097話「癒やしの聖女②_02」
ミゼッタは旅に慣れている。
いや、正確に述べるなら、搬送されるのに慣れているというべきか。
旅の計画を立てるわけでもなく、荷物をまとめることもしないし、様々な準備も用意も、自分でするわけじゃない。
出発するぞと言われれば首を縦に振り、イルリウス侯爵家が用意した立派な馬車に黙って座っているだけ。もちろん道中では野営をすることもあるし、宿場街みたいな場所で一泊することもあるが、大した苦ではない。
なので今回もミゼッタは自分以外の者がせっせと旅支度を終えるのを待ち、出発に備えてすることもないので結局はカルナとニオミ、二人の使用人による勉強会が開催されていた。
そして再びというか、無遠慮に扉が開かれて集中力に欠けた勉強会は中断させられる。
今度はヴィクター・イルリウスではなく、短く刈り込んだ金髪の少年剣士と、元虜囚だった男だ。
ジャック・フリゲートと、ノヴァ。
「よう、久しぶりだなミゼッタの姉ちゃん」
からからと陽気に笑いながら手を挙げるジャック。
「今回は我々が護衛として就くことになった。よろしく頼む」
少年剣士とは対象的な無愛想で、軽く頭を下げるノヴァ。
どちらもエックハルトが直々に見出して雇用した、彼の部下だ。
いや、ノヴァの方は半ば成り行きだったのだっけ……?
細かいところはミゼッタには判らないけれども。
「おいおいおい、淑女の部屋の扉をいきなり開けるやつがあるか。すみませんね、ミゼッタ嬢。しかし挨拶はしておくべきだと思いましたので」
どの口が言うか、という科白を吐きながら、ヴィクターが二人の後ろからひょいと顔を出した。
「いつもの護衛騎士に加えて、今回は彼らも同行させます」
「……つまり、これから向かうティアント領での仕事は、それほど危険が伴うということなのですか?」
と、ミゼッタはどちらかといえばジャック・フリゲートへ視線を向けながら、疑問符を浮かべた。
思い出すのは、エスカード領での対魔族戦。
魔族と呼ばれる生き物はとにかく強力で、エスカード領での戦闘においては一人を殺すのに十人から下手をすれば三十人近くの犠牲が必要になっていた。
もちろん、魔族といっても別に不死身でも無敵でもない。
おそろしく強くて速いだけだ。
彼らを倒すには貴族の魔法を当てるか、同じように強力な戦士を当てるかの二択になる。前者であれば大量の囮を用意して、その中に紛れ込ませた魔術師が魔族の不意をつく形で魔法を放つ。だから犠牲が多くなる。
後者は――例えばそう、ジャック・フリゲート。
人族の中にも、稀に魔族のように強力な者が現れる。才能なのかなんなのか、どういう理屈があるのかは判らないが、とにかくいるのだ。
ミゼッタだって、ある意味ではそういう『稀に現れる者』だ。
血筋を重ねた貴族の治癒魔法使いが束になっても、ただの村娘であるミゼッタの治癒魔法に遠く及ばなかった。
ジャック・フリゲートもまた特別だった。
エスカードの魔族戦において、おそらく最も強力な魔族が出現したと戦場が騒がしくなり、とたんに怪我人と死人の数が激増した。救護施設で治癒魔法を使いまくっていたミゼッタの元に、輸送された木材かなにかみたいに大量の怪我人が運ばれてきたのである。
話を聞けば、魔族の隊長格が現れたとのこと。
