096話「癒やしの聖女②_01」
エスカード領での対魔族戦から、半年ほどの月日が流れた。
その半年でミゼッタは己に掛けられた『癒しの聖女』という看板に、諦観にも似た慣れを感じるようになっていた。何処に行ってもミゼッタの魔法は驚嘆され、場合によっては畏怖と敬意を生み出したのだから、さすがに自覚するしかなかった。
どうやら私の治癒魔法は、すごいみたいだ。
例の魔族戦においても、現地の治癒魔法師たちよりミゼッタの方が遥かに――そう、遥かに――優れていた。
そしてこの半年間で、『癒しの聖女』の名はロイス王国の貴族へ浸透していった。ちょうどミゼッタの自覚と同じような時期には、ほとんどの主要貴族が『癒しの聖女』を認知したらしい。
らしい、というのは、そちらの自覚はミゼッタにはないからだ。
ただ、以前のように「あそこへ向かってナントカ家の誰其を癒して来い」という仕事は減った。名前を売る時期が過ぎたということだ。
なので――というべきかは判らないが、現在のミゼッタの主な仕事は、レオポルド・イルリウスの所有する屋敷に滞在し、貴族のお勉強をすることだった。
礼儀作法からロイス王国の歴史、そこから派生して主要な貴族家、彼らの力関係。もちろんロイス王家のことも。
「……というわけで、現在ロイス国王には六子がおられます。第一から第四王子、同じく第二王女まで。この中で王妃の……ミゼッタ様?」
専属の使用人として家庭教師まで務めてくれるのは、カルナ・レーガントとニオミ・アリオスの二人である。
王国貴族についてはカルナの方が詳しく、いつもすまし顔の彼女が片眉をわずかに持ち上げるまで、ミゼッタはろくに彼女の話を聞いていないのに気づかなかった。
つまりはそれだけ、ぼんやりしていたということだ。
「あまり集中できていないご様子ですね」
持ち上げていた眉の角度を元に戻し、カルナは小さく息を吐いた。
彼女が――彼女たちが、使用人としてミゼッタに充てがわれてからしばらく、ミゼッタは自分が蔑まれているのを自覚していた。
というより、そんなものは当然だとすら思っていた。
エックハルト・ミュラーに見出された、ちょっと治癒魔法の使える村娘。
ミュラー伯爵家の次男が貴族の義務として、治癒魔法使いの血を欲しただけ。
そう思っていたし、そう思われていた。
けれどもミゼッタは示した。誰もが納得する、納得せざるを得ないだけの実績を。癒せないはずの病人を癒し、戦場の治癒魔法師たちがまとめて魔力切れになるだけの魔法を使ってみせた。
そうするうちに、彼女たちも変わっていった。
なので以前であれば怯えていたはずのカルナの溜息も、彼女なりの心配が口から漏れ出したのだということが判る。
「ごめんなさい、少しぼぅっとしてたみたい」
貴族教育の賜物で、今では使用人に対して必要以上に謙ってはならないだとか、そういうことも、ミゼッタは身につけることができた。
「エスカード領でのお仕事が終わって以来、少し気が抜けているようですね。……といっても、もう半年にもなりますが」
そう、もう半年も前の話なのだ。
あれ以来、ミゼッタの気は抜けっぱなしなのである。
……いや、そこまで抜けてはいないはずだ。と思う。ミゼッタとしては、ちょっとぼうっとする時間が増えただけで、基本的には、大丈夫だ。まあ、たぶん。
半年もの間、ミゼッタの胸の中にはひとつの光景が浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返していた。
夜の戦場。
兵士たちが散発的に潜伏している、魔境の森へと続く斜面。
そんな死の直近みたいな場所を、よく晴れた休日の散歩みたいな調子で歩いていく少女の背中。月明かりを受け、きらきら光る長い髪が踊るのを、確かに見た。
クラリス・グローリア。
彼女の姿が、どうしてかミゼッタは忘れられずにいた。
◇◇◇
状況証拠から考えるに、ローラ・ギレットとトレーノ・ギレットの二人、『双子のギレット』を殺したのは、クラリス・グローリアである。
後からレオポルド・イルリウス侯爵から聞いた話になるが、レオポルドがエックハルト・ミュラーに助け舟を出し、あるいは利用するために声をかけ、ミゼッタの名を売るために病床の貴人たちを癒やさせている間、あのカマキリみたいな顔をした男はクラリス・グローリアを保護していたという。
ギレット姉弟の魔法の実験体として、半ば生贄のような形で身柄を渡したらしいが、驚くべきことにクラリス・グローリアは特に文句も言わなかったそうだ。不満そうではあったらしいが、それでもギレット姉弟の魔法を受け続けた。
ミゼッタが思い出したのは、あの双子との初対面。
この半年で何度も顔を合わせる機会があったノヴァという男が投獄されており、双子のどちらだったかは忘れてしまったが、魔法でノヴァの腕を切断した。文字通り、手首がごとりと床に転がったのだ。
慌ててミゼッタが治癒したが、そのときのやりとり……やりとりという程に何事かを交わしたわけでもないが……とにかく、そのときに双子の口から「クラリス・グローリア」の名が出たことがあった。
あのとき、あの双子の元にクラリス・グローリアがいたのだ。
そしてエスカード領で双子を殺して森へ逃げた。
どうやって?
