士マギル。その無様な敗北を目にしてからというもの、フェムルは雷雲のように怒りをまき散らしていた。
扉が開き、衛兵たちが部屋に入って来ると、フェムルはギロッと目を向けた。
「おい!
ゾル達はまだ見つからんのか!!」
「それが、町中手当たり次第捜索をしたのですが……」
「影も形も見えずで……」
男達が決まり悪そうな顔で言うと、フェムルの額に血管が深く浮き出た。
武闘会第一日目。ツルハに挑んだフェムルの刺客たちは悉く返り討ちにあった。
あの女を打ち負かした顔を早く拝みたいと、大金を渡し、わざわざ買収した実力者たちだ。
しかし、結果はどうか。
泣き顔を見るどころか、あの小娘は威勢づき、今大会の優勝候補とまで騒がれている。
そして、フェムルの苛立ちに拍車をかけたのは、その敗北者たちの逃亡だった。
渡した金塊を、取り返しに来ると読んだのだろう。フェムルが使いの者達に、彼らから渡した金を取り返すよう、手を回した時には、彼らの行方は塵一つの情報もつかめなかった。
「最初っから、あんな奴らを充てにするよりも、俺を小娘と戦わせればすんだ話だ」
長椅子に腕をかけ、くつろいでいた黒髪の男、鬼王が呆れたように言うと、フェムルの怒りは頂点に達した。
「うるさいッ!! どいつもこいつもボクをバカにしやがって!!」
鬼王は、虫を見るような目で、子どものように騒ぐ主を眺めながら、グラスの赤い酒を飲み干すと、
「ま、頭冷やして明日の試合を大人しく待ってるんだな。
そうすれば、お前がお望みの御姿も拝めるだろうぜ」
そう言うと、鬼王は、フェムルの前にたじろいでいた護衛の男達を退け、部屋を出て行った。
「あのキザ野郎め……。お前達! 何をぼさぼさしている!
とっとと、あの負け犬共から金を取り返して来い!」
「は……、はっ!」
衛兵たちがそそくさと部屋を出て行こうと扉を開けると、男達は思わず短い声をあげた。
そこにいたのは、客人の、金髪の黒尽くめの少女だった。
男達が軽く礼をして去って行くと、入れ代わるように現われた少女に、フェムルは細い目を向けた。
「なんだ、お前か。
今ボクは機嫌が悪い。とっとと、この部屋を出――」
そう言い掛けた時だった。
フェムルは一瞬硬直すると、何かを思いついたように、口角を上げた。
「おい、お前!
確かお前たちの目的は、あの戦士の実戦データの収集であったな!」
フェムルが指をさし、ズバリと言うと、少女は頷いた。
そう。フェムルがこの少女より受けた依頼は、少女が連れて来た、紅蓮鎧の戦士を戦わせること――その実戦だった。
その形式や方法については特に指示はなかったが、少女は、様々なレベルの相手との、数多くの実戦を要求してきた。
その目的や彼女の素性については、フェムルは少なからず興味があったものの、闇ルートで知り合った者だ。深入りは無用であり、下手をすれば命も危ない。それに、大金さえ手に入れば、そんなものは関係なかった。
フェムルは依頼を果たすために、武闘会への参加を提案した。
武闘会であれば、誰にも怪しまれることなく、その戦士に実戦経験を積ませることができ、しかも己の強さに自信のある、多様な冒険者達と戦えるという、まさに少女の依頼にかなった環境だった。
大会賞金を過去最高額とすることで、大会には、多くの猛者達が各地域から名乗りを上げた。
その抽選こそ、表向きは無作為としていたが、裏ではフェムルの意図的な工作が行われていたことは言うまでもない。
猛者達と戦わせ、自分はのんびり、いつものように、その娯楽を楽しむだけで、莫大な金が手に入る。
これほど美味しい話はない!
そして、その依頼は順調に進捗していた。
ツルハ達が猛者を倒す一方、その戦士も順調に勝ち星を上げていた。
"相手を殺さない"という制限の中で――
「おい、お前。一つ提案がある」
フェムルが言うと、少女は首を傾げた。
「もし……、もしだ。
この武闘会の制約、"他者を殺してはならない"という条件下での実戦だったが、それをもし、制約の無い状況へと変更した場合、報酬はどうなる?」
「それは……どういうこと?」
少女が膜のかかったような声で訊くと、フェムルは言った。
「明日はいよいよ大会も後半戦、猛者の中でも最高峰の実力者たちとの戦いを彼は経験することになる。
本日の大会では、不運下での死亡は認められるものの、故意に対戦相手を殺すことはできなかった。
そしてお前達も、対戦相手を死亡させずに勝利するという、その複雑な条件下での戦闘を受け入れた。
結果は上々。単純に相手を殺すよりも難しい戦闘の中で、彼は見事に明日への切符を手にしたわけだ。だが、それでは物足りないという気持ちも、あるのではないか?」
フェムルは、少女に提案した。
「明日の試合、相手を殺すことを許可することもできる。
莫大な賞金をかけているのだ。それくらいの厳しさがあっても意見する者は少数だ。それに、命惜しさに逃げたとあらば、ここまで残った猛者達は大恥をかくことになる。逃げ出す者達はいないだろう。
そうすれば、あの戦士は制限に煩うこともなく、存分にその実力を発揮することもできるというわけだ!
条件下での複雑な戦闘に加え、実力を発揮できる実戦の経験。お前達にとっても悪い話ではないはずだ」
少女は暫く沈黙した。
そして、その口が再び開くと同時に、頷いた。
「分かった……。報酬は倍額にする」
「本当か!」
フェムルが満面嬉々とした声で言うと、少女は付け加えた。
「ただし……、あの約束は守ってほしい」
少女が言うと、フェムルは一瞬忘れかけていた約束を思い出すと、頷いた。
「分かっている。奴の正体が露見しなければ良いのだろう」
フェムルが言うと、少女は「そう」と頷いた。
「それだけが気がかり……。
場所を用意したのはあなた……。だから、その時の責任を取るのも……あなた」
少女はそう言うと踵を返し、不機嫌に舌打ちをするフェムルを後に、扉を閉めた。




