093話「獣人たちの後始末_03」
兎獣人のルーチェ・ルビアは、唐突に自分たちの前に現れた人族の少女、クラリス・グローリアに心酔していた自覚がある。
何故なら彼女は、あの恐ろしいランドール・クルーガに一歩も引かず、あろうことか、獅子王に自らの存在を認めさせることさえしてみせた。
それも、別にクラリスは決死の覚悟でそうしたふうでもなかったのだ。ごく自然体で、当たり前のように、ランドールを恐れることもなく、認めさせた。
だから憧れた。
ルーチェは、本当にランドール・クルーガが恐ろしかったから。怖くて、嫌で、悍ましくて、殺してしまいたくて……だから、殺すのに協力した。
あんな暴君には、消えて欲しかった。
そうすれば、もう嫌な思いをせずに生きていける。
嫌な仕事を命令されることも、怖い思いをして獣王と向き合うことも、命令されたからという理由でなにも悪くない人たちに暴力を行使することも、きっとしなくて済むはずだ。
そう思っていたのに。
ルーチェの憧れたクラリス・グローリアは、嘲るように言ったのだ。
――おまえらはランドールと同じだよ。
そう言われて、ルーチェは判らなくなった。
違うと首を横に振ることが、自信をもって言い切ることが、できなかった。
私も、あの獣王みたいに厚顔で我儘で暴力的で、他人に嫌なものを押し付けるようなモノなのだろうか。そうかも知れない。だって、自分のためにランドールを殺すことにした。そのためにいろんな人を巻き込むことを割り切った。
ランドールが自分のしたいことを、他人なんて気にせず押し通したように。
そう思ってしまうと、もうルーチェはクラリス・グローリアに心酔し続けることができなくなった。憧れることなんて、おこがましい。
彼女の『光』が強すぎて、自分の汚いところが、目立ちすぎてしまう。
◇◇◇
深夜まで踊り続けた会議はクラリスの「そろそろ眠い」という発言によって打ち切られ、それぞれ解散という運びになった。
といっても眠いと言ったはずのクラリスは大会議室にレクスと共に残っていたし、他にも何人かが残るようだった。
ルーチェは、残らなかった。
かといって寄宿舎に割り当てられた自室へ戻る気にもならず、ふらふらと建物を出て、気づけば夜の都を歩いていた。
嫌味なくらいに月がくっきりと明るくて、均された道には影が落ちるほど。
青白く浮かび上がる自分の姿が、なんだかひどく場違いに思えた。
ランドールがルーチェの集落を襲ったとき、降伏なんかせずに抵抗して死んでしまったほうがよかったのだろうか……なんてことを考える。
もちろん死にたくなんかない。
死にたくなかったから降伏したのだ。
降伏して、配下になった。
どれだけ嫌で怖くて悍ましくても――死ぬよりはましだった。
「浮かない顔じゃのう、兎の獣人よ」
ふと。
道の先を塞ぐように、六本の尾を持つ妖狐が。
月光に照らされて、くっきりと立っていた。
「……セレナさん、ですか」
「敬称など要らぬよ。所詮は負け犬ならぬ負け狐じゃ。たまたま今回は勝ち馬に乗ったようじゃが、クラリスはそもそも勝ち負けなんぞ気にしておらぬ」
彼女の名を耳にするだけで、ルーチェの胸が鈍痛を訴える。
その存在に、あんなに焦がれたというのに。
「なにか、用ですか?」
「クラリスに心酔しておったようじゃからな、おぬしは。だから例の言葉は堪えたじゃろうと思ってな。老婆心というやつか。我もつくづく丸くなったの」
くっくっくっ、と何処か自嘲気味に笑うセレナ。
ルーチェはなにをどう思えばいいのか判らず、とりあえず立ち止まって妖狐をぼんやりと眺めることしかできずにいた。
「随分と落ち込んでいるようじゃが、クラリスの戯言を真に受けるな」
いきなり言う。
が、その科白はどうしてかルーチェにとって不快だった。
「戯言? クラリス様の、あの言葉が、戯言だと言いますか」
「当然じゃろ。おまえたちがランドールと同じ? 笑わせてくれる。おまえたちは我らを迫害して解散させるのか? これから我らと同じような者が現れたとして、お主らはランドールと同じことをするのかえ?」
しない。そんなことはしない。
それは、自信がどうとかより、もっと単純に、そんな発想がルーチェにはないからだ。なんとなく鬱陶しいから遠ざけるなんて、やりたいとも思わない。
「違うようじゃな。では、お主はランドールとは違う」
「ですが! 私たちは、私たちの都合で、多くの人を巻き込むことを割り切って、ランドールを殺しました。そうしたいと思ったから、力を行使した。それはランドールとなにが違うのですか?」
と、何故かルーチェが反駁することになった。
妖狐は呆れたような苦笑を見せる。
「それは、この世界がそのような形をしておるからじゃ。誰もが、我を通すとき、自らの力を行使する。ランドールも例外ではなく、我も、お主も、クラリス・グローリアでさえも同じことじゃ」
「クラリス様が、力を?」
あんなに非力で、なのにあんなに確信に満ちていた。
力もないのに輝いている。
だから、ルーチェには憧れだったのに。
「行使したじゃろ。カタリナとキリナを使ってレクス・アスカを人質にとった。我とユーノスを使ってカイラインを追い詰めた。やつらはクラリスのために動く。それをクラリスは知っている。であれば、クラリスにはユーノスらを使う『力』があると言える。それを、あやつは遠慮なく使ったじゃろ」
それに――、とセレナは続ける。
「お主らの新たな王が言ってたじゃろ。そうでない自分たちになる、と。もしもお主が自らを厭うておるのなら、どうすればいいか、簡単なことよの」
それはとても簡単なことだ。
だからこそ、頭が痛くなるくらいに難しい。
昨日までと違う私になる、なんて。
「我は変わった。変えられたというべきじゃな。変わるつもりもなかったのに、あの人族の小娘に変えられて、いつの間にやらこんな月夜に兎と話し込んでおる。お主だって、そうではないのか? 誰かに憧れるなんてことが、あったのか?」
「……私、セレナさんのこと、あまり好きじゃないです」
憮然として呟くルーチェに、セレナはまたくつくつと苦笑を見せる。
だって、そうじゃないか。
そんな有りのままで、彼女の傍にいられるのだから。
私は――私が変わったと自覚するまでは、眩しすぎて近づけない。
「余計な世話じゃったかの。まっ、老婆心など大概が余計な世話かも知れんな。こう見えて子持ちの狐なのでな、大目に見るがいい」
にんまりと――何処かクラリスに似た笑い方をして、セレナは踵を返す。
迷いなく歩き始め、月明かりの中で輪郭だけ浮かぶ彼女に、ルーチェは問う。
「どうして、世話を焼こうだなんて思ったのですか?」
問いに、セレナは振り返らず答える。
「我も獣人じゃからな。獣人じゃが、お主らとは別の道を往く。栄光の道じゃ。多少の世話くらい、焼こうという気にもなるわ」
輪郭が離れていく。
迷いなく歩いているということは、今度は別の誰かの世話を焼きに行くということか。揺れる六本の尾が次第に小さくなり、やがて消えていく。
ルーチェ・ルビアは、この日、また少しだけ変わった。
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