怪我人たちは、有り体に言って酷かった。全員がもれなく体の一部を欠損しており、救護施設に運ばれてきた時点で既に死んでいる者までいた。その魔族の攻撃は殴る蹴るの単純なものばかりだったそうだが、ちょっとかすっただけで腕が千切れたり、肩が抉られたり、とても手に負えるものではなかったという。
あまつさえ、人族側の主力である貴族の魔法を、その魔族はぶん殴って掻き消した。冗談のようだが、大量の怪我人が真実であることを肯定していた。
そんな『強力な魔族』と一騎打ちしたのが、まだ少年の剣士ジャック・フリゲートだった。
ミゼッタは現場を見ていないので後で聞いた話になるが、ジャックは真正面から魔族と打ち合い、克ち合い、斬り倒したそうだ。
が、当然というべきか、無傷とはいかず。
互いに致命傷となるであろう一撃を交差させて生き残ったのはジャックだったが、魔族の一撃はジャックの左腕をぶち切った。鋭利な斬撃で切断されたのではなく、あまりにも強烈な打撃に触れてしまったせいでぶち切られたのだ。小枝を棒切れで引っ叩いたみたいに。
救護施設に運び込まれたジャックは、この世の後悔という後悔を集めて折り畳んだような顔をしていたが、千切られた左腕をちゃんと持ってきてくれたのでミゼッタの治癒魔法で治すことができた。
そのときのジャックの喜色満面といった様子は、かなり印象的だった。
以降、なんだか妙に懐かれたような気もする。
「別にこないだも油断してたわけじゃねーけどさ、今度はガチのマジで最初からやるよ。特にミゼッタ姉ちゃんの護衛だってんなら、手なんか抜かねぇさ」
上機嫌に笑うジャックに、ミゼッタは「はぁ」と頷く。
癒した対象に感謝されるのには慣れているし、最近では畏れられることにすら慣れてしまったが……正直に言えば、ミゼッタにはどうでもいいことだった。
だって、レオポルドの指示で治癒した貴人たちも、目の前のジャックも、もしかするとノヴァだって、ミゼッタが暮らしていた村のみんな――村人のような人たち、というべきか――そんなような人とはまるで関係ないのだ。
貴族たちからすれば、視界の端にも入っていないだろう。
ジャックやノヴァにとっては通り過ぎるだけの人たちだろう。
でも、そういう人たちが喜んでくれるのが、ミゼッタには嬉しかった。
もう、ずっと遠い昔のように感じるけれど。
◇◇◇
最初のうちは名乗りもせず、ミゼッタからは距離を置くようにしていたヴィクター・イルリウスだったけれど、さすがに最近はその距離も縮まってきた。
それを嬉しいかと問われれば、ミゼッタはちょっと困る。
ヴィクター・イルリウスという人物のことを、ミゼッタはいまいち理解していないからだ。
あのレオポルド侯爵の甥であり、彼がレオポルドの指示で動いているのは知っている。旅路の計画から案内、様々な手配も彼がしており、現地の貴族との交渉だってヴィクターが担当している。
なのでミゼッタはただ指示された対象に治癒魔法をかけるだけで済んでいた。もちろん、ちょっとは貴族的な挨拶だったり遣り取りだったりはあるにしても。
善人、というわけでは、たぶんない。
では悪人かといえば……広義では悪人だろう。貴族なんて悪人に決まっている……なんて、それはミゼッタの偏見に過ぎないが、ヴィクターがレオポルドのようにあれこれと画策する類の人物なのは、なんとなく判る。
でも、なんのための画策なのかは、ミゼッタには判らない。
彼らはなにがしたいのだろう?