知るものか。判るわけがない。
「はぁ……」
レオポルドが用意した屋敷、割り当てられた自室の寝台に身体を預けたミゼッタは、窓に差し込む薄い月光を眺めて溜息を吐く。
どうしてだろう。
どうしてこんなにも、クラリス・グローリアが気になるのだろう。
脳裏に浮かぶ、彼女の背中。
きらきら光る金色の髪。
エックハルト・ミュラーの、元婚約者。
現婚約者は、ミゼッタだ。
つまりミゼッタさえいなければ、クラリス・グローリアはそのままエックハルトと結婚していたことになる。『癒しの聖女』なんて看板がミゼッタに貼り付けられることも、たぶんなかっただろう。
知りたくもなかった貴族間の力関係や、政治的立ち位置だって知らぬまま生きていた。癒したくもない高慢な貴人に治癒魔法をかけることだってなかった。
なにが正しかったのか、なんてことは別に考えない。
そんなもの、知りようがないからだ。
知りたいのは、もっと別のこと。
この半年、ミゼッタはどうにかクラリス・グローリアのことを知ろうとした。
けれども成果は芳しくない。
エックハルトがミゼッタを見出し、クラリス・グローリアの火刑が行われ、その火刑が失敗してエックハルトの父が殺された……おそらく、クラリス・グローリアに。その少し後ぐらいの時期のエックハルトは、いろんな弱音をミゼッタに吐露していた覚えがある。
あの頃のエックハルトは、少しだけ元婚約者のことを語っていた。
曰く――『無才』のクラリス。
毒にも薬にもならない、ただ可憐なだけの少女。
愛でも恋でもなかったが、情は確かにあった。けれどもエックハルトの父、ミュラー伯爵の決定にエックハルトは逆らわなかった。クラリスとの婚約を破棄し、治癒魔法の使い手と交わることに、そこまで強い拒否感を覚えなかった。
思うに、エックハルトにとってクラリス・グローリアという存在は、当たり前すぎたのだ。毒にも薬にもならない婚約者の少女との婚約を破棄することも、あるいはエックハルトには当たり前のことだったのかも知れない。
貴族の政治的意向で女の子が一人、不幸になる。
なるほど、当然のことかも知れない。
この世の何処にでもありふれた光景だ。
あるときレオポルド・イルリウスにクラリスのことを訊ねてもみた。
カマキリみたいだと常々思っていた彼の眼差しが珍しく細められ、わずかに迷うようにしてから、言った。
「一度死んだ人間が生き返ったなら、それは死ぬ前と同じ人間か?」
言葉こそ問いだったけれど、レオポルドはミゼッタに答えを期待などしていなかった。なにかを答える隙もなく、それきりでクラリスの話は打ち切られた。
ちなみにというか、知り得た情報はその程度だった。
ミゼッタが『癒しの聖女』として癒して差し上げた貴人たちは、そのほとんどが高齢であったり、高位貴族の病弱な子息であったりした。ちょうど同じ年頃の人物を癒やす機会など、エスカード領における魔族戦で何度かあったくらいだ。
知りたいのに。
だけど――どうして?
どうしてこんなに気になるのだろう。
ただ後ろ姿を一度見ただけの少女のことが、胸の内から離れない。
おそらくは、この世でもっとも『癒しの聖女』を必要としない、不死の少女のことが。
◇◇◇
翌日も、集中力に欠けた勉強会だった。
昨日は貴族家についてカルナから教わったので、今日はニオミから政治経済について教わることになった。元々が村娘のミゼッタに高等教育を施すのは二人にとってかなり大変なようだったが、教わる方だって大変だ。
故郷の村では、領主がどのように金銭を運用しているのか、雇用とはどのように創出されるのか……なんて、考えたこともなかったし、考える必要もなかった。
考えていたのは作物の出来不出来であり、産まれた家畜の飼料のこと。
ミュラー伯爵家が集めた税をどのように運営しているのか、誰が儲けているのか、そういった経済の流れは間違いなく故郷の村に影響があったというのに、そのことについて考えようとすら思ってもいなかった。そんなの無理だ。
そんな考え方なんて、村の何処にも転がっていなかった。
そんな場所で生まれ育った、ただの村娘が――ちょっと治癒魔法が使えるだけの村娘が――貴人としていずれエックハルトを支えて生きる?
将来的に立派な貴族となったエックハルトのことも、その隣にいるエックハルト夫人のことも、ミゼッタはまるで想像できなかった。
ああ、また集中できていない。
ニオミの言葉が左右の耳を通り抜けていることに気付き、ミゼッタは申し訳ない気持ちになりながら、ぺこりと頭を下げる。
貴族はみだりに謝罪すべきではないと教わったが、礼を逸したと思ったのだから頭を下げる。
そんなミゼッタに、ニオミは小さく苦笑を見せ、なにかを言おうとした。
しかし。
ばたんっ、と無遠慮に扉を開けた何者かによって、細やかな気持ちの流れは断ち切られた。
現れたのは、いつもミゼッタの出発を知らせ、道中の案内をこなしていたレオポルドの甥――ヴィクター・イルリウス。
血筋を感じさせるギョロ目をミゼッタに向け、彼は言った。
「ティアント領で獣人共と戦争になるかも知れない。ティアント家で保護していた耳長の女が獣人に襲われたって話だ」
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