後編
後編です。
「うぅ、寒い寒い寒い! 早く中に戻りてぇ!」
防寒具を目いっぱい着込んだ大柄な男が、肩を縮ませ足を小刻みに踏みならしながら、愚痴をこぼす。
厚手の帽子には、恐らく手縫いであろう金糸の刺繍で”グース”と入れられている。
「それだけ着込んでおいてまだ寒いのかよ。お前のデカい図体は飾りか?」
隣に立つ小柄で丸い男が、呆れたように言葉を返す。
胸につけた名札には霜が貼りつき判読しづらくなっているが、確かに”ドリー”と書かれている。
「いやいや、そりゃ違うぜ。体がデカいってことは、このクソ寒ぃ空気を他人よりもガンガン浴びてるってことだ」
「そりゃ屁理屈だぜ? だいたいお前よぉ。ついこの間、壊れてた背中の温風機を修理して貰ったばかりじゃねぇか」
「そ、それが……また壊れちまったんだよ」
大きな背中をしょんぼり丸め、盛大にため息をついた。
まるで餌を獲り損なったペンギンみたいだ、と思いながらドリーは彼の丸い肩を叩く。
「あーそりゃ……災難だったな。しかし、なんでまた?」
「……ミズリーと会っていたのが、バレた」
「なんだ、ただの自業自得じゃねぇか」
再度、呆れたようにため息をつくドリー。
グースは妻子持ちだが、どうしようもなく浮気性だ。こうした浮気発覚による制裁や折檻は、今まで何度となく受けていた。
相棒として長い付き合いのドリーも、少なくとも10回はこの手の話を聞いている。
今回は顔に青あざがないだけ、まだマシと言えるかもしれない。
「だいたい、仕事の必需品なんだからさぁ。見つかんねぇようにするか、ぶっ壊されねぇようにしておけよ。お前のその病気が治らないんならな」
「お前はリィナを甘く見てる。あいつ、どこに隠してても何故かすぐ見つけてくるんだ……」
「じゃあやっぱりお前が間抜けってことだ。ちっとは反省しろ」
一面氷に覆われた地で、男達はこのように他愛もない話をもう20分も立ったまま続けている。
背格好も防寒具も全くチグハグな二人だが、背中に掲げられているのは同じ社名と企業ロゴ。つまり、仕事上の同僚だ。
そして、ここは一見して何もないような場所に見えるが、彼らはビジネスパートナーの到着をじっと待っているのだった。
すぐ近くに建物もあるのだが、何せ相手は気まぐれ。こちらに来た時に応対する者がいなければ勝手に帰ってしまう性分な為、どんなに寒くてもこうして外で待っている他ない。
さらに待つこと15分。
二人の目の前、氷原に空けられた直径3mほどの穴から覗く海面が、俄かに荒れだした。
「……おっと、やっとこさお出ましだな」
「やれやれ。サクっと受け取って帰ろう」
二人が言うや否や。ざわついていた海面から次々と黒い影が飛び出してきた。
コウテイペンギンだ。
飛び出してきた総数は、優に100羽を超えていた。どの個体も体長は概ね160cmほどで、皆揃って腹がパンパンに膨らんでいる。
その中でも一際体躯が大柄な個体に、ドリーが手を挙げて近づいていく。
小柄な彼が相対すると、その背丈はほとんど変わらない。正直最初は恐怖もあったドリーだが、仕事としての付き合いを続けてきたことで自然と慣れてきたところだ。
ペンギンの顔などほとんど見分けがつかないが、何となくこの個体が隊長格だというのはわかる。
「毎度ご苦労さん。今日も大漁なようだな。」
「グワッ」
声を掛けられたペンギンが、肯定を占めすかのように頷いてドリーの掌と嘴を軽く合わせる。
「グワグワッ グワ―グワワッ グーグワグワ」
「……相変わらず何言ってるか解んねぇが、よろしく頼むぜ」
すると、いつの間にか整列していたペンギン達が一斉に身を震わせ始める。
「グワーッ!」
――隊長ペンギンが鋭く大きな声を上げると同時。
100羽超のペンギン達の口から、大量の”魚”が飛び出してきた。
瞬く間に、氷の白銀色が鱗の灰銀色で上塗りされていく。
二人にとってはもう当たり前の光景なため、驚きはしない。魚の奔流を横目に、コンテナやスコップの最終確認をしている。
そうして待つこと5分。
「……お! 終わったか」
「よし、始めよう」
魚の放出が終わったことを確認し、二人が重い腰を上げ仕事を始める。
氷原に横たわった魚の山を、目視で確認しながらスコップでコンテナに放り込んでいく。
どの魚も丸々と太っていて、質は良さそうだ。