自分の利益だけを追求しているのでないことは、おぼろげに理解できる。『双子のギレット』も、クラリス・グローリアも、もちろんミゼッタだって、レオポルドは無視してもよかったはずなのだ。
今回のことだって、たぶん。
「そんで、これから向かうティアント領ってのはどんな場所で、耳長がなんかされたとか、そのあたりの事情はどうなってんだ?」
馬車の中、ミゼッタの隣に当然のように腰を下ろしたジャックが言う。
対面に座っているヴィクターは、伯父のレオポルドによく似たギョロ目を馬車の外へ向けながら、やや思案するように沈黙を置いてから答える。
「魔族と人族の領域を隔ててる魔境の森があるよな? エスカード領が、この魔境から魔族の侵入を防いでいる。だからエスカード辺境領で、エスカードは辺境伯だ。この魔境の森が、ロイスの領地の北から西側に伸びてる」
こうやってな、とヴィクターは指先で横線を一本、縦線を一本引いて見せる。
「エスカード領から南西、ちょうど魔境の森が細長くなってる位置だな。森からは東側になる。この位置が、スペイド領だな。スペイド領からすぐ西にある魔境の森を突っ切ると、獣人の領域に出る。つまりスペイド領は獣人たちを警戒するための辺境領ってことになる」
まあ、魔族と違って獣人と戦争なんかしてないから、スペイドは男爵だが――とヴィクターは肩を竦める。あまりスペイド領に対しては価値を感じていないのか、今回の話とは関係ないので端折ったのか。
「で、エスカードからは西、スペイドからは北に位置するのが、今回向かうことになるティアント領だ。領主はスラック・ティアント男爵。まだ二十五だかそのくらいで、領主になったのは二年前か」
「魔族や獣人の脅威は?」
問いを口にしたのはノヴァ。
その端的さが好ましかったのか、ヴィクターは小さく笑んで答える。
「ティアント領から見ると、魔境の森は北、西、北西にある。で、この森が深すぎて『あっちからこっち』に来るのが一苦労……いや、十苦労くらいか? とにかく、ロイスの領地に行きたいなら魔族も獣人も、ティアント領は目指さない」
まあ、確かに行きやすい場所から行った方がいいだろう。
人族だって険しい山岳だの深い森だのは迂回する。
「おいおいおい、今回は獣人との戦争になるかも知んねーって話だろ? だからミゼッタ姉ちゃんの護衛に俺とノヴァを呼んだ」
「ああそうだ。その、獣人たちが目指さないはずのティアント領で事件が起きた」
――ティアント家で保護していた耳長の女が獣人に襲われた。
ヴィクターはそう言っていた。
「あの、そもそも耳長の女というのは……?」
「森に住む耳長族って種族だ。本人たちは『アールヴ』って名乗ってるらしいがな。魔族みたいに魔力が高くて、身体能力はまあ人族並みか。寿命は長い。滅多なことで森から出てくることはないが、たまに変人がいる」
「変人ってのは何処にでもいるよな。そのエルフ……アールヴ? そいつが獣人に襲われたっていうのは?」
自らを棚の上に避難させたジャックが問いを重ねる。
「アールヴの変人は、森から出てティアント家の客人になってたらしい。人族には馴染みのない魔法やら、アールヴ特有の薬なんかがあるだろうし、まあ奇妙な変人を一人くらい居座らせたって別に誰も困らんからな。すこぶる美人だって話だし、あるいは領主の妾にでもなっていたのかも知れん」
詳しくは知らん、とヴィクター。
「その美人のエル……アールヴが、獣人に襲われたっていうのは?」
「これもよくは判らんが、とにかくそのアールヴが獣人に襲われて、かなりひどい怪我をしたそうだ。領で抱えてる治癒魔法師では治せないってことで、『癒しの聖女』にお鉢が回ってきた」
「それは、命じられれば癒しに行きますけど……その、獣人たちと戦争になるかも知れないというのは?」
「ティアント家がバチクソに怒ってるらしい」
どうでもいい、とばかりにヴィクターは鼻息を吐き出した。
「はぁ……」
バチクソに怒っているらしい。ということは、その耳長さんはティアント家にとって非常に大事にされていたのか……いや、非常に大事にされていた人物が、どうやって獣人に襲われるのだ? その耳長と一緒に他の誰かも襲われていなければおかしいし、ティアント領の領民が獣人に襲われた、という話の方が戦争に至るには、なんというか直接的ではないか。
「まあ、あとは現地に着いてから、あれこれ確認することになる。ジャックとノヴァはミゼッタ嬢から離れるな。ひょっとすると、野蛮な獣人どもが領内に潜んでいないとも限らない」
「野蛮な獣人、ですか……」
「知らんけどな。ロイス王国では獣人たちとの交流がない。スペイド領ではちょっとした関わりがあるのかも知れんが、向こうはこっちに興味がないし、こっちも警戒はしてるが興味もない――いや」
なかった、か。
そう呟いたヴィクターは、特徴的なギョロ目を馬車の屋根方向へ動かした。
もちろんそこには幌と木枠の骨があるだけだ。
性格の悪い貴族と、野蛮な獣人。
はたしてどちらの方がマシなのだろう?
ミゼッタはそんなことを考えたが、もちろん答えなどでなかった。
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