009話「魔族①_01」
およそ百日かけて、たぶん五百回以上はギレット姉弟の魔法を喰らいまくったと思う。厳密に数えていないので概算だが、まあ、たぶんそんなものだ。
この世界の魔法については、正直言ってよく判らない。
なにしろ私は『無才のクラリス』であるし、そもそも科学技術のように論理立てた証明を積み重ねた代物ではないからだ。
双子のギレットは言っていた。
魔法に必要なものはふたつ。
即ち――魔力と、魔法使い。
エネルギーと、それを利用するシステムだ。
ロイス王国の貴族は八歳になると『魔法の才』を調べられるが、ひょっとしてあれは魔力に干渉する能力と方向性を調べているのではないか。
であれば。
クラリス・グローリアの『無才』とは、なんなのか。
火刑に処される前の私でも、わずかな魔法は使えたのだ。
指先からマッチの火くらいの火種を熾す魔法。
掌のあたりをちょっとだけひんやりさせる魔法。
人差し指と親指の間にぱちっと静電気を起こす魔法。
それから、ほとんど役に立たない防御魔法。
辛うじて使えたのだ、そのくらいならば。
今の私であれば、もうちょっと強い魔法が使える。
何故なら、今は死ぬほどの全力を振り絞り続けることができるから。
そして――前世の記憶があるから。
現代日本の、日本人の、平均的な学力程度の知識が私にはある。
このアドバンテージは存外に大きかった。
◇ ◇ ◇
エスカード領はエスカード辺境伯の治める領地である。ここは魔族の住む領域との境になっており、数年に一度くらいの頻度で魔族の侵攻があるらしい。
――魔族。
この『剣と魔法の世界』における、地球との大きな違いのひとつがこれだろう。
亜人、獣人、魔物、魔族。
人間以外の知的生物が平気で存在している奇妙な世界。
では、魔族とはなにか?
「長寿と言われているわね」
「だが、愚かだ」
「強い魔法が使えるとも言われているわ」
「だが、愚かだ」
「まるで神々からの寵愛を受けているかのよう――なのに」
「その寵愛を、ただ内外へ暴力という形で吐き出すだけ」
「本当に、愚かね」
「本当に、愚かだね」
とは、ギレット姉弟の言である。
その寿命と魔力を使って延々と魔法の研究をするべきだ、とでも言いたいのだろうか。仮に私が神だったら、この双子に長寿なんぞ与えないだろう。
あと五年では判らないが、あと五十年も与えれば、こいつらならきっと致命的なナニカを生み出すだろう。人族にとってか、もしくはこの大地にとってかは判らないが、さほど的は外れていないと思う。
さておき。
魔族とは、長寿であり、膨大な魔力を操る種族であるらしい。それは出兵に同行したカリムという男も同じことを言っていた。
もちろん私だって『人間とはなにか?』なんて問われても答えようがないので、これは問い自体が愚かなのだろう。
が、私は気になった。
物事は相対的で、多角的で、多面的かつ不条理だ。
今まで見ていたモノが真だとは限らない。
地球においても、正しいとされている理論のほとんどは通説でしかなく、「現在はこう考えられている」という程度の定義だったではないか。それを覆すもっと正しい理論が樹立されれば、以前のそれはあっさりと捨てられてしまう。
私はあのとき――ミュラー伯爵を殺したとき――こう考えた。
クラリス・グローリアの『無才』とは、扱える魔法の範囲が狭すぎるのではないか? だからあの水晶玉は反応しなかった。いや、もっと言うなら水晶玉の反応を、こっちの方が認識できなかったのでは?
前世の記憶を持つ私は、知っている。
人間の目には見えない色があり、聴けない音があることを。顕微鏡でしか覗けない世界があることを――私は知っている。
データが必要だ。
手札が多いに越したことはない。
◇ ◇ ◇
さて、そんなわけでエスカード辺境領である。
我々が辿り着いたときにはもう魔族との戦争は始まっており、辺境伯の兵が百人以上、魔族の側は数人削られていた。
なるほど、これが対魔族戦か。
まあ、私だって現代日本の平和な時代の記憶と、花のように可愛らしい貴族令嬢だった記憶しかないので、実際の戦争など知りもしないのだが、どう考えても『地球の中世あたりの戦争』とは違いすぎる。
遠距離攻撃兵器の登場によって隊列を整えた軍勢が前線から消え去ったように、この世界においてはまとまった軍勢など『強力な魔法使い』の的でしかない。
地球と違うのは、その戦術兵器の数が稀少すぎるということだが、それでも槍を構えたファランクスなど戦場には見当たらない。
せいぜい十数人規模の部隊が、密集しすぎないようにバラけている。
魔族が侵攻してくる森――魔境、とか言われているようだ――を見下ろせる丘の上に本陣があり、エスカードの軍は魔境を見張るように部隊を展開していた。
あちらが何処から出てくるのか、いつ出てくるのかは判らない。
同様に、あちらからはどの部隊に魔法使いがいるのかが判らない。
膠着状態になれば、補給線のない魔族側が不利になる。
いつか、どこかのタイミングで向こうから出なければならない。
その『いつか』は、我々の到着と同時と言っていいくらいの時期に訪れた。
本陣の端へ設えられた天幕へ案内され、双子が上官らしき男に呼び出され、一人残された私は茶でも淹れようかと備品をあれこれあさっていた。なにしろ、ロイス王国の戦術兵器は貴族であるからして、それなりに丁重な扱いが求められる。
銅の薬缶と茶葉、それにカセットコンロのような魔道具を見つけ、指先から火を点すというクラリス・魔法だってちょっとは使える・グローリアの偉大なる魔法で魔道具を励起させ、湯を沸かしている最中だった。
――ごおっ、という振動が伝わってきたのだ。
地震か? と最初は思ったが、もちろん違う。
エスカード軍の第三部隊三十四名と、魔族の捨て駒三人が相打ちになった音である。これをきっかけに、ギレット姉弟は戦場へ投入されることとなった。
◇ ◇ ◇
それから。
首尾良く戦場で活躍してきたギレット姉弟を殺害した私――クラリス・さすがに五百回も殺されたからには特に良心も咎めなかった・グローリアは、その足で丘を降り、魔境へ入ることに成功した。
双子の殺害はそれほど派手にはやらなかったし、ちょうど夜の帳が落ちていて、人間が一人うろつく程度であれば目立たなかったのだ。これが部隊行動であれば間違いなく見咎められていたはずだ。
いや、もちろん私が魔境へ向かったのは誰かに見つかっていただろう。
単に部隊と部隊の間には適切な距離が置かれており、彼らは待機という任務中であり、血迷った少女一人を追うために陣形を崩すわけにもいかなかったのだ。
なので私は部隊の間をすり抜けて丘を下るだけで魔境に辿り着けた。
そうして、魔族に出会った。