時々、うっかり消化されてしまった残骸が混じっていることがあるが、そういったものは目の前のペンギンに投げてやる。
しかし、投げられた当のペンギンはそれを再び胃に収めるでもなく、何となく嫌そうーーに見える表情でクチバシで拾い上げ、後方の海み向けて器用にヒョイと放り投げるのだった。
ペンギン様も存外グルメなんだなぁ、とグースは苦笑し、然りとて特別気に留めるでもなく作業を続けていく。
そんな単純作業を30分ほど続け、二人はようやく無事な魚のすべてを積み込み終えた。
「よっしゃ、検品終わりだ」
グースは伸びをしながら、あたりを見渡す。
単純作業で肉体的にもキツい仕事だが、この白銀の景色が戻ってきた瞬間は一入の達成感があり、嫌いではなかった。
「今日もありがとうよ。また頼むぜ」
「グーアッ」
用事は済んだ、と言わんばかりにペンギンが一声上げて、飛び出してきた穴へと身を躍らせる。
すぐさま100羽のペンギン達も続いていき、ほどなくして氷原に再びの静寂が訪れた。
「ふーっ。さぁて、さっさと戻るぞ」
「ほいよ」
二人が手を叩くと、反応したかのようにコンテナが氷上を滑り出していく。
屋内にいる他の職員が、遠隔操作で倉庫へと運搬していくのだ。
「しかし、ペンギン様様だな。毎日こうして、我々人類に貴重なタンパク源をお恵み下さる」
「アーメン・ハレルヤ・ホーリィペンギン。感謝しながら、午後の便まで昼寝でもするさ」
「足はペンギン様に向けるなよ?」
「どっち向けたってペンギンに当たるさ。無茶いうな」
二人はそんな軽口を叩きながら、小股で氷原を歩き近くの事務所へと帰っていく。
この光景は、この場所で一日数回、そしてほぼ毎日繰り返されている。
それが、彼らの生業なのだ。
氷河期が訪れた地球では、人間の生産活動は大きく制限された。
とりわけ、漁業は壊滅に等しかった。
漁に出る先の河川や海が分厚い氷で覆われているのだ、当たり前である。
その他屋外での畜産業もままならず、人類は世界的に動物性たんぱく質の獲得に困窮していた。
もちろん科学的な合成食料で、ただ生き延びることはできる。
しかし人間とは欲深い生き物。やはり本物の肉や魚が食べたくなるものだ。
そんな人類を救ったのが、他でもないペンギンだった。
大型化を果たし知能的にも進化したペンギンは、ある時から人間に魚を分け与え始めた。
最初こそ、突然大漁の魚を吐き出し去っていくペンギンを理解できなかった人々だが、行動を分析している内にそれが”施し”なのだと気が付いた。
さらに、その行動は地球上全てのペンギン達に広まっていった。
しかも彼らは学習し、より人間が好みそうな魚を厳選して渡すようにもなっていった。
事実、ペンギンが提供してくれる魚は、全般的にしっかり脂が乗り丸々としていて味も品質も良い。
未だに「ペンギンが吐き出した魚など口にできない」と拒否する人々もいるが、背に腹は代えられないと思う方が圧倒的大多数である。
言葉は全く通じないが、知性あるペンギンの習性を何とか理解し、『ペンギンから定期的に魚を受け取り、世界に流通させる会社』も次々に出来上がっていった。
ちなみに”ペンギンに対価として何を差し出すか”は世界的に議論の的となったが、様々に試みたものの彼らは一切を受け取ってくれなかった。
そのあまりにも利他的で献身的な振る舞いに、人々は「絶滅から救ってくれた恩返しをしているのだろう」「神が遣わした神鳥だったのだ」などと無理やり解釈している。
「……かくいう私は、ケイ・ナカタ博士への感謝がDNAに深く刻まれている、という説を支持するがね」
教師がそう結び、講義資料のモニターを消す。
「このように、博士が救ったペンギンのおかげで我々は屋内でぬくぬくと暮らし、苦労せず魚を食べて生きていけるわけだ。諸君、これからも感謝して魚を食べるように」
モニター越しの生徒たちの「はーい」という間延びした気のない返事を聞きながら、教師は満足そうに頷く。
「よろしい。では、本日の”人鳥学入門”はこれまで! 来週も遅刻することなく接続するように」
再びの疎らな返事を聞き届け、教師は通信切断のボタンを押す。
――それにしても、良い世の中になったものだ。
氷河期という過酷な環境であっても、無理に外に出なくてもこうして生活できるし、ありがたいことに教師という仕事もできている。
そう、教師が心の中で独りごちたその時。
<<荷物が届きました>>
合成音のチャイムと機械的な音声が響き、同時に玄関へ物が置かれる音が聞こえてきた。
窓の外に見えるのは、歩き去っていく1羽のペンギン。
きっと、あの宅配ペンギンが今日の食料の配達をしに来てくれたのだろう。
授業をしてちょうど小腹が減ったところだ。さっそく頂くとしよう――
教師はホクホク顔でゆっくりと立ち上がり、でっぷりと太った重たい体を揺らし短い脚をすりながら、いつもの美味しい魚が待っているであろう玄関へと向かった。
「ガグァガッ ガッグワワワ」
「クゥクワー」
「グアーガーッ クアックアッ」
氷に覆われた大地に、数多のペンギン達の声が木霊する。
ある者は激しく感情をぶつける様に。
また、ある者は柔らかく愛を囁くように。
そして、ある者は静かに教えを説くように……
――ここは、ペンギン達が暮らす街。
襲い来る寒気に耐え切れず人間達が遺棄した都市に、そのままペンギンの集団が入植したような形だ。
居抜きの文明機構だが、知能が発達した彼らは人間たちが想像しているよりも遥かに順応して有効活用している。
氷でスリップし大破した車の残骸に腰掛け、その細長い嘴を突き合わせ鳴き声の睦言を交わしているとは、元の所有者も想像だにしていないことだろう。
そんな都市遺構の中でも、かつては人間達が多く集まり熱を纏った声で満たされていた、ドーム状の屋根に覆われ大空間を備えた建築物。ここも例外ではなく、今まさに多くのペンギン達が集まり声を交わしていた。
ちなみに人類は長い間見誤っているが、彼らは鳴き声の抑揚や音程や長短、時には彼らのみに聞こえる周波数帯の音まで使い分け、言葉を用いるのと同等の詳細なコミニュケーションを行なっている。
例えば、今このドーム内で行われているペンギン達の会話を無理やり人語に訳すと、こんな感じだ。
「今季の漁獲量も、予定通りだな」
「はい、全く問題ありません。ニンゲン用の養殖魚も順調に生育しています」
「出荷量もかなりのペースも増加していますが、想定の範囲内ですね」
「それは重畳! 」
「せっかく大規模増産計画をスタートさせたのだ、今後とも奴らには消費してもらわねばな」
ガァッガァッガァッ と揃えて上がる声はまさしく笑声。
つぶらな目を僅かに細め、体を揺らし手を打ち鳴らすその様を人間が見たなら、”人間臭い”と評するだろうか。
「それにしても、我々が差し出すあの魚を何の疑いも無く受け取るとは…… ニンゲンとは存外愚かな生物ですな」
「まったくまったく!」
「アレは私たちが食べたら、たちまちに太って動けなくなるような代物。それを養殖で更に太りやすくなるように仕上げた、最早だだの危険物ですからね」
ガァッガァッガァッ
「おかげさまで、ニンゲン共は揃いも揃って皆でっぷり太って。外にも全く出てこなくてなりましたね」
「なんでも聞くところによると、歩くのすら下手になっているような奴ばかりだとか?」
「そうそう、私の知っているニンゲンも、氷上でもないのにノロノロとすり足で歩いていましたよ!」
ガァッガァッガァッ
「手指の関節も分からないような体型で、動きも鈍ま!」
「この様に大きな建築を作れる生き物だったとは、到底思えませんな」
「彼らとしても、何を差し出さずとも自動的に食糧が供給されるわけで。実に幸せなことでしょうよ」
「ま、このままぜひぜひ、巣に籠もったままでいて欲しいものです」
ガァッガァッガァッ
ガァッガァッガァッ
ガァッガァッガァッ……
かくして。
遍く大地はペンギン達の自由の楽園となり。
悠久たる海はペンギン達の活力湧き立つ源泉となり。
そして内に籠る人間達もまた――
二本の足で闊達に歩かずとも。
五本の指を至妙に働かさずとも。
不動、そして不働のまま食糧を享受するという幸福を得ているのだった。
――動物園のペンギンのようだね
世界のどこかで、誰かが呟く。
そしてその呟きは、誰に聞かれることもなく、氷の世界へと消えていく。
時は、西暦2180年。
地球はまさに、ペンギン達の楽園。
以上にて完結です。